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ロスチャイルド財閥-150 戦後政界の大物フィクサー 瀬島龍三

2022-12-27 19:04:13 | 国際政治・財閥


瀬島龍三(せじまりゅうぞう) 1911年(明治44年)富山県の農家の3男として生まれる。


「陸軍天保組」のエリート、28歳にして大本営参謀であり、戦後は伊藤忠商事会長、歴代総理のご意見番。

陸軍天保組とは陸軍大学校(陸大)卒業者の別称。 陸大卒業者のみが軍服の右胸下に佩(はい)する微小の形が江戸時代の天保銭に似ているからこの名称が生まれた。

 


敗戦直前に、皇族の身代わりになった瀬島

満州にいた皇族の竹田宮恒徳王たけだのみやつねよしおう(当時、関東軍参謀)が満州から内地へ帰り、瀬島龍三が関東軍総司令部の作戦参謀に転じたのは敗戦前月の1945年7月1日でありました。 瀬島は皇族の身代わりとなったのです。




共産主義者・近衛文麿の売国

筑波大学名誉教授、国際政治、政治哲学、憲法思想の大家である中川八洋(やつひろ)の『近衛文麿の戦争責任』(2010年)より引用。

近衛案は、「賠償として一部の労力を提供する事には同意す」「条件の(四)のイ項」としている。 満州かや樺太から「64万人以上」(ソ連崩壊後にKGBが公表した数字)、実際には105万人の日本将兵が不毛のシベリアに抑留され極寒の重労働を強いられたが、これは近衛文麿が公式に提案する予定になっていた。(中略)

シベリアから帰国した数ははっきりしておりいて50万人であるから、64万人が抑留されたとすれば、14万人が殺されたことになる。 105万人であれば55万人が殺されたことになる。(中略)

ポツダム宣言の方が、近衛文麿という自国の元首相よりも、日本の国益をはるかに守ったものとなった事実は、大東亜戦争が祖国日本に叛逆する悪魔の戦争だったことが分かる。

「祖国日本に叛逆する悪魔の戦争」を仕掛けたのは、真正の共産主義者・近衛文麿であったというのが、政治哲学者の中川八洋の説である。



また、広瀬隆の『持丸長者(戦後復興編)』(2008年)から引用

1945年8月22日に内閣が設置した終戦処理会議は、総理大臣・東久邇宮成彦(ひがしくにのみやなるひこ)、外務大臣・重光葵(まもる)、国務大臣・近衛文麿(このえふみまろ)、陸軍大臣・下村定(さだむ)、海軍大臣・米内光政(よないみつまさ)、参謀総長・梅津美治郎(よしじろう)、軍令部総長・豊田副武(そえむ)より成り、内閣書記官長・緒方竹虎が幹事をつとめ、8月31日に、「在外邦人は現地にて共存」、つまり帰国させないと決定したのである。


この後外務大臣はすぐに吉田茂に代わり、吉田がこの政策を推進する主役となって、右腕の白州次郎を使ってGHQと折衝したのだ。

そのとき彼らは、この決定に基づいてGHQに対して、在外邦人を満州や中国、朝鮮の現地に定着させるよう積極的に要請し、一般人の切り捨てを具体化するという許しがたい行為に及んだのである。 この事実は日本の外交文書に明記されている。





英米も不思議がる近衛の作戦


近衛文麿(1891-1945)54歳没   第38-39総理大臣

近内閣閣の今でいう官房長官である風見章は元朝日新聞の幹部の共産主義者、さらに厄介なことに近衛文麿は当時NHK総裁であり、メディアを牛耳っており反体勢力を黙殺できる立場にありました。 

