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ロスチャイルド財閥-137 ナチスとIBM(共和党/ロックフェラー財閥がバック)

2022-12-20 18:41:41 | 国際政治・財閥

IBMのロゴ


「IBM」が開発したパンチカード機器レリス」と ホレリス・パンチカード




アメリカの作家エドウィン・ブラックが、『IBMとホロコースト ─ ナチスと手を組んだ大企業』という本を出しました。 彼の両親はホロコーストを生き延びたユダヤ人です。彼によると、「IBM」の創業者トーマス・ワトソンは、ヒトラーから「メリット勲章」(ドイツで2番目に位の高い勲章)を授かるほどナチスに貢献し、彼にとってヒトラーの第三帝国は世界で2番目に大きな取引先だったといいます。

ブラックは次のように告発します。

「IBMは、もともとドイツの子会社を通じ、ヒトラーのユダヤ人撲滅計画遂行に不可欠な技術面での特別任務を請け負い、恐ろしいほどの利益を上げた。IBMこそ現代の戦争に情報化という要素を持ち込み、こともあろうにあの戦争でナチスの“電撃戦”を可能にした張本人なのだ」

 

ヒトラー(左)と会談するIBM創業者トーマス・ワトソン(左から2人目)


このIBM創業者はヒトラーから「メリット勲章」を授かるほどナチスに貢献し、彼にとってヒトラーの第三帝国は世界で2番目に大きな取引先だったということです。


当時、コンピュータは存在していませんでしたが、コンピュータの先駆をなす機械を「IBM」は開発していました。パンチカード機器の「ホレリス」です。
ナチスは「IBM」の提供したパンチカード技術を使い、ドイツ国民の名前、住所、家系、銀行口座などの情報がすばやく参照できるようにした。その技術で、同性愛者を「ナンバー3」、ユダヤ人を「ナンバー8」、ジプシー(ロマ)を「ナンバー12」などと区分していまし。(「D4」のコードは、殺害された被収容者を意味していた)。

 
●ブラックは言います。

「IBMがナチスに提供したパンチカード機器『ホレリス』が、ユダヤ人の判別と鉄道の効率的な運行を容易にし、ユダヤ人問題の『最終解決』に無比の威力を発揮したのである。もちろん、IBMなしでも、ホロコーストはすべての形で行われたであろう。しかしIBMなしには、ナチスの犠牲者の数は実際よりも遥かに少なかったはずである。その意味ではIBMの創業者トーマス・ワトソンへの評価はスキャンダルと言わざるを得ない。現代的な企業で先見の明があった社長どころか、ホワイトカラーの犯罪者なのである」

「IBMは戦後、まったくその責任を問われなかった。ナチス時代のIBMのすべての幹部は報償を与えられ、昇進した。その忠誠心が報われたのか、その効率の高さが報われたのであろう。私は情報を知らず、命令を実行することに満足していたIBMの幹部たちを責めようとは思わない。しかしトーマス・ワトソンとその取り巻きたちは、自分たちのしていることを十分に承知していたことだけは繰り返し指摘したいと思う」

 
ちなみに「IBM」は、ナチス第三帝国が崩壊して間もなく、1948年にユダヤ人国家イスラエルが建国されると、すかさずイスラエルに進出し、現在に至るまでイスラエルでの事業展開に多大な投資を行った。

 
「20世紀最大の封印された話といえば、ナチス・ドイツとアメリカ企業が共謀していた話です。まず最初はアメリカ企業がドイツを再建し、初期のナチスをサポートしたこと。次に戦争の筋書きを作ったこと。GMは(完全子会社の)オペル社を守り、フォードも自社を守りました。コカ・コーラ社は存続が危なかったので、ドイツ人のためにファンタ・オレンジを発明しました。この発明でコカ・コーラ社は利益を守れたんだ。ファンタ・オレンジはナチス御用達なのさ。何百万人と死んでいる時にファンタで富を築いていたんだ」





ユダヤ難民とスイス

ナチスがユダヤ人を迫害していた時代、ユダヤ人の資産はスイスの銀行に歓迎されました。しかし、ユダヤ人自身がスイスに逃げ込んでくることは歓迎されませんでした。

1938年夏、32ヶ国の代表者たちがユダヤ難民問題を話し合うための国際会議を開こうとしたとき、スイス政府はこの会議の主催国になることを拒みました。そのため会議はフランスの保養地エビアンで開催されることになります。

この「エビアン会議」では、スイスに限らず大半の国がユダヤ難民に門戸を開くことに消極的で、結局、何の具体的な政策も打ち出せないまま幕を閉じました。

 
この「エビアン会議」が失敗に終わって4ヶ月が経つか経たぬ中に、ドイツではまずユダヤ教会焼き打ちの狼火があがり、続く「水晶の夜」と呼ばれる事件をきっかけに、計画的ユダヤ人迫害の序曲が始まりました。


ロスチャイルド財閥-129  水晶の夜(ドイツ語 Kristallnacht )
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/80a98c809e02de8086ea32780c7c7737


「エビアン会議」で西側諸国がユダヤ難民の保護に二の足を踏んだことが、ユダヤ人迫害の遂行を急ぐベルリンのヒトラーに「ゴーサイン」を送ることになった、とみる歴史家は少なくありません。

