ボーイングは墜落事故発生後も高水準の自社株買いを続けた(民間旅客機「737MAX」)=ロイター
USスチールの買収を阻止された日本製鉄とバイデン米大統領らの訴訟は、20日に就任するトランプ新大統領が前任者の「大統領令」をひっくり返さない限り、長期化する可能性がある。
米主要メディアではバイデン氏の評判が芳しくない。最も厳しいのはウォール・ストリート・ジャーナル紙で、「製造業に害を及ぼす経済的マゾヒズムだ(打撃を楽しんでいる、の意味)」と社説で論評した。
2026年の中間選挙と28年の大統領選での巨大労組(全米鉄鋼労働組合)の支持が日本との同盟関係より大事だ、ということか。
大統領との関係が指摘される対抗馬(クリーブランド・クリフス)も買収に名乗りをあげそうで、なかなか興味深い展開ではある。
「目的のためには手段を選ばない」というやり方は16世紀の政治思想家マキャベリが「君主論」でしたためた指導者の処世術、いわゆるマキャベリズム(権謀術数主義)にどこか通じる。
君主論の中盤に出てくる「残酷と慈悲について。
また恐れられるより慕われるほうがよいか、それとも逆か」(岩波文庫版)という章でいえば、バイデン氏は慈悲より残酷を選んだ。
「白馬の騎士」を排除する米国
だが、マキャベリズムといえば、バイデン氏より2期目に入るトランプ氏だ。
カナダ、メキシコへの関税引き上げやグリーンランドとパナマ運河をめぐる言動、あるいは米CNNが報じた「国家経済緊急事態宣言」(すべての国・地域に対する輸入関税引き上げ)の可能性は、「米国を恐れの対象に」とする行動指針とみなされてもおかしくない。
軒先を借りる日本企業は今後一段と胆力を試される。と同時に心配になるのが米産業界、特に地盤沈下の著しい製造業だろう。
バイデン氏もトランプ氏も復活を後押ししようとしているが、大統領が「残酷」で短期主義的な政策ばかり打ち出せば、日鉄のような「白馬の騎士」候補も提携相手も現れにくい。
米製造業の低迷は今後も続く。米商務省の統計によれば、国内総生産(GDP)に占める割合は23年までの四半世紀で6ポイント減少し、10.2%まで低下した。
米経済は今後も人工知能(AI)など先端技術と天然ガスなどエネルギー資源に軸足が置かれ、鉄のラストベルト(さびた工業地帯)、車のデトロイトとも産業の中心に戻ることはもうないだろう。
それゆえに、トランプ政権は関税や規制を課す動きを強め、同盟国とも摩擦を生む可能性が高い。
関税だけで鉄や車が強くならないのが、わかっていてもだ。
自社株買いに明け暮れる米企業
一方で、トランプ氏は減税と規制緩和を一段と進めるとも語っている。
1期目の路線に自信があるようだが、連邦法人税率を35%から21%に下げた減税(17年12月成立)が製造業のてこ入れに本当に貢献したかといえば微妙だ。
QUICK・ファクトセットによれば、「トランプ減税」が始まった18年は米製造業の自社株買いが過去最高額(米企業全体も過去最高)に達し、設備投資を上回った。
自社株買いは市場から自社の株式を買い戻し、1株あたり利益を引き上げて株高を促そうとするのが狙いだ。減税で生まれた余剰資金は成長投資より株主還元に向かっていた。
例えば、航空機大手ボーイングだ。同社は民間旅客機「737MAX」が墜落事故を起こした18年、19年と高水準の自社株買いを続けた。
一般に航空機をゼロから開発するには1兆円規模の投資が必要だが、当時のボーイングは新型機プロジェクトを見送りつつ、自社株買いを優先する信じがたい経営判断をしている。
MAXはそんな状況で生まれた航空機で、既存機種の改良版だ。同社はその後も同機で事故やトラブルを起こし、低コスト開発への傾斜が構造的欠陥を放置した原因だと批判を浴びた。
長期の成長より株高を優先したとみられる企業はほかにも多く、スターバックス、フィリップ・モリス・インターナショナル、マクドナルドなどが18〜19年に株主還元由来の債務超過に陥った。
トランプ氏がさらに減税した場合、企業はバランスと規律を保ちつつ、成長への投資を続けられるか。
労組と経営層の対立乗り越えられるか
労組と企業の関係にも注目したい。トランプ氏は今のところ、労働界と親密さを保とうとしているが、政権内にはテスラなどを率いるイーロン・マスク氏のような経営者(かつ富裕層)もいる。
独立行政機関、全米労働関係委員会(NLRB)によれば、労組結成のための従業員投票の申請件数は24年に前年同期より25%あまり増加した。
1000人以上が参加したストライキも29件(労働統計局)と頻発している。
トランプ氏とやはり蜜月関係のマスク氏はテスラでの労組誕生に反対し、結成の認定もするNLRBの権限に異議を唱えて法廷闘争中だ。
新設諮問機関「政府効率化省」のトップという立場からもNLRBや労働界をかき回す可能性がないわけではない。
複雑な支持基盤を持つトランプ政権は、存在感を強める労組と経営層の対立を超え、腰を据えて製造業復活への道筋をつけられるだろうか。
関税を含め、内向きの産業政策だけではやはり限界がある。日本など各国企業との競争と協調こそが復活への王道であり、短期主義的で合理性を欠く買収阻止にはもちろん突破口は存在しない。