近衛内閣にはソ連のスパイが暗躍していて、ドイツの情報を入手し、日本をアメリカとの戦争を仕掛けるよう動いていたことは明らかになっています。

日本に潜伏しスパイ活動を行っていた、後に逮捕されたソ連のスパイであったゾルゲ(ドイツ人: 国家社会主義ドイツ労働者党員、ソビエト連邦共産党員)もそうですね。

風見章(かざみあきら)はゾルゲ諜報団の一員であった事もwikiで紹介されています。 wikiゾルゲ参照。


実は、第二次世界大戦ではアメリカのルーズベルト大統領も社会主義者/共産主義者で、政権内にも多くのソ連からのスパイや共産主義者で固められていたことは有名ですね。 

ルーズベルトの奥さんのエレノア夫人がソ連のスパイ・共産主義者と不倫していたくらいですから。 これについては別途詳しく紹介します。


当時、ドイツとソ連は戦争状態にあったので、同ドイツとの同盟国である日本が、ソ連に宣戦布告してソ連をドイツと日本で挟み撃ちにすれば絶対勝てたのです。

アメリカと戦争しては絶対いけないと当時の軍部も提言していましたが、近衛文麿に握りつぶされたのです。 

そして近衛文麿の独断で真珠湾を攻撃する作戦が決まり、日本はドツボにはまってしまったわけです。 



敵国であった英国のチャーチル首相、ウェデマイヤー米国章軍も、自身の回顧録で、
「日本が勝者となれる唯一のチャンスは、独ソ戦勃発時にソ連を攻撃し、ドイツと組んで挟み撃ちにすること」と述べています。

まったくもって正論です。


近衛文麿は東京裁判の前に、昭和天皇に、自分はある勢力に操られたと書いた上層文を提出しています。

無実を訴えたかったわけですが、しかし裁判を前に青酸カリを飲んで自殺しています。 

誰もが不思議に思うのがそのような「近衛の上奏文」まで書いておきながら、なぜ自殺する必要があったのでしょうか?


それは、連合国にとって都合の悪い情報だからと考えるのが普通でしょう。 
おそらく東京裁判前に暗殺(毒殺)されたのでしょう。 

東京裁判では「近衛上奏文」が紹介されることすらありませんでした。


誰が毒を盛ったのか? 身近にいる人にしかできませんよね。

明治維新では、尊王攘夷の急先鋒だった孝明天皇がヒ素により毒殺(明治天皇の玄孫の武田先生は日本にはなく、欧州ではよくあった、血を吐いてのヒ素中毒の症状だったとYoutubeでも言い切ってますね)誰が毒を盛ったか? 

身近にいる長州勢しか考えられないじゃないですか。 尊王攘夷葉の連中が、知らぬ間にロスチャイルドが背後で支配する大英帝国信者になっているのですから。どこが尊王攘夷ですか?




皇族・竹田宮恒徳王の代わりに戦争責任を取らされ、シベリア抑留を経て、第出生した瀬島龍三

瀬島は、シベリアで抑留され、帰還して44歳で伊藤忠商事に入社し、大出世を遂げます。 

右翼の黒幕と呼ばれる児玉誉士夫 などと結びつき、岸信介らと韓国やインドネシア賠償ビジネスに手を染め、出世の階段をものすごいスピードでのぼります。


1960年7月 航空機部長
1961年10月 業務部本部長
1962年5月 取締役
1963年 常務取締役
1968年 専務取締役
1972年 副社長


岸信介や矢吹一夫らが台湾の蒋介石と太いパイプがあり、「国策研究会」の会長が岸、理事長が矢吹、そして瀬島もメンバーとして入ります。 


これが今日まで続く岸信介~安倍晋三、安倍派議員とのつながりです。

伊藤忠が台湾との関係を深めていくのは岸内閣の次の池田勇人内閣の頃です。

国策研究会は国防問題を中心に集まった右翼とされる団体で、この団代に後に首相になる福田赳夫も言っています。

またこのグループは北朝鮮出身の文鮮明の統一教会とも深い関係にありました。統一教会=国際勝共連合主催の「世界言論人会議」(第7回、1984年)の世話人も瀬島は務めています。



最古参教団元幹部が初証言/安倍家三代と旧統一教会【12月28日(水)#報道1930】
https://www.youtube.com/watch?v=MvQ03QVerGc