 
ユダヤ難民の大量流入を恐れていたスイス政府は、同じ年の1938年10月にナチス・ドイツとともに「J」スタンプを緊急導入しました。

「J」スタンプとは、第三帝国内に居住するユダヤ人のパスポートに「ユダヤ人」を意味する単語の頭文字「J」を強制的にスタンプするというものであった。これによってユダヤ人を識別するのは容易になりました。



「J」スタンプが押されたユダヤ人のパスポート

「J」=ドイツ語で「Jude」、フランス語で「Juif」
(「ユダヤ人」を意味する単語の頭文字である)

※ ユダヤ難民の大量流入を恐れていたスイス政府は1938年10月にナチス・ドイツとともに「J」スタンプを緊急導入した。

 


この「J」スタンプについて、歴史家グイード・コラーはこう語ります。

「スイスはナチス・ドイツに対して、ドイツ人全員にビザ取得を義務づける策をちらつかせながら、ユダヤ人の流入を抑えるための措置を打診していた。それで、ドイツ当局が考え出したのが『J』スタンプだった。だから、一応ドイツのアイデアであるが、スイス側の要請に基づいたものなのである。スイスがドイツに何らかの手を打つよう求め、ドイツが対応策を考えたわけである。人種差別であることは明らかで、国際法にも抵触する。スイスとしては汚点を残したことになる」


しかし、スイス政府はこの「J」スタンプだけでは満足しませんでした。

1942年8月、ユダヤ難民に対して国境を事実上完全に閉鎖することとなる法律を可決させたのです。この立法は単独措置ではなく、第二次世界大戦が勃発する何年も前から始まっていたユダヤ人排除政策の総仕上げともいうべきものでした。

しかし、ユダヤ難民の発生は政治的よりも人種的理由によるものとするこの法律に対して、教会および難民や人道主義的団体から即座に非難の声があがった。激しい反対世論の高まりで、この法律はすぐさま改正へと追い込まれることになった。

しかし、懲りないスイス政府はその代わりに「収容所制度」を制定した。収容所第1号はジュネーブ近くの国境付近に建設され、当初難民は全員ここに収容されてから、国内各地に点在する収容所へと振り分けられるようになった。たいがい健康な若い男子は鉄条網の中に入れられ、ほとんどが過酷な肉体労働を強いられたのである。


第二次世界大戦中のスイスが人道主義を貫いたという説は今や崩壊した、と歴史家グイード・コラーは語ります。

「われわれが調査したところによれば、スイスは、大戦中に保護を求めて押し寄せた3万人以上の難民の入国を拒んだのである。彼らの大多数はユダヤ人だったが、一部それ以外の人種も含まれていた。強制収容所を脱出してきたポーランド人やロシア人の男女、さらにイタリアやフランスの若者などもいた。

スイスの歴史は神話と伝説に満ちている。そのひとつが、スイスは難民政策において積極的かつ人道的であり、中立政策はそこに根拠を置いている、というものであった。しかし、この伝説がいまや崩れ去り、国民は現実を直視すべき時に来ているのである」


また、特殊利益団体である「スイス・ユダヤ人連盟」の副会長トーマス・リシーも、戦前および戦中のスイスの難民政策は恥ずべきものだと語ります。

「スイスはその綺麗で華やかな化けの皮をはがされたわけであるが、それでよかったと私は思っている。その筆頭が『J』スタンプだった。スイス当局はいま、当時の我々の思いがわかったと思われる。3万人以上の難民が追い返されたわけで、彼らが主張していたたった1万人ではなかった。

私の考えでは、スイスは彼らを受け入れられたはずである。そんなことをしたらヒトラーの侵略を招いただろう、と言う人たちもいるが、それは机上の空論にすぎない。全員を受け入れられるだけの余地はあった。スイス以外に逃げ込める場所はないというのに、入国を拒んだのである。どんな運命が難民たちを待ち受けているか知りながら追い返したのである。この難民問題は、スイスの歴史の中の非常に暗い部分である。その暗さは、今日の銀行をめぐる問題以上である」




ナチス御用達の銀行だったスイスの銀行


「スイス銀行によるナチス政権への財政的援助がなかったら第二次世界大戦は数年早く終息していたであろう」と指摘する人がいる。実際、ナチスの戦争遂行能力の維持に、スイスほど大きな貢献を果たした“中立国”はありませんでした。

第一次世界大戦で敗れたドイツの戦争賠償処理を主目的として、1930年にニューヨーク連邦準備銀行をはじめとする世界中の中央銀行が集まって、スイスのバーゼルに「BIS(国際決済銀行)」が設立されました。

しかしこの銀行は、ヒトラーの政権掌握以降、アメリカとイギリスの資金がヒトラーの金庫に流入する窓口の役目を果たすようになり、正反対の機能を持つ銀行になった。BISは積極的にドイツへの融資を仲介し、その再軍備を大いに支え、ヒトラーの戦争経済に協力し、必要な財源確保に加担したのです。



第一次世界大戦後、ドイツの賠償問題処理のために1930年にスイスに設立された「BIS(国際決済銀行)」
しかしこの銀行はヒトラーの政権掌握以降、アメリカとイギリスの資金がヒトラーの金庫に流入する窓口の役目を果たすようになり、正反対の機能を持つ銀行になった


ロスチャイルド財閥-136 ナチスとスイスそしてBIS
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