エドワード・ヘンリー・ハリマン(Edward Henry Harriman) 1848年 - 1909年
1853年にペリーが来て、無理やりに開港させられましたが、日米関係は、決して悪くはありませんでした。
先進国である欧米へのあこがれもあり、1868年(明治元年)に最初の移民150人がハワイに行き、さらに本土のカリフォルニアも渡り、長年に渡って日本からの移民を受け入れてくれています。
日本はイギリスの代理人として、日清戦争(1894ー95年)に勝利し、日露戦争(1904ー1905年)に勝利しますが、日露戦争ではロスチャイルドの親戚のシフ(クーン・ローブ商会)やロスチャイルド・ロンドン家とパリ家に戦争国債を購入してもらうことが出来、なんとかギリギリで勝ったようなものでした。
ですから、日露戦争が少しでも長引けは、日本は負けています。 日本の資金も底をつき、ぎりぎりのところでアメリカが仲裁してくれ、ポーツマス条約を結ぶことができ、戦勝国となっただけです。
いうまでもなく、日英同盟を結んでいたイギリスとの関係も良好です。
だからポーツマス条約では賠償金をることが出来ず(賠償金ゼロ)、日露戦争で約9万人の戦死者をだした日本国内では、暴動がおこったほどでした。
日本は日露戦争に勝利し中国の関東州と満州鉄道を租借しました。 すなわち借りていただけなので、それから四半世紀のうちに満州事変が起こされ、満州帝国が建国されました。
日本は関東州と満州鉄道を租借視した直後から、満州全域を日本のものにするにはどうすれば良いか日夜考えた末に、その帰結が満州事変であり満州帝国建国だったのです。
実は、この事が、日英同盟破棄、日独伊三国同盟、国際連盟からの脱退、英米を敵に回し、日中戦争からはじまり太平洋戦争(第二次世界大戦)に突入し、最後は日本本土は焦土と化し、挙句の果ては原子爆弾2発で、日本の国家というものがなくなるかというところまで追い詰められたのです。
岸信介は鬼畜英米と煽り、国民総動員で勝てるわけがない戦争に突入させたA級戦犯として投獄され、死刑になる筈でした。
岸信介は、満州国の盟友の東条英機が絞首刑になるのを横目に、日本と戦友を裏切り、GHQ(アメリカ)に尻尾を振り、アメリカの奴隷国家となる約束の下、釈放され死刑を免れ、自民党を設立し自民党総裁にまでなりあがり、事実上、日本はアメリカの植民地となったのです。
ちなみに日本の軍隊を解体し、日米安保の契約を行ったのは、岸信介政権です 。安全保障をアメリカに任せることで、以後、日本はすべてアメリカの言いなりにならざるを得なくなったのです。
アメリカが何故、日露戦争の帰結である日露の仲裁に入り、ポーツマス条約で協力してくれたのか? アメリカは満州利権に参加したかったのです。 鉄道王ハリマンは、それで満州鉄道の共同運営を提案してきたのです。
日本も、既に戦争をするのは限界であり、いつロシアが報復に出てくれかもわかりませんし、アメリカを味方につけていれば強いので、日本政府(桂太郎首相・井上馨・渋沢栄一)はもろ手を挙げて同意したのです。 これが桂-ハリマン協定です。
しかしながら、ポーツマス条約の交渉をしていた小村寿太郎が帰国し大反対します。 彼の言い分からすると9万人も戦死者を出し、賠償金もゼロ、それで慣習鉄道の権益も共同系というのは虫が良すぎると思ったのでしょう。 それで、日本政府は小村の意見を聞き、協定破棄の決定をします。
ハリマンが横浜から船に乗り、サンフランシスコ港に到着する直前に日本は協定の破棄を告げます。 ハリマンは協定の合意の報告をアメリカ政府に喜んで報告しようとしたところです。
電報があるので既に合意に成功したこの一報くらいは米国政府に打っていたでしょう。 恥をかかさせれたハリマンは大激怒。
日本政府は1906年1月、正式にハリマンに破棄を通知しましたが、ハリマン納得せず、在米特使の高橋を通じて撤回の要求をしますが、日本政府は撤回しませんでした。
ハリマンは高橋に対し、「いまから十年のうちに日本は、米国との共同経営をしなかったことを悔いる時が来るであろう」と語ったといわれていますが、その通りになりました。
明治維新、日清日露戦争の勝利は大英帝国/ロスチャイル、またアメリカのおかげというのを何を勘違いしたのか、調子こいたアホが集まる長州勢率いる明治政府は大きなミスをしでかしたのです。
ちなみに明治政府の陸軍は長州閥、海軍は薩摩閥です。
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