何故、統一教会が反共産党かと言えば、当たり前です。中華民国(中国)の国民党であった蒋介石は、共産党の毛沢東と戦っていたからです。

日中戦争は日本と蒋介石の国民党が戦っていたのです。 結局は共産党の毛沢東が勝利し、蒋介石は台湾に逃げたのです。


瀬島は行政改革を訴える正義の士のような顔をし続けましたが、その生涯を通じて伊藤忠のために兵器商人として働き続けました。

矢吹一夫は革命家・北一輝の弟子で、岸信介も北一輝の思想に心酔していました。 国策研究会は矢吹が作った国粋主義の組織です。 

矢吹は、金大中事件でも活躍、田中角栄とも交流がある親中派です。



岸信介・安部晋三が愛国保守?冗談もほどほどに。 売国保身の政治家です。永田町では、2~3流大学卒の2世議員のことを「アホボン」と呼ぶそうですが、安部晋三も陰でアホボン安倍と言われていました。

民主党(現在、立憲民主党)の小西議員が、安倍に知っとるか?とか国会でおちょくっていたのを覚えていると思いますが、東大卒の小西が馬鹿に仕切っていたのです。 

安倍さんが亡くなると、その矛先は高市早苗に向かい、国会で馬鹿にされていたのです。



A級戦犯だった岸信介は、満州国での盟友・東条英機がA級戦犯で、絞首刑になるのを横目に、GHQに尻尾を振り、巣鴨刑務所から解放され、首相にまで上りつめました。

日本軍を解体したのは岸信介政権です。 これが日米安保。 安全保障を握られた日本は、以後、すべてアメリカの言いなりの属国と化しました。



その見返りに、岸信介~安部晋三は、GHQの反日プロパガンダ機関であった、日本のTV・メディア業界を牛耳る『電通』を使って、愛国保守のようにアメリカが捜査していただけの話です。 

そして岸は満州利権のひとつであった統一教会(創始者は北朝鮮出身の文と癒着。

不法な金集めを日本国民から収奪し、その金で選挙を有利に進める構造が出来上がり、岸~安部の派閥に入れば選挙で当選させてくれるので、あさましい政治家たちが集まってきたのです。

統一教会との関係は岸信介からです。
 

202年7月8日に安部元首相が統一教会に恨みを持つ信者の息子からの凶弾に倒れ、この臭い構造に蓋するものが亡くなり、電通から逮捕者、さらに統一教会の不正が次々に暴かれているのが現状なのです。

Wikiで『電通』を検索してごらんなさい。安部晋三と以下に癒着してきたか詳細に記述しています。



岸信介以来の満州利権(中国・台湾・韓国・北朝鮮)を引き継ぐ安部晋三は、日本を露骨に侵略してくる『習近平主席』を国賓で招待しました。普通の国なら国家反逆罪です。

 

そして米中覇権戦争の最中、2016年安部政権下で総務大臣に就任した高市早苗は、孫正義率いるソフトバンクと癒着しHuawei基地局を大量導入。 

挙句の果てはSWIFTドル体制を崩す中国版SWIFTを安倍政権は導入し、未みずほ銀行、三菱UFJ銀行は既に採用しています(2019.7.2日本経済新聞)。  

親中になびく安倍政権を、ジャパンハンドラーの米シンクタンクCSISが公然と非難した直後、安倍首相は健康を理由に電撃辞任。安倍さん入院もせずに元気でしたけどねw


そして、菅政権の誕生となりました。 
以後、菅・岸田政権は、ご存じの通り、親米・反中政策です。


安部元首相の暗殺については不可思議な事が多く、素人の山上容疑者の手作りお粗末な銃ではなく、真犯人はプロのスナイパー説が、ちまたでは有力です。 

ちょうど、安倍さんは電撃辞任した後、反中の発言が多くなり、9月に台湾訪問を予定していたこと子でした。なので、真の暗殺犯はアメリカのCIAか、中国だろうという説が有力です。



私はCIAが怪しいと思っています。 何故なら、安倍さんは再び首相に返り咲こうと意欲を見せていた時期であり、アメリカにとっては重要な軍事情報を中国にリークされる可能性があるからです。 

銃で暗殺されたと公式報道している割には手術した病院で弾が見つかっていとの事。 こんなことあり得るわけがありません。 弾がアメリカ製であることが分かり日本政府はあわてたのではないでしょうか。 

