ンクリン・デラノ・ルーズベルト(Franklin Delano Roosevelt)1882-1945
アメリカ合衆国 第32大統領 FDRという略称でよく知られている。
任期 1933年3月4日 – 1945年4月12日
概説
世界恐慌および第二次世界大戦当時の大統領であり、20世紀前半の国際政治における中心人物の1人である。彼の政権下でのニューディール政策と第二次世界大戦への参戦による戦時経済はアメリカ経済を世界恐慌のどん底から回復させたと評価される。
ラジオを通じて国民との対話を重視した。歴代アメリカ合衆国大統領のランキングでの人気投票でほぼ上位5傑に入るなど、現在でもアメリカ国民からの支持は根強い。また、アメリカ史上唯一の重度の身体障害を持った大統領で、両足が不自由であった。
その一方で日本・ドイツ・イタリアの枢軸国勢力を敵視しマンハッタン計画を主導する一方で、ソビエト連邦最高指導者ヨシフ・スターリンに対する容共的な姿勢を取り、その侵略行為を黙認したことは後に批判の対象となった典]。中国に対しては中国人排斥法を廃止し、日中戦争の際に蔣介石を強く支持して莫大な軍事費の借款を行っていた上に、同国との利権も多かったために「中国びいき」と言われた。
生い立ちと家族
1882年1月30日、ニューヨーク州北部のハイドパークで誕生する。父のジェームズ・ルーズベルト(1828年 - 1900年)はデラウェア・アンド・ハドソン鉄道の副社長であり裕福な地主であった。
ルーズベルト家は1650年頃にオランダのハールレムからニューヨーク(当時はニュー・アムステルダム)に移住したクラース・ヴァン・ルーズベルトに始まる。1788年にアイザック・ルーズベルトがポキプシーで行われたアメリカ合衆国憲法制定会議のメンバーとなり、それは曾々孫であるフランクリンの大きな誇りとなった。
父親とともに
18世紀にルーズベルト家は「ハイドパーク・ルーズベルト」家(19世紀から民主党支持)と「オイスター・ベイ・ルーズベルト」家(共和党支持)の二つに分かれる。オイスター・ベイの共和党員であった第26代大統領セオドア・ルーズベルトはフランクリンの遠縁の従兄であった。両家は政治的な違いにもかかわらず、親交が続いた。
母のサラ・デラノ(Sara Delano, 1854年 - 1941年)はフランス系プロテスタント教徒(ユグノー)であり[注釈 5][要出典]、デラノ一族は阿片戦争の頃から中国(清)とアヘンを含む貿易を手広く行って財を為していた。
フランクリンは母サラの唯一の子供(大変な難産)として、再婚だった父ジェームズが54歳の時に生まれた。母違いの長兄ジェームズにはすでに息子があり、つまり父には孫より幼い息子であった。サラはフランクリンの幼少時のみならず、生涯、支配的な影響を与えた。
1911年10月11日、フリーメイソンに加入した。 wiki
ルーズベルトとスターリン、日独伊三国同盟そして第二次世界大戦
第一次世界大戦が終わり、アメリカに借金した大英帝国の覇権はアメリカに移り、アメリカは1920年代の黄金の20年代を迎えます。 日本も大正バブルで好景気を迎えました。
ロスチャイルド財閥ー86 アメリカ黄金の1920年代
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/1a6701bea73e96d31ca40eb9aa6ca851
ロスチャイルド財閥-89 大正バブル(第一次世界大戦景気)
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/04b93e99ce176648b9db4e38aaba74f6
ロスチャイルド財閥-94 大正バブル、大財閥、新規財閥の台頭、そして松方財閥
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/e856f8a3fc9821b7ab58ed7ac47acac6
ところが、1929年末になると、不意に市場が暴落し、自由世界はかつてない大恐慌に見舞われました。 南百万もの人々が貧困状態に陥り、何千もの人々が自殺。 経済を混乱させたとして失敗が非難されました。 その混乱によって、南百万もの困窮者を生み出す一方で、すでにドルベースで百万長者だった300人の人々を億万長者(ドルベース)にしたからです。
1925年、スターリンは産業5ケ年計画に着手し、いわゆるソヴィエト化された国家の国内復興を強化しようとしました。 この計画は天然資源を活用して原材料を有用な製品にすること、産業および農業機構を近代化することを目的としていました。 国際銀行家からの融資でまかなわれたこの壮大な5ケ年計画は、ロシアの発展とドイツへの会戦への期待感と相まって、ソヴィエト経済を活気づかせました。
