先端的な研究開発「ディープテック」に取り組むスタートアップの領域で、ベンチャーキャピタル(VC)のANRIの存在感が高まっている。鮫島昌弘ジェネラルパートナーは核融合や量子コンピューターで自らスタートアップの立ち上げにかかわる「カンパニークリエーション」を手掛ける。成果が出にくい領域でも、息長く投資することを信条とする「異端児」の姿を追った。
ANRIの鮫島氏は「VCが産業をつくる必要がある」と指摘する
「ジャパニーズ・ダイナミズムを生み出したい」。鮫島氏がベンチマークとしているのは、米VC大手のアンドリーセン・ホロウィッツだ。
同社は米エアビーアンドビーやスラック、スカイプなど世界的に著名なスタートアップに投資してきた。運用資産は350億ドル(約5兆円)にのぼり、2022年には米国経済のさらなる底上げを狙って、「アメリカン・ダイナミズム」というビジョンを打ち出した。
デカコーン狙う
「日本のVCも、産業そのものをつくっていく必要がある」。
鮫島氏が投資を通じて支援したいと考えているのは「ユニコーン」(企業価値が10億ドル以上の未上場企業)ではなく、さらにその先の「デカコーン」(同100億ドル以上)だ。世界では「TikTok」を運営する中国のバイトダンス、イーロン・マスク氏が設立した米スペースXなどがデカコーンだが、日本では例がない。
これまで日本のVCはユニコーンの創出を一つの目標としてきた。しかし「1000億円を目指していると、200億〜300億円で力尽きてしまう」(鮫島氏)。そこで目標を高く設定することで「1兆円を目指している間に、自然と1000億円も見えてくる」との発想に至った。
デカコーンを生み出すため、鮫島氏が注目するのがディープテックだ。研究開発にかかる資金が莫大で利益を生み出すまでに創業から10年以上かかると言われている。だが、言語の壁にはばまれないため、グローバルの市場で製品を展開でき、巨大企業に成長する可能性が高い。
楊氏(前列㊥)はANRIの鮫島氏(後列㊧)や大阪大学の藤井教授(後列㊨)らと面談後、キュナシスを創業した
鮫島氏が特に注目するのが、量子コンピューターと核融合だ。「次は量子コンピューターだよ」。
17年ごろ、東京大学の大学院で機械学習を研究していた楊天任氏を訪ね、東大近くの焼肉店で鮫島氏は切り出した。起業に関心があった楊氏は「大学でつくった技術を社会に出したい」と考えており、「社長になったらどうか」という鮫島氏の提案に応じた。18年2月、楊氏を最高経営責任者(CEO)とするQunaSys(キュナシス、東京・文京)が誕生した。
鮫島氏が量子コンピューターの会社立ち上げを模索しはじめたのは、14年ごろに遡る。スタートアップ育成機関、米Yコンビネーターに量子のスタートアップが参画した。それまではソフトウエア系の企業が大半だったため、鮫島氏は「これは何かが起こるかもしれない。急がないと」と行動に移した。
東京大学時代の同級生をつたって藤井啓祐・現大阪大学教授と面談した。藤井氏は量子コンピューターを研究していたが「国のプロジェクトは冬の時代もあり、会社を立ち上げた方が研究開発が早い場合もある」と考えていた。自身が起業することも検討したが「研究にエフォート(努力)を注ぐ必要がある」と若い起業家を探すことに同意した。白羽の矢が立ったのが、楊氏だった。藤井氏はアドバイザーとしてキュナシスに参画することになった。
核融合で創業を提案
同じように、鮫島氏がカンパニークリエーションに動いたのが核融合だ。
4年ごろ、Yコンビネーターに核融合の米ヘリオン・エナジーが参画したのを目の当たりにした鮫島氏は「衝撃的だった」と振り返る。量子コンピューターと同じく、着々と研究者へのアプローチを開始した。
核融合を研究していた光産業創成大学院大学(光産創大、浜松市)の森芳孝准教授と信頼関係を構築した。大阪大学の教授にも相談して同大学院出身の若手研究者、松尾一輝氏をCEOとして21年に立ち上げたのがEX-Fusion(エクスフュージョン、大阪府吹田市)だ。23年には約20億円を調達するなど、投資家や経済産業省など政府機関からも注目を集めている。
ANRIの鮫島氏は松尾氏が起業したEX-Fusionの立ち上げにもかかわった
「波のない海で1人だけ『波が来るぞ』と言っていたようなものだ」。
鮫島氏は振り返る。現在でこそ量子コンピューターや核融合は注目領域だが、17年ごろはまだVC業界でも異端扱いされた。実用化まで何年かかるか分からず、VCの投資対象として適当ではないと考えられていた。
「彼はいい意味で恐ろしい人だ。自分のことは二の次で『人類がこうなればいい』と考えると淡々とやり続ける」。ANRIの佐俣アンリ代表パートナーは鮫島氏を評する。
新規株式公開(IPO)などを通じて株式の持ち分を売却する「エグジット」まで時間がかかるのがディープテック投資の宿命だ。鮫島氏は「焦りが無いといえばうそになる」と認めるが、一方でキュナシスやエクスフュージョンが大学や産業界で認められる存在になってきたのを見て「自分が一石を投じられている。リターン(投資利益)以上に、自分が生まれてきてよかった」とまで言い切る。
原点は西郷さん
鮫島氏の原点は出身地の鹿児島県にある。「西郷さんのようになりなさい。
私利私欲のためではなく、お国のためになることをしなさい」。明治維新の立役者でもある西郷隆盛を挙げ、祖母からこう教えられた。小学校の修学旅行で「宇宙センター」がある種子島を訪れたこともあり、小さいころから宇宙に興味を持った。
東大に入学後、天文学を専攻した。いまを生きる人間には役に立たない学問かもしれないと思いつつ「根源的な興味関心に突き動かされていた」と振り返る。
スタートアップに興味を持ったのは06年ごろ、米西海岸の大学を10日間ほどかけて回るプログラムに参加した時だった。研究者がスタートアップを立ち上げている様を見て、居てもたってもいられなくなった。
ANRIの佐俣代表㊨は「鮫島が次の時代をつくる」と話す
ベンチャー投資を強化していた三菱商事に08年に入社した後、ディープテック投資の草分け的な存在でもあるVC、東京大学エッジキャピタルパートナーズ(UTEC)に転じた。しかしディープテックが主流ではなかった時代でもあり、限界も感じていた。そんな折でも「(佐俣)アンリだけは『これは面白い』と言ってくれた」。
16年ごろにANRIに参画した。大学時代から「VCに行くなら、いつか取り組んでみたい」と考えていた量子と核融合への投資を本格化した。
鮫島氏には今後、目に見える成果も求められる。エグジットで莫大なリターンを生み出せば、優秀な人材や資金が集まる好循環を生み出せる。鮫島氏は「1社でも1兆円の企業をつくれば、日本の見方は変わる」と指摘する。VCの異端児が規格外のスタートアップを創出できるか。日本だけでなく世界の投資家も注視している。(仲井成志)
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日経記事 2023.2.15より引用