とにかく、自国を露骨に侵略してくる敵国のTopを国賓で招待する安倍は、愛国保守であるわけがありません。 世界史にも古今東西、ほとんど例がないのではないでしょうか。 



伊藤博文、山形有朋、桂太郎、寺内正毅、田中義一、岸信介、佐藤栄作、安部晋三など、山口県から8人の首相が排出されていますが、明治維新の長州派閥です。 

ロスチャイルドが背後にいる大英帝国、またユダヤ人に操られているアメリカ。

そして、薩摩の明治維新の功労者の大久保利通を祖にもち、吉田茂を祖父にもち首相経験もある麻生太郎。 

安部・菅・岸田政権でしっかりと副首相をつとめ財務大臣の座を手にしています。 日本銀行を設立したのが薩摩出身の松方正義で、

明治政府ではフランス滞在中に、松方はレオン・セイの紹介により、パリ・ロうチャイルド家第二代当主アルフォンス・ド・ロチルドと面会し深い関係を持っています。


また麻生太郎の実の妹は皇族に嫁ぎ、実の娘はロスチャイルド・パリ家の御曹司と結婚していることが報道されています。 

水道民営化を声高に推進していた麻生太郎ですが、安部政権下でロスチャイルドGrの水会社VEOLIA社が安倍政権下=麻生副首相下で採用されました。 

未だに、日本は明治維新の薩長土(吉田茂は土佐出身)、そしてユダヤ系金融財閥ロスチャイルド、そしてロスチャイルドの茶坊主であるゴールドマンサックスに支配されているのです。 

愛国保守の政治家? 操られて愛国保守のプロパガンダしてもらっているだけの話ですよ。 信じてはいけません。

やっている事の多くは国際金融財閥に尻尾を振り、彼らの保身のための政策、そしてその利権の一部にあさましく群がっているだけの話です。




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ロスチャイルド財閥-149 ソ連軍による満州帝国侵攻

2022-12-27 09:24:06 | 国際政治・財閥


1945年8月9日 ソ連軍の侵攻



以下、『満州帝国が分かる本』 著者太平洋戦争研究会 PHP文庫、2004年12月17日第1版第1刷
印刷所・製本所 大日本印刷株式会社、政策協力PHPエディターズ・グループ  から引用。



ソ連軍の侵攻と残留孤児そして残留婦人など

満州帝国は、1945年(昭和20年)8月9日、ソ連軍による侵攻を受けた。 その瞬間から各地の日本人開拓団は、ソ連軍と中国人によって追われる立場に逆転した。 着の身着のままの開拓団集団は、ソ連軍と中国人にいたぶられ、もてあそばれる立場に逆転した。あまりにも悲劇の事件が多いが、辛うじて生還した人たちによってその一部は記録されている。 その極いくつかを見ておこう。

◎麻山(まさん)事件
8月12日、東安県朝山での集団自決事件。 自決者は465人という。 彼らは鳥寧県蛤達河(けいねんけんはたほ)開拓団1000人のなかの一つにまとまったグループのほぼ全員だった。 逃避行のさ中に、ソ連軍と旧満州軍に挟み撃ちにあい、絶望のあまりの集団自決であった。 (中村雪子『麻山事件』) 


◎葛根廟(かっこんびょう)事件
8月14日、興案県興街のラマ教寺院葛根廟に入った開拓団約1300人が、ソ連戦車部隊によって攻撃され殺戮された事件。 

ほとんどが婦女子だった。(読売新聞大阪本社社株編『新聞記者がが語り継ぐ戦争(5)葛根廟』)


◎佐渡開拓地事件
8月25日、三江省勃利県(さんこうしょうぼつりけん)にあった佐渡開拓団跡地に、別の13、14の開拓団が非難途中に集結した。 約5800人いたという。 そこへソ連軍戦車隊が襲い掛かり、蹂躙殺戮(じゅうりんさつりく)した。 犠牲者は3700人以上といわれる。