実際、ロシアの支配者には何百万もの人々を奴隷のようにコキ使うことができたから、彼らには、賃金労働者を雇いつつ、高い生活水準を維持する国家をコントロール」するだけの強みがあったわけです。
次の一手は農業の集約化でした。 何世紀もの間、ロシアの農奴は地主の奴隷とほとんど変わりませんでした。 レーニンはピョートル・アルカディエヴィッチ・ストルイピン首相によって1906年から1914年にかけて実施された温情ある政策で保証された以上の譲歩を約束することで、農奴の支持を取り付けていました。
ストルイピンの時代には200万人以上の農夫家族が農村共同体(ミール)を離れて自作農となりましたが、1916年1月1日にはその数は620万人家族に膨れ上がっていました。
しかし、産業振興プログラムのために「行った貸し付けの支払いを確保しようと、国際銀行家はソヴィエト化された諸国家の輸出入を管理することw主張するとともに、農業の生産性を大幅に向上させる唯一の方策として農場の集約化を要求しました。
この命令をスターリンが実行したとき、何が生じたかは歴史が示す通りです。 彼は農夫をその法律に従わせようとしたその非道な行為で、一人の人間として、常に非難を浴びてきました。 50万の農夫が、従うことを拒否したり、命令を逃れようととしたとして、処刑されたり強制労働させられました。
また、一般には知られていませんが、ロシアの農夫から没収された穀物は、国際銀行家の代理人によって、カナダおよびアメリカ合衆国以外で買い上げられた大量の穀物と共に備蓄されました。 穀物ばかりでなく、アルゼンチンはじめ食肉生産国では加工肉、冷凍肉の在庫が大量に買い占められました。 カナダおよびアメリカ合衆国は生産した食肉、穀物の販路を失いました。
1920年から1929年にかけて、国際銀行家はイギリス、カナダ、アメリカ合衆国以外のほとんどの国の海運業を抱き込みました。その海賊的行為の結果、イギリス、カナダ、アメリカ合衆国船籍の船が他国の商船と競うことは不可能となりました。 何千隻もの船舶が自国の港につながれたままとなり、輸出業はかつてないほど落ち込みました。
連合国からの輸出の減少は、ドイツ、日本、中央ヨーロッパからの低コストで生産された輸入品の増加を現出しました。 カナダの賃金労働者8人のうち5人は、そこそこ豊かに暮らすためには、直接的にしろ間接的にしろ、輸出業の結果としてその賃金を得なければなりません。 それ故、輸出業の落ち込みは、人口の8分の5の購買力の低下から、すぐに景気後退につながり、そのまま、さまざまな種類のサービスを提供して生計を立てている人々に影響します。輸出業が低下したままであれば、景気後退が恐慌へと悪化するのは必定です。
その基部構造を根底から揺さぶられた連合国経済にダメ押しの一撃を与えるために、穀物と食肉を買い占めた人々は、世界中の市場でその在庫を、アメリカ合衆国、カナダ、オーストラリアで生産されたものの価格以下でなげうるを始めました、 この行為によって、第一次世界大戦時に連合国と称した国家の穀倉は売れない穀物であふれかえり、それ以外の国家では穀物不足、食肉不足から人々が餓死していきました。
イギリスは海運業から年間8500万ポンドを稼いで、年間の貿易不均衡を相殺しなければなりません。 だから、不公平な競争によって、その相殺資金を稼ぎ出すことが出来なくなった時の衝撃は清国でした。 イギリスの人々は最も安い市場でパンや肉を買うことを余儀なくなされました。
国家的陰謀を指揮する人々だけが、この人為的経済混乱を利用して、英連邦のさまざまな構成組織のなかに深刻な誤解を生じさせ、帝国の絆を弱体化させようとしました。
この経済戦争の結果として、連合国あるいは資本主義国家の海運業、産業、農業といった活動は実質的に行き詰りましたが、ソヴィエト連邦および枢軸国はフル操業を続けました。
ここでも忘れてはならないのが、世界革命運動を計画する人々は、戦争は経済停滞に終止符を打ち、まだ支配されていない国家での革命運動の道を開くという原則に基づいて常に活動するということです。
よって、彼らが願ったときに第二次世界大戦が引き起こされるよう国際的出来事を手配するすることは、その長期的計画の実現のためには、何が何でも必要でした。
蓋を空けれが西側諸国は戦勝国のアメリカ、イギリス、フランス、そして敗戦国ドイツの経済はボロボロ。 スターリン率いる祖ヴィエトの一人勝ち。 独裁共産主義政権を利用し世界統一政府を狙う国際金融資本家たち。
アメリカのルーズベルト政権の中には多くの共産主義者たちが、潜入。 ルーズベルト大統領とスターリンは蜜月。 世界は一気に共産化に向かいました。 そして共産主義者と戦う日独伊三国同盟のファシズムが対峙するという構図が出来、国際銀行家たちが陰で暗躍し、第二次世界大戦に向かうことになります。
ところで、ルーズベルトは、フランクリン・デラノ・ルーズベルトが本名。 母親サラ・デラノの家系であるデラの一族は。19世紀から中国・阿片貿易などで財を成した一族です。 彼らは中国から苦力(クーリー)と呼ばれる労働者を大勢連れてきて、アメリカ大陸横断鉄道建設の労働者とし、酷使しました。
