16世紀末からドイツの西部エッセンに居を構えていたクルップ家は、19世紀半ばに強力な鋼(はがね)を完成し、戦争で繁盛する兵器にも目をつけ、大砲の生産に乗り出し「鉄鋼王」と呼ばれていました。
ユダヤ人を嫌うクルップにとって、大英帝国の名に隠れてロスチャイルド家が世界中に進出することは面白いことではありませんでした。
巨大コングロマリットであるクルップを育て上げたアルフレート・クルップ(1812年ー1887年)は、自ら製造した兵器でプロシア(1871年以降ドイツになります)が興隆することが長年の夢でした。
彼は、プロシアのビスマルク宰相と意気投合し、ドイツの軍事近代化を強力に推し進めました。 さらにプロシアだけでなく軍備強化に励む(はげむ)各国から手広く受注を取り付けていきました。
アルフレートはいつしか「大砲王」と呼ばれるようになります。 当時、世界における銃砲生産は、伊フィリスのアームストロング社とフランスのシュナイダー社が独占的でした。
各国がこの2社から鉄砲を購入し、互いに殺しあいました。 兵器メーカーは、戦争のうま味をっていました。 このアームストロング社のスポンサーもロスチャイルド家です。
創業者ウィリアム・アームストロングの右腕の人物が、ロンドン家のハンナの夫で、後のイギリス首相ローズベリー卿(アートボルト・プリムローズ)と親しくなってから、同社は勢いづきました。
1851年のロンドンで開催された第一回万国博覧会にクルップの大砲と鋼塊が出展され、金賞を取り注目を浴びました。 その後、クルップが工場拡張時に融資を受けた銀行シンジケートの背後には、巧みなことにロスチャイルドけがありました。
そして、19世紀の終わりには、クルップ、アームストロング、シュナイダーの3社が世界の銃砲生産を独占します。
火薬の方は、ヨーロッパのノーベル、アメリカのデュポンの禎メーカーが独占しました。
デュポン財閥
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/5226329b578cb7902e701c57de715b54
ロスチャイルド財閥ー18 キューリー夫人
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/1feb6656b6dbdb2c32f498c6cd841d94
ロスチャイルド財閥ー19 キューリー夫人とRTZ(リオ・チント・ジンク)そして原子力産業
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/3f899728fe268d13f0714305cf0ad65b
1853年から1856年のクリミア戦争では、イギリス政府の戦費調達国債への応札がロスチャイルド家だけという場合もありました。 戦争を支えるロスチャイルド家とイギリス政府との濃い関係を示すものです。
クルップは、鉄道の継ぎ目なしの車輪などの製造にも生き店を置き、後にクルップ製の鉄道が普仏戦争をプロシアの勝利に導きました。
クリミア戦争
ちなみに、クリミア戦争について少し付け加えておきます。今日のロシアのプーチン大統領がウクライナのクリミア半等に侵攻したのが2014年です。そして西側の経済制裁を受けて、現在ではGDPがブラジルや韓国よりも小さくなり、半導体・電子デバイス、コンピューター、家電などエレクトロニクスや自動車などハイテク産業もない、地下資源だけに頼る三流国に成り下がりました。 プーチンの見栄張り、コンプレックス、そして焦りが今日の混乱を招いています。
1853年から1856年のあいだに起こったクリミア戦争。黒海の北にあるクリミア半島をめぐり、ロシアvs(オスマン帝国、フランスとイギリス)で戦いました。
ロシアの南下政策が発端となったので、「南下政策いや誤算(いやごさん=1853年)のクリミア戦争」という語呂合わせで覚えてください。
開戦までの経緯
もともと黒海周辺には、さまざまな文化と宗教を持つ民族が入り混じっていました。そんななか13世紀末にオスマン帝国が誕生します。当初は遊牧民族のオスマン1世を指導者とする集団でしたが、徐々に力をつけ、16世紀から17世紀頃には地中海一帯、エーゲ海、紅海、カスピ海西側とその領土を拡大していきました。