◎ハルピン忠霊塔(ちゅうれいとう)事件
ハルピンまでようやくたどりついた浜江省阿城県(ひんこうしょうあぎけん)天理開拓団の男性78人が、ソ連兵に連行され一切の弁明も許されずに集団銃殺された。 

同開拓団は1100人をこえる集団をつくっていたが、1946年(昭和21年)4月(日本降伏8ケ月後)までに402人が死亡した。 虐殺された男性以外の死因は栄養失調である。



◎600人集団自決
北安省綏稜県(ほくあんしょうすいりょうけん)稲穂村開拓団と同県東瑞穂開拓団、同県布施郷開拓団は周囲の中国人の度重なる掠奪・虐殺に耐えかねて集団自決した。 

その数は約600人で、開拓団の集団自決としては最大といわれる。 

「『この上、生きて彼らの玩具となるより、いっそ自決すること。 ただし身体強健なるものは生き延びて村所期の目的達成に努力すること』に決したり。よって各宿舎に毒薬を配布し、決定事項を申し渡したのは(1945年昭和20年9月)17日午前2時なり。服毒自殺せる者男女合わせて約600名」(合田一道『開拓団壊滅す「北満農民救済記録」から』所収)


女性は年齢に関係なくソ連将兵の女狩り・強姦の対象になり、そのあと部隊付きの慰安婦とされる者が少なくなかった。 

開拓団ではないが、日赤看護婦として満州帝国に派遣され、敗戦で長春(ちょうしゅん)のソ連軍病院で働いていたグループがあった。 

そのなかから、近在のソ連軍病院救護所の要求に従って6人が派遣された。 どころがこの看護婦たちは、実は慰安婦とされていたのだ。 そのことが判明して、残る看護婦22人が抗議の集団自決を行った事件もあった。(越智宏倫『写真と実録で綴る戦争という地獄』)。

こういう過酷な運命にさらされて、幼い子供を農民に預けたり、買いたいと申し出る農民に売ったりする人も多かった。 子連れのまま中国人の妻になった人もいる。

そのようにして幼くして中国人として育てられた人たちが中国残留孤児である。 

彼らの日本への帰国は、かつて自分も開拓団員として満州帝国にあたって帰国した山本慈昭氏(故人)が政府に訴え続けて、1981年3月にやっと実現した。 以後、今日まで日本人として確認されて帰国した残留孤児は約2500人である。

また、「敗戦当時13歳未満で親と離別して身元が分からない残留孤児を除く中国残留邦人を」『残留婦人等』と呼んでいるが、その資格で日本に帰国できた者は、これまでに約50000人である。 

しかし、それですべての残留孤児や残留婦人などが願いかなって帰国できたわけではない。
 

身元調査が始まり、帰国が始まってから30年近く経つが、なお帰国がかなわぬ者もすくなからずいる。 

2004年7月22日付『朝日新聞』が報じた「『私は日本人』訴え続け/両親と中国へ 帰国求め21年」で紹介された梁延文(中国で登録している外国人登録では花井勝一。黒竜江省樺南県大八浪郷仏豊村在住)のようなケースも依然として残されているのだ。

これは日本人だと再三訴えても、厚生労働省は本人申し立ての中国に渡る前の戸籍などが確認できないとして、援護の対象から外しつづけてきたケースという。

最近になって同省の現地調査で、「日本人の証となる種痘のあとを確認した」ので、「中国政府から、本人が日本人だという正式な証明書を出してもらえれば、帰国を支援したい」という段階まで進んだ。


敗戦のとき、満州帝国には155万人の日本人がいたという(関東軍は除く)。 敗戦の混乱で、開拓団を中心に約25万5千人が死亡したとされ、敗戦直後に104万人が帰国した。 

その後、中華人民共和国が成立したのち民間レベルで計3万人強が帰国した(前出2004年7月22日付『朝日新聞』)。 

これで計算すると、仮に残留孤児や残留婦人等で帰国した人たちの合計が1万人としても、21、22万人の日本人が残っていなければならない。 実はそのへんの実態がよくわからないという。

