ディガンタラのミルジ氏(24年12月、インド・ベンガルール)
インドなどの新興国が先端人材の供給源となり、米国を筆頭に先進国が高額な報酬で吸収してきた。こうした「頭脳」の一方通行に、逆向きの潮流が生まれ始めている。
インド南部ベンガルール在住のシュレヤス・ミルジ(35)は米フロリダ工科大で宇宙分野の修士号をとった。宇宙開発に携われる米企業への就職を望んだが、安全保障上の理由から外国人のハードルは高かった。
母国は人工衛星の打ち上げ拠点として存在感を増し、政府機関インド宇宙研究機構(ISRO)は月面探査に乗り出していた。
「エコシステム(生態系)が進化している。こんな機会はめったにない」。ミルジは学生時代に考えてもみなかったUターンを決めた。
いまは衛星や宇宙空間を漂うデブリの追跡サービスを手がける新興企業ディガンタラで副社長を務める。「100万ドル(約1億5000万円)あげると言われても米国には戻らない」
「頭脳の流出から流入へ」。英語を話す人が多く、先端技術の研究者らの海外流出が課題だったインドは、首相ナレンドラ・モディ(74)のもと理系教育機関を増設してきた。
「今では最も優秀な技術者や科学者が働きたいと思える野心的なスタートアップの多くがインドにある」。
小型衛星スタートアップ・ピクセルの最高経営責任者(CEO)アワイズ・アーメド(27)は潮流の変化に自信を深める。
小型衛星スタートアップのピクセルの技術者のタリス・サムソン氏(右)とナマン・バイジャ氏(24年12月、インド・ベンガルール
同社で電気エンジニアとして働くナマン・バイジャ(32)も米大の修士号ホルダーだ。インドより生活や労働環境もよかったが、グリーンカード(永住権)取得の壁は高かった。
米アップルなどの働き口はあったが帰国を決めた。バイジャは「今後10年以内にインドから革命を起こすような才能や製品が出てくる」と話す。
米次期大統領ドナルド・トランプ(78)は反移民を掲げるが、米国を支えているのは外国人の頭脳だ。
米国立科学財団によると米国でSTEM(科学・技術・工学・数学)と呼ばれる人材の19%(702万人)を外国出身者が占める。
そのうち14%がインド出身で、中国出身者も7%いる。人工知能(AI)やコンピューター・数学科学分野の労働者で外国出身者の博士号取得者は半数を超える。
「米国を強くしたスペースXやテスラを築いた多くの重要人物とともに私がこの国にいるのはH-1Bビザのおかげだ」。トランプ政権で歳出削減プロジェクトを担う実業家イーロン・マスク(53)は2024年12月、X(旧ツイッター)に投稿した。
H-1BはIT(情報技術)など専門性を持つ外国人向けの就労ビザ。自身も南アフリカ移民のマスクは米国の競争力強化に不可欠だと主張し、反移民強硬派のトランプ支持者と激しくぶつかる。
国を閉じることはこれまでの強みが失われるリスクをはらむ。
米中対立の象徴で、米国発人材の獲得が難しい中国の華為技術(ファーウェイ)は、人材を自ら育てて囲い込む戦略にかじを切る。
24年夏には、27年までにサブサハラ(サハラ砂漠以南)27カ国で15万人のデジタル人材を育成する計画を打ち出した。
技術立国だった日本の土台は心もとない。米政策研究機関の調査によると20年の日本のSTEM分野の卒業生は20万人弱。
インドネシアやブラジルを下回り、米国の4分の1、中国の19分の1にとどまる。人材戦略は国家戦略そのものだが、日本は言葉の壁が厚く、円安は報酬額の目減りにつながる。
グローバリゼーションが逆回転する世界では、今までの定石がリセットされる。次の成長を担う人材を獲(と)れるか。「逆転の世界」は、混沌を好機にできるかを試している。
(敬称略、おわり)
アジアから見ると
高いコスト、人材強国も脅かす
私の母国シンガポールは世界人材ランキングでトップクラスだ。大きな金融ハブでデジタルインフラも豊富。
米アマゾン・ドット・コムや米グーグルに加え、「ティックトック」を運営する中国の字節跳動(バイトダンス)も拠点を置く。
人材を集められるのは通貨が強く給与が高いからだ。マレーシア出身の経済研究者の友人もシンガポールの方がずっと給与が高い。
為替レートを考慮すると2〜3倍は違う。シンガポールの方が多国籍企業が集中しており、国際的な経験を積みたいのだろう。
加えてシンガポールで働く魅力の一つは西洋とアジア双方の多国籍企業にアクセスできる点だ。