しかし17世紀後半になるとその勢いに陰りがみえます。領土を広げ過ぎたため地方を制圧しきれなくなったこと、オーストリアやペルシャからの攻撃の激化したこと、国内の経済が悪化したことなどが理由です。
そんなオスマン帝国の弱体化に、ロシアがつけこみました。領土の多くが寒帯に属しているロシアにとって、温暖な気候を持つ黒海周辺の地域は喉から手が出るほど欲しい場所。ヨーロッパやイスラム圏への侵攻の足掛かりにもなります。軍事大国として力をつけた18世紀末、領土拡大のために「南」を目指しました。
その動きに警戒を強めたのが、イギリスやフランスなどヨーロッパの国々です。フランスは以前から、オスマン帝国の領土に取り込まれていた聖地エルサレムでのキリスト教徒保護権をめぐりロシアと争っている状態。
一方のイギリスはインドへの航路という側面からクリミア半島周辺の動向を注視してはいましたが、ロシアと直接争っていたわけではありません。立場としては中立です。政治家たちの意見も一枚岩ではなく、結果としてロシアとオスマン帝国の双方がイギリスの支援を期待して、争いを激化させていきました。
1853年、オスマン帝国がフランスに対し、キリスト教の保護権を認める出来事が起こります。当然ロシアはこれに反発。自国に聖地管理権があると主張し、オスマン帝国に同盟を申し込みますが、オスマン帝国側は拒否をします。
これをきっかけに、ロシアが宣戦布告することなくオスマン帝国に進軍し、開戦となりました。フランス、イギリス、そのほか周辺の国々の利権や思惑も絡み、戦争はやがてヨーロッパ全土を巻き込む大規模なものへと発展していきます。
クリミア戦争の結果
激しい戦いが続いた結果、勝利したのはフランスとイギリスを味方につけたオスマン帝国です。敗北したロシアはクリミア半島から退きました。
1856年3月、オーストリアとプロイセンの調停によって進められた講和交渉によって「パリ条約」が締結されました。
パリで締結された条約はアメリカ独立戦争やナポレオン戦争などいくつもあるのでややこしいですが、クリミア戦争の締結もパリ条約と呼ばれています。
この条約には、オスマン帝国の領土の保全とドナウ川の自由航行、ボスフォラス海峡の通航制度や黒海の非武装・中立化といった項目が盛り込まれています。その目的はロシアの南下政策を阻止することにありました。
オスマン帝国と同盟を組んだフランスとイギリスは、これ以降世界に大きな影響力を持つようになります。
一方、敗戦したロシア側にも転機が訪れていました。それまで強い姿勢で南下政策を推し進めていたニコライ1世が1855年3月に死去。次に即位したアレクサンドル2世はロシアの近代化の遅れを痛感し、内政改革を進めるとともに東アジア方面への進出に方向転換を図ります。
日本への影響
当時、江戸幕府による鎖国がおこなわれていた日本も例外ではありません。ペリーが浦賀に来航したのは1853年で、実は同じ頃ロシアも日本に向かって船を進めていたのです。
受験生の皆さん、1853年は、「いやでござんすペリーさん」で年号を覚えましょう。
ロシアが江戸幕府に接触したのはペリー来航の翌年となる1854年。クリミア戦争の真っただ中で、極東地域に労力を割くことができず、アメリカに一歩遅れた形になりました。もしロシアがアメリカより先に江戸幕府に接触していたら、日本の歴史も大きく変わっていたかもしれません。
誤算続きのプーチン
一気に首都キーフ(旧名キエフ)占領し、ウクライナ全土を掌握しようとしたプーチン、しかしウクライナから激しい抵抗にあって撤退。 そして各地で欧米から最新のハイテク兵器と衛星からの情報をもらって、ウクライナの抵抗にあい、またまた惨めな撤退を繰り返すプーチン。 また完全に、全世界を敵に回し、経済制裁されるロシア国民には1991年のソ連崩壊どころでない地獄がまっています。
何が起こるか明白です。まずソ連崩壊時と同じように子供の含めた餓死者続発。 これに関してはプーチンには腹が立ちますが日本も援助の手を差し伸べなければなりません。 食べる物もなくなり貧困状態になると、前回のようにマフィア(暴力団)が自然発生し、ロシアの女性を食い物にします。 そして、戦争に徴兵され一家の収入を支えていた夫が亡くなると一家の収入は途絶え、世界各国に売春婦として、マフィアに売られてしまいます。