ただし、戦史業書『関東軍<2>』には、大本営作戦課長だった天野正一少将の回想のなかで、「(日ソ)会戦に先立ち132万余の遺留民・・・云々」という表現がある。

つまり、敗戦のとき満州国にいた日本人は132万人余りだったというのである。 

これを基礎に計算すると、もうほとんど在留日本人は中国東北地方(かつての満州国)にはいないということになる。 先の「私は日本人・・・」の訴えは、はたして、その最後の訴えということになるのだろうか。

 


シベリア強制連行・抑留者の強制労働補償要求

満州帝国は1945年8月9日、ソ連軍の侵攻を受けた。 それから1週間目に日本の連合国への三条件幸福となった。 

全戦場の日本軍人は戦犯裁判で逮捕されたものを除き、原則として速やかに日本へ送還された。ところがまったく事情が異なっていたのが、ソ連軍の捕虜となった関東軍の小⒢兵だった。

強制連行されたのは、正しくは北緯38度から以北の日本軍将兵であり、北朝鮮にいた関東軍でない将兵も含まれていた。

さらには千島列島の最北端・占守島(しむしゅとう)で日本人が無条件降伏した翌日から侵攻してきたソ連軍と戦った日本軍将兵も、同じく強制連行され、強制労働に従事させられた。 

強制連行された総数は日本政府の出しているものでは、57万5千人といわれるが、実際はもっと多く65万人とかいや70万人近くいたのではないかともいわれている。

ラーゲリー(シベリア抑留の収容所のこと)はシベリア各地はもとより、モンゴル国、カザフ共和国、ウズベク共和国と広範囲に及んだが、とくに極寒のシベリア各地では暖房設備が貧弱で、そのうえ食糧が極端に乏しかったので、栄養失調で生命を落とす者が多かった。 

強制労働は、鉄道建設、森林伐採、鉱山採掘、発電所建設、石油コンビナートでの労働といろいろだった。


肉体的苦痛のうえに追い打ちをかけたのが、「民主運動」という名の反動分子の摘発だった。 ソ連は、主義とするところのプロレタリアート民主主義や人民主義を押し付け、従わぬ者をつるしあげ懲罰し、投獄した。 

こうした民主運動は、それに全面的に賛同する日本人の組織化をはかりつつ、日本への憎悪と、ソ連とスターリン(当時のソ連独裁者)個人への賛美を強制した。

ソ連側はそういう運動へ積極的に参加することが、帰国を早める条件であるかのように指導したのである。 

そして、日本へ帰国後は、「ソ連のために銃をとる」との心境になるまで追い詰めたという。 だから、ついにはスターリンへの感謝決議文まで提出するラーゲリーもでたほどだった。

日本政府が、いっこうに帰ってこない関東軍将兵が、じつはシベリアに強制連行されたという事実をつかんだのは、敗戦の年の11月になってからだった。 外交権がなかったので、アメリカを仲介としてソ連に早期帰国を迫った。 ソ連は最初、「そんな」日本人はいない」とシラを切っていたが、やっと第一陣の帰国が実現したのは敗戦から1年4ケ月以上もたった1946年12月だった。

以後2回ほど中断して最後の帰国団を乗せた輸送船が舞鶴に入ったのは1958年(昭和33年)9月だった。敗戦から13年以上がたっていた。 

シベリア抑留中に犠牲になった日本人は、ソ連が崩壊したあとロシア大統領になったエリツインが、日本政府に提出した名簿によると6万1805名である。 犠牲者で名簿に載っていない人も少ないであろう。



こうした犠牲者がすべて墓地に埋葬されたわけではない。また埋葬されていてもどこであったか、いまでは分からなくなっているケースが多いという。 

「旧ソ連に点在していた日本人捕虜用の収容所が2千個以上と推定されているのだから、死亡者を埋葬した箇所が1千個以上と推定しても決して多い数ではない」(高橋田大造「シベリア抑留 6万余の志望者はいま/極東シベリア墓参報告『別冊歴史読本』戦記シリーズ「た太平洋戦跡異例総覧」特集号所収。 

