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ロスチャイルド財閥-136 ナチスとスイスそしてBIS

2022-12-19 07:14:04 | 国際政治・財閥

第一次世界大戦後、ドイツの賠償問題処理のために1930年にスイスに設立された「BIS(国際決済銀行)」

しかしこの銀行はヒトラーの政権掌握以降、アメリカとイギリスの資金がヒトラーの金庫に流入する窓口の役目を果たすようになり、正反対の機能を持つ銀行になった。 陰謀論の対象となる中央銀行であるが、世界の中央銀行の中央銀行がBIS


ジョン・フォスター・ダレス

「BIS(国際決済銀行)」の創立者の1人として活躍した。ロックフェラー家の一員で、戦後はアメリカ国務長官を務めた。

 




「スイス銀行によるナチス政権への財政的援助がなかったら第二次世界大戦は数年早く終息していたであろう」と指摘する人がいる。実際、ナチスの戦争遂行能力の維持に、スイスほど大きな貢献を果たした“中立国”はありませんでした。


第一次世界大戦で敗れたドイツの戦争賠償処理を主目的として、1930年にニューヨーク連邦準備銀行をはじめとする世界中の中央銀行が集まって、スイスのバーゼルに「BIS(国際決済銀行)」が設立されました。

しかしこの銀行は、ヒトラーの政権掌握以降、アメリカとイギリスの資金がヒトラーの金庫に流入する窓口の役目を果たすようになり、正反対の機能を持つ銀行になりました。BISは積極的にドイツへの融資を仲介し、その再軍備を大いに支え、ヒトラーの戦争経済に協力し、必要な財源確保に加担したのであります。


 第二次世界大戦中、ヨーロッパ諸国間の金融取引は、金と中立国スイスの通貨であるスイスフランが唯一の決算手段として使われていたため、ナチス・ドイツは征服した国々から金を略奪し、「スイス国立銀行」にあるBIS名義の口座に送り込むようになりました。


BISや「スイス国立銀行」にとっても、ドイツとの金取引は魅力があり、取り引きは盛んに行われました。戦場では敵味方に分かれて戦っているにもかかわらず、各国の中央銀行の代表たちは、BISがドイツとの取り引きを続けることを容認し続けたのありました。


 BISの初代総裁には、ロックフェラー財閥系の「チェース・ナショナル銀行」の元頭取で、「連邦準備銀行」総裁のマッギャラーが就任。 その後1938年に総裁に就任したアメリカのモルガン財閥の一員であったマッキトリックは、1940年初め「ドイツ国立銀行」を訪れ、BISの役員兼ゲシュタポ高級将校のシュローダー男爵と会談、たとえアメリカとドイツが交戦しても制約なしにBISを存続させ、機能させることに合意したのであります。

イギリスはドイツと交戦状態に入った後でさえ、BISの存続を承認し、イギリス側役員のニーマイアー卿と、ロスチャイルドが支配する「イングランド銀行」総裁ノーマンは戦争が終わるまでその地位にとどまっています。


BISの理事の何人かはナチスの人間でしたが、スイスは1942年夏以降、保護を求めて流入するユダヤ難民に対してほぼ完全に門戸を閉ざしておきながら、「ドイツ国立銀行」副総裁兼BIS理事だったエミール・プールなどのナチス財務高官たちにはフリー・パスを与えていたのです。


1943年5月19日に、『ニューヨーク・タイムズ』紙は次のような一文を載せました。

「スイスのバーゼルにある国際決済銀行(BIS)では、連合国のスイス、スウェーデン、アメリカと、枢軸国のドイツ、イタリアの銀行家たちが、机を並べて仕事をしている。この戦争の中で敵味方が共同事業を行っているのは筋の通らぬことではないか。一体どのような暗黙の協定があるのか?」


このナチス御用達の銀行だったBISは、「ブレトンウッズ会議」で解散が決議されていたにもかかわらず解散せず、戦後になってもしぶとく生き残った。ナチス時代にBISの理事を務めた面々は、「イングランド銀行」総裁はじめ、そのまま名誉ある人生を送りました。

戦犯に問われたドイツ経済相シャハトらも、連合国の“政策一変”で、早期に釈放され、西ドイツ経済界の重鎮をつとめたり、アメリカの「チェース・ナショナル銀行」幹部に迎え入れられたりしています。

一説には、このシャハトは、第二次世界大戦後、ニュルンベルク裁判所に引き出されたとき、「自分は国際決済銀行(BIS)に代表される、国際金融体制の一員として行動していたに過ぎない。もしも自分が裁判にかけられるようなことがあれば、自分は国際金融陣営が『ヒトラー計画』を背後で操っていたことを示す証拠を公開するであろう」と、ニュルンベルク法廷を脅迫したので、アメリカとソ連の裁判官の強い反対を押し切って、釈放、無罪放免とされたとも言われています。




ナチス経済とスイス経済は密接に結びついていた

大戦中、戦争が進むにつれ、高度技術を駆使したスイスの輸出品はドイツ軍需産業にとって必需品となり、それがベルリンがベルン(スイスの首都)との関係を良好に保とうとした理由のひとつになっていました。

スイス産業界は、軽砲兵器から爆弾の時限装置に至るまで軍事用の製品を各種生産し、ナチス・ドイツに向けて輸出していました。


スイスの誇るこの高度技術がナチスの戦時体制を支えていた、と語るのは、スイス人歴史家で『スイスとナチス犠牲者の資産』の著者ジャーク・ピカールです。

「実際のところ、スイスはナチスの軍需産業に貢献していた。具体的には、ドイツの兵器に利用できるような高度技術製品を輸出して利益を得ていたのである。時計がその一例である。時計というのは陸海空を問わず爆弾の時限装置として、さまざまなものに利用できるのだ」




セーフヘイブン報告書

ナチス経済がスイス経済と密接に結びつき、スイスの企業、銀行、保険会社、法律家たちに依存しながら運営されていたことは、スイスとナチス間の経済協力関係を解明した『セーフヘイブン報告書』によっても明らかにされています。

この、スイスのアメリカ公使館がワシントンの国務長官に送った6ぺージから成る報告書には、スイスがナチスの戦争経済に資金を供給した経緯が事細かく記されています。

報告書によると、ナチスはスイス企業358社に資本参加していたといいます。そのうちの263社に対して、4億7272万スイスフラン、1949万ライヒスマルク、500万金マルクを投資していたと言われています。

ナチスは卸売、小売、製造、保険など、スイス経済全体に投資の手を拡げていたのです。


アメリカ上院銀行委員会の下で働く歴史家マーク・マスロフスキーはこう指摘しています。

「スイスはナチスにとって必要不可欠な存在だったのである。いわば通貨の倉庫みたいなものだったからだ。ナチスはごく初期から、スイスの銀行と取引をしていた。ドイツ経済の担い手であった銀行、ブローカー、保険会社は、スイスの企業と手を結んでいた。

要するにドイツが必要としていたものはたったひとつ、強い通貨だったわけである。そして、それを提供できるのはスイス以外にはなく、スイスに手出しさえしなければそれが得られる、と彼らは考えていたのである。ドイツはスイスを取り引き関係の中にずるずると引きずり込むことによって、スイスにノーと言えなくさせたのである。だが、その責任はどちらの側にあるだろうか。スイスである」

 
【イルミナティ悪魔の13血流シリーズ】ロックフェラー家
https://www.youtube.com/watch?v=tkH62fXLRxI









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