奴隷同然の過酷な労働させるため、阿片も使われたことが明らかになっています。 阿片と中国人労働者の輸入に関わっていたのが、ウォーレン・デラノという、フランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領の祖父です。
このデラノ家の巨額な財産を相続したので、フランクリン・ルーズベルトは大富豪でした。 親中なのは当たり前ですね。
中国でのアヘン貿易を仕切っていたのが大英帝国のバックのロスチャイルド財閥、サスーン財閥、ジャーディン・マセソン財閥ですが、アメリカもラッセル商会というアヘン貿易会社を設立し、ブッシュ家・デラノ家・フォーブス家などは巨額の財を築きました。
アメリカの一般国民は第一次世界大戦と世界大恐慌で、戦争には辟易としていたので、当然戦争は大反対です。 しかしルーズベルト、スターリンと仲良しの英国チャーチルは、日独伊に勝利しようとアメリカ参戦を呼びかけますが、国内の世論は反戦・孤立主義なので、さすがのルーズベルトも簡単には戦争に参加できませんでした。
当初はドイツを挑発しようと手を尽くしますが、ドイツは賢いのでなかなか挑発には乗りなかなかそして日独伊三国同盟が利用され、何とか日本に一発撃たせようと画策し、お馬鹿な日本(明治維新以来政権を取っていたのは、低身分の集まりの長州勢力)です。 それが真珠湾攻撃、これに拠ろ雪崩を打つようにアメリカはヨーロッパ、東アジアの戦争に参戦し、本来関係がなかった日本は知らぬ間に日米戦争に巻き込まれ、東京大空襲、原発2発で撃沈。
焦土と化した日本は食べる物にも事欠き多くの子供たちが餓死する中、鬼畜米英と煽った、満州国は俺が作ったと豪語する岸信介はA級戦犯として牢獄へ、満州国の盟友・東条英機が絞首刑になるのを横目に、GHQに尻尾を振り、日本がアメリカの属国となる約束の下、釈放され、首相にまで上り詰めました。 当時の日本がどくのくらい酷かったかというと、フーバー元大統領が1946年に食糧援助の目的で5月上旬に来日し食糧状況を視察されました。
その時のフーバーの言葉、「食料に輸入がなければ、日本国民の食糧事情は、ドイツの強制収容所並みか、それ以下になるだろう」と訴えてマッカーサーに食糧援助を進言してくれました。
終戦直後の日本の政治家とRAA慰安所
一方、鬼畜米英と戦争を煽りながら、自分たちは身を安全なところにおいていた岸信介・笹川良一ら保守右翼とされる政治家らは何をしたか? 1945年8月15日の終戦後わずか3日後のRAAなる日本人女子をアメリカの白人兵・黒人兵相手の売春慰安所を企画。 当然売春という言葉は使わずお国のためにの復興ということで、日本人女性を新聞広告で集めようとしましたが、さすがの朝日新聞・毎日新聞も呆れて拒否。
しかしながら計画は実行され、お国のための復興と鬼畜米英と洗脳された女性たちは、その実態に驚きます。 然し食べる事にも事欠く日本、生きるすべのない戦争未亡人、若い女性たちは裸電球1個の下で、政府が運営するRAAに1日に何十人も客を取らされ、気が狂う女性たちも現れました。
岸信介・笹川良一らは、彼女らが稼いだ外貨(ドル)でGHQの接待、そしてGHQと贅沢の限りを尽くしました。 それが戦後、自民党設立時の原資となったようです。
またGHQの幹部に尻尾を振り、ケーティスには身分の高い鳥尾子爵夫人まであてがう始末。鳥尾夫人は後に銀座に「マダム鳥尾」の店を出しますが、安部晋太郎(安部晋三の父親)は毎日のように通っていたことも記録されています。
RAAは皮肉にもアメリカの女性・人権団体や、キリスト協会らによって、1946年3月にGHQの命令で廃止されました。
「占領国のために被占領国が自らいち早く自国の婦女子を集めて売春させる慰安所を作ったという例」は、世界でも例はほとんどない恥ずかしい事のようです。RAAのあった場所が「赤線地帯」として戦後も残りました。
RAAが解体され、華族の女性を手駒にしていた楢崎渉。GHQの高級将校を下半身から丸め込んだ楢崎書記官長「接待部長」は大出世を遂げ、「無任所国務大臣(各省大臣と同格)に任命されました。
本当に反吐の出るような話ですが、これらの一級資料はスタンフォード大学フーバー研究所に一次資料として保管されていたものが公開され、西教授らが翻訳してくれ公開されました。 その一部は本となり、私も持っています。 700頁もある高価な本ですが、一応紹介しておきます。
『占領神話の崩壊』 西鋭夫・岡崎匡文著、中央公論新社 発行
満州国や、これら腐れ共の情報については、実名を挙げて別途詳しくこのBlogで紹介する予定です。
このドアホらが!
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