高橋氏は「ソ連における日本人捕虜の生活を記録する会」代表だったが、物故された)と考えられている。



犠牲者埋葬地のなかには地元民の献身的な努力で見事に管理されているところも少なくない。 しかしシベリアに多い山火事の影響で場所が分からなくなったり、場所が分かっているがすっかり荒れ果てているところもある(コムソモリスク・ナ・アムーレ市)。 

日本人の骨が埋まっていることは分かっていたが、あまりに多いので発掘は費用がかかるとして、そのままビルを建ててしまったらしい。

「ソ連における日本人捕虜の生活を記録する会」墓参団の講義に市は謝罪し、市街地に合同で鎮魂の碑を建てたという。 



こうしたシベリア強制連行・抑留者で、犠牲となった人々の慰霊・遺骨収集も政府の手によって続けられている。 

DNA鑑定による特定も試みられており(2000年11月21日付『読売新聞』)、こうした努力はまだまだ続けられるはずだ。

シベリア強制連行・抑留者のなかで、生還出来た人々が、現在、最も力を入れていることは、シベリアにおける強制労働に対する補償要求である。 

ソ連崩壊後、ロシア政府は労働証明書を原則として発行するようになったが、それをもとにして日本政府が『労賃』を支払うよう求めている。



南方戦線で米・英などに降伏した日本軍将兵で労働に従事させられたものに対しては、すでに日本政府から『賃金』が支払われたのに、なぜシベリア抑留者だけが無視されるのか、というわけである。 

金額の多寡(たか)ではなく、「ご苦労様でした。 皆様の払われた犠牲を日本政府は決して忘れてはおりません」という、象徴的な支払いを求めている雰囲気もある。

2004年7月に行われた参議院議員選挙の立候補者に、全国抑留者補償協議会がアンケートした結果では、6割以上が救済のための立法が必要と回答しているから、この問題は遠からず解決するのではなかろうか。

                                           以上


                               


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ロスチャイルド財閥-148   1945年4月30日  ヒトラー自殺

2022-12-27 02:38:25 | 国際政治・財閥


1947年7月に撮影。総統官邸の庭園に面して総統地下壕の入口がある。総統アドルフ・ヒトラーと夫人エーファ・ブラウンの遺体は地下壕入口の左側に掘られた穴で焼却された。中央にある円錐状の構造体は警備員の待避壕として用いられた。




アドルフヒトラーの自殺

日本が連合軍に無条件降伏する約4ケ月前の1945年4月30日、ナチス・ドイツの指導者、アドルフ・ヒトラーは自殺した。ソ連軍が総統地下壕に迫り、攻撃を始めるまで、あと2日を残すのみでした。1945年の早春、ヒトラーは窮地に陥っていた。ソ連軍は東から首都ベルリンに迫り、米英は西から進撃してくる。包囲網は閉じつつあったが、冷酷なナチス指導者は降伏を望まなかった。

「羊のように屠られるのは我々にふさわしくない」。ヒトラーの伝記作者、ヨアヒム・フェストは、彼の演説から引用している。そしてフェストは、最後の数ヶ月間になっても、ヒトラーの「スタイル」はある程度残っていたと付け加えた。すなわち、非妥協的で、残虐で、ワグネリアン風の物々しいスタイルは。

にもかかわらず、ヒトラーは終わりが近づいていることを悟っていた。1945年1月から4月の自殺まで彼は、総統地下壕で生活していた。これは、ベルリン都心の総統官邸の中庭に造られていた。連合国はベルリンに激しい爆撃を加えていたから、ヒトラーは地上にはほとんど出てこなかった。地球に災厄をもたらした最も不吉な男は敗北しようとしていた。「彼は無益な争い、暴力、回想で時間を浪費した」とフェストは書いている。

取り巻きが日々目にしていたヒトラーは、こんな風に見えた。めっきり老け込んで、ヒステリックで、手がぶるぶる震え(パーキンソン病という説がある)、際限なくケーキを食べるが(大量殺戮の張本人は、こんなありふれた方法でストレスを解消していたようだ)、「勝利をめざし」、「最後まで戦う」ことを宣言していた。