折角、最近、優秀で容姿端麗のロシア人女性のyoutuberたちの活躍で、日本におけるロシアのイメージは変わり、ロシアという国にも好印象を持ち始めたので、そんな悲惨なロシアは見たくありません。 できればロシア国民による革命によりプーチンを失脚させるか、西側諸国といってもやりそうなのはアメリカしかありませんが、ドローンで〇〇しかないでしょうね。 本当にプーチンはアホネ!。
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哲学・宗教・思想 ここまでの投稿記事一覧
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/7da98797504886d8b9eaa2e5936655e6
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ロスチャイルド財閥-163 ロスチャイルド財閥について今まで投稿してきた記事一覧
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/fedeabe97fbe342e880f7195d00dabec
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世界の財閥 ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/14d30c37bfae00d834c78d49da070029
日本の財閥 ここまでの投稿記事リスト
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Black Rock ここまでの投稿記事リスト
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/93ef8de49c1ff9039ce7446f1f3fb0e8
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ユダヤ人を嫌うクルップにとって、大英帝国の名に隠れてロスチャイルド家が世界中に進出することは面白いことではありませんでした。
巨大コングロマリットであるクルップを育て上げたアルフレート・クルップ(1812年ー1887年)は、自ら製造した兵器でプロシア(1871年以降ドイツになります)が興隆することが長年の夢でした。
彼は、プロシアのビスマルク宰相と意気投合し、ドイツの軍事近代化を強力に推し進めました。 さらにプロシアだけでなく軍備強化に励む(はげむ)各国から手広く受注を取り付けていきました。
アルフレートはいつしか「大砲王」と呼ばれるようになります。 当時、世界における銃砲生産は、伊フィリスのアームストロング社とフランスのシュナイダー社が独占的でした。
各国がこの2社から鉄砲を購入し、互いに殺しあいました。 兵器メーカーは、戦争のうま味をっていました。 このアームストロング社のスポンサーもロスチャイルド家です。
創業者ウィリアム・アームストロングの右腕の人物が、ロンドン家のハンナの夫で、後のイギリス首相ローズベリー卿(アートボルト・プリムローズ)と親しくなってから、同社は勢いづきました。
1851年のロンドンで開催された第一回万国博覧会にクルップの大砲と鋼塊が出展され、金賞を取り注目を浴びました。 その後、クルップが工場拡張時に融資を受けた銀行シンジケートの背後には、巧みなことにロスチャイルドけがありました。
そして、19世紀の終わりには、クルップ、アームストロング、シュナイダーの3社が世界の銃砲生産を独占します。
火薬の方は、ヨーロッパのノーベル、アメリカのデュポンの禎メーカーが独占しました。
デュポン財閥
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ロスチャイルド財閥ー18 キューリー夫人
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ロスチャイルド財閥ー19 キューリー夫人とRTZ(リオ・チント・ジンク)そして原子力産業
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1853年から1856年のクリミア戦争では、イギリス政府の戦費調達国債への応札がロスチャイルド家だけという場合もありました。 戦争を支えるロスチャイルド家とイギリス政府との濃い関係を示すものです。
クルップは、鉄道の継ぎ目なしの車輪などの製造にも生き店を置き、後にクルップ製の鉄道が普仏戦争をプロシアの勝利に導きました。
クリミア戦争
ちなみに、クリミア戦争について少し付け加えておきます。今日のロシアのプーチン大統領がウクライナのクリミア半等に侵攻したのが2014年です。そして西側の経済制裁を受けて、現在ではGDPがブラジルや韓国よりも小さくなり、半導体・電子デバイス、コンピューター、家電などエレクトロニクスや自動車などハイテク産業もない、地下資源だけに頼る三流国に成り下がりました。 プーチンの見栄張り、コンプレックス、そして焦りが今日の混乱を招いています。
1853年から1856年のあいだに起こったクリミア戦争。黒海の北にあるクリミア半島をめぐり、ロシアvs(オスマン帝国、フランスとイギリス)で戦いました。
ロシアの南下政策が発端となったので、「南下政策いや誤算(いやごさん=1853年)のクリミア戦争」という語呂合わせで覚えてください。
開戦までの経緯
もともと黒海周辺には、さまざまな文化と宗教を持つ民族が入り混じっていました。そんななか13世紀末にオスマン帝国が誕生します。当初は遊牧民族のオスマン1世を指導者とする集団でしたが、徐々に力をつけ、16世紀から17世紀頃には地中海一帯、エーゲ海、紅海、カスピ海西側とその領土を拡大していきました。
しかし17世紀後半になるとその勢いに陰りがみえます。領土を広げ過ぎたため地方を制圧しきれなくなったこと、オーストリアやペルシャからの攻撃の激化したこと、国内の経済が悪化したことなどが理由です。
そんなオスマン帝国の弱体化に、ロシアがつけこみました。領土の多くが寒帯に属しているロシアにとって、温暖な気候を持つ黒海周辺の地域は喉から手が出るほど欲しい場所。ヨーロッパやイスラム圏への侵攻の足掛かりにもなります。軍事大国として力をつけた18世紀末、領土拡大のために「南」を目指しました。
その動きに警戒を強めたのが、イギリスやフランスなどヨーロッパの国々です。フランスは以前から、オスマン帝国の領土に取り込まれていた聖地エルサレムでのキリスト教徒保護権をめぐりロシアと争っている状態。
一方のイギリスはインドへの航路という側面からクリミア半島周辺の動向を注視してはいましたが、ロシアと直接争っていたわけではありません。立場としては中立です。政治家たちの意見も一枚岩ではなく、結果としてロシアとオスマン帝国の双方がイギリスの支援を期待して、争いを激化させていきました。
1853年、オスマン帝国がフランスに対し、キリスト教の保護権を認める出来事が起こります。当然ロシアはこれに反発。自国に聖地管理権があると主張し、オスマン帝国に同盟を申し込みますが、オスマン帝国側は拒否をします。
これをきっかけに、ロシアが宣戦布告することなくオスマン帝国に進軍し、開戦となりました。フランス、イギリス、そのほか周辺の国々の利権や思惑も絡み、戦争はやがてヨーロッパ全土を巻き込む大規模なものへと発展していきます。
クリミア戦争の結果
激しい戦いが続いた結果、勝利したのはフランスとイギリスを味方につけたオスマン帝国です。敗北したロシアはクリミア半島から退きました。
1856年3月、オーストリアとプロイセンの調停によって進められた講和交渉によって「パリ条約」が締結されました。
パリで締結された条約はアメリカ独立戦争やナポレオン戦争などいくつもあるのでややこしいですが、クリミア戦争の締結もパリ条約と呼ばれています。
この条約には、オスマン帝国の領土の保全とドナウ川の自由航行、ボスフォラス海峡の通航制度や黒海の非武装・中立化といった項目が盛り込まれています。その目的はロシアの南下政策を阻止することにありました。
オスマン帝国と同盟を組んだフランスとイギリスは、これ以降世界に大きな影響力を持つようになります。
一方、敗戦したロシア側にも転機が訪れていました。それまで強い姿勢で南下政策を