シンガポール政府は自国を政治的に中立で、中国と西洋双方の投資を誘致する国と位置づけている。中国企業が他のアジア地域に拠点を置くのは時にセンシティブだ。だから彼らは主要拠点にシンガポールを選ぶのだろう。
シンガポール人自身は、まだまだ米国や英国など遠くの国で働き、経験を積む機会を求めている。国際的な金融都市である東京での国際経験も、キャリアには有利だ。
それでも仮に日本で働くとなると今の円安は気になってしまう。給与水準が下がらないか、どんな福利厚生があるか、条件を細かく見たいと思ってしまうのが本音だ。
シンガポールが今後も優秀な人材を集め続けられるかどうかはわからない。ビジネスをするのに非常にコストがかかるからだ。
シンガポール政府は外資企業の設立に税制優遇措置や減税をすることを好む一方、シンガポールは世界で最も物価が高い国の一つ。雇用にもお金がかかる。
事業を始めるのは簡単でも運用コストが高すぎると判断し、近隣諸国に事務所を設立する企業も出ている。同僚は「シンガポールが多国籍企業の拠点として輝きを失っている」と記事に書いた。
今は世界の大企業を引き付けられても、小規模な企業の中にはマレーシアなど近隣に拠点を置く企業もある。今後そこで新たな雇用が生まれることになる。
23年には月収3万シンガポールドル(約340万円)以上を条件に通常より長い滞在を認めるビザなどの発給も始めた。
シンガポールは今後もCEOや創業者、科学企業の責任者レベルなど、ビザなどを通して非常に熟練した人を引き付ける方針にフォーカスするだろうし、それは正しい戦略だ。
ただ、東南アジアのいくつかの国では「デジタルノマド」向けビザなど才能を引き付けるための競合のビザがあり、これも各国の競争を促していくだろう。
米国はトランプ氏の再選により以前より閉鎖的な社会になっているように見える。それは、人々がそこで働きたいと思うかどうかに影響するだろう。人材戦略は、先進国が直面する大きな課題だ。
(Nikkei Asia ディラン・ロー)
「チャンスの国」の功罪
私の生まれ故郷インドは伝統的に消費主導型経済だ。人口が多く、購買力は高まり、より多くモノを購入すると期待されている。
世界の企業にとって魅力的な市場だ。特にテクノロジーや金融などの分野では、潜在的な人材の供給源でもある。間違いなくチャンスに恵まれた国だ。
問題は労働力の質だ。インドでは工学部の卒業生の多くが雇用難にあえいでいるという報告がある。正式な教育環境でも雇用主の要求水準を満たすことができていない可能性がある。
国内総生産(GDP)は5兆ドル(約780兆円)を目指しているが、14億人の人口を忘れてはいけない。1人当たりのGDPは多くの国よりずっと少なく、地元住民は税金の高さに不満を抱いている。
道路は崩壊し、交通渋滞はひどい。水は不足し、質の高い公立学校や病院も足りない。まだまだ基本的なインフラが欠けている。
私の前職はインド版フォーブスの記者だった。必ずしもインド国内で働きたかったわけではないが、フォーブスに入社する前の仕事は全て地元メディアで、転勤のチャンスはなかった。
フォーブスでもインドチームが独立していたため、海外転勤できなかった。私の周りで海外に留学した人は、全員インド国外で働いている。
インドは外から見るとチャンスの国にみえるのかもしれないが、多くの人々は日々の苦難に直面している。
製造業は遅れ気味で、経済には減速の兆候がある。インドが国を発展させるには、中流階級が意味のある形で拡大することが必要だ。
資源が正しい方向に向けられればインドは繁栄するだろうが、私がその日を生きられるかどうかはわからない。
(Nikkei Asia サヤン・チャクラボーティ)
※掲載される投稿は投稿者個人の見解であり、日本経済新聞社の見解ではありません。
第一次トランプ政権の時にH-1Bビザの取得を厳しくするまでは、高度な専門性を持つ人材、特にインドからの留学生・移民を米国は多く受け入れ、多くの成功者を輩出してきました。
米国が門戸を狭める状況は、日本にとっては逆にチャンスです。
しかし現状は厳しく、インドから日本への留学生は1280人(2022年)に止まっています(東大へのインド人留学生は82人しかいません)。
理由としては、日本の大学における英語講義の少なさ、卒業後の就職機会の乏しさ、それに食事の問題(ベジタリアンへの対応)といったことが挙げられます。
日本の人口減少、STEM人材に対するニーズを考えると、思い切った手を打つべきと考えます。