ソ連軍が迫る

だがその時までに、ドイツの勝利の希望は潰えていた――ヒトラーの頭の中は別として。4月9日、ソ連軍はケーニヒスベルクを奪取し、4月13日にはウィーンを占領。そして、その 3日後には、ベルリン攻防戦が始まった。 「両陣営合わせて350万人の兵士が戦った。第二次世界大戦の他のいかなる軍事作戦もこれほどの規模ではなかった。何と言ってもそれはベルリンだったから」。歴史家アナトリー・ダヴィデンコはこう言う。

 ドイツ軍は首都を守るために激しく戦った。戦車部隊を率いていたニコライ・ポーペリ(後に中将)は、回想録『前方はベルリン!』にこう記している。「ベルリンでは、我々は1メートル進むごとに血で贖わなければならなかった」と。事実、ソ連軍はベルリンの攻撃で8万人を失った。



万事休す

「地下壕では依然、人為的に楽観主義がつくり出されていた」と、4月20日についてフェストは述べている。これは、ヒトラーの56歳の誕生日で、自殺の10日前だ。ほとんどすべてのナチス幹部がベルリンから逃れたが、彼は留まっていた。 ベルリンの各地区が次々に失われていったにもかかわらず、ヒトラーはドイツ人に戦いを命じ、すでに消滅していた軍や部隊について話し続けた。

フェストの推測では、この最後の日々、ヒトラーの側近で最後の参謀総長だったハンス・クレープス大将は、ヒトラーに正確な情報を与えようとさえしなかった。ヒトラーが錯乱状態だったので、意味がなかったから。

「そこで、クレープスはヒトラーに、現実とは無関係の『戦争ゲーム』に没頭させておいたが、それは彼の妄想を考慮してのことだった」 にもかかわらず、現実の侵入を塞ぐことはできない。4月26日には、ソ連軍の爆弾が、文字通りヒトラーの頭上で、つまり総統官邸のなかで炸裂し始めた。

その2日後には、彼はこんなニュースを耳にする。彼の側近中の側近の一人、ハインリヒ・ヒムラーが、米英に降伏を申し出た。そして、ファシズムのイタリアの指導者、ベニート・ムッソリーニが敵に殺害され、遺体は逆さ吊りにされた、と。

  裏切られた!と臍を嚙み、自分が「モスクワ動物園の見世物」になることを恐れ、ヒトラーは自殺を決意した。



終幕
 
ソ連軍は地下壕から数ブロックに迫っていたので、ヒトラーは速やかに行動しなければならなかった。4月29日、彼は長年のパートナー、エヴァ・ブラウンと結婚した。これは極めて短い結婚だった。翌30日には、ヒトラー夫妻は青酸カリをのむために自室に入り、自殺しているから。ヒトラーは自殺には拳銃を使った。 アドルフ・ヒトラー 享年56歳


それから1週間もたたない5月5日に、アレクセイ・パナソフ中尉が指揮するソ連軍部隊は、ヒトラー夫妻の遺体が焼かれて地下壕付近に埋葬されているのを見つけた。ニュースはたちまち世界を駆け巡った。ヒトラーは死んだ! ソ連軍を率いたゲオルギー・ジューコフ元帥によれば、ソ連の独裁者ヨシフ・スターリンは、敵の死を知らされたとき、「我々が彼を生け捕りにできなかったのは残念だ」と言ったという。

だがニコライ・ポーペリが回想録に記しているところでは、ソ連軍兵士は概して、ヒトラーの運命そのものにはあまり関心がなかった。ポーペリは、総統官邸を占領した将校たちとの会話を思い出している。

「あの悪党は最後にうまく逃れました。焼けた肉と骨が残っていただけです」 「大佐、落胆するにはおよばない。我々は彼ではなく、勝利を目指してきたのだから!」 そして彼らは勝利を収めた。5月2日にベルリン守備隊は降伏。5月9日には全ドイツ軍が降伏した。ナチズムはその指導者と同じく死んだ。



・ロスチャイルド財閥-122 ヒトラーの幼少期(生い立ち)

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・ロスチャイルド財閥-123  ワイマール共和国、ナチス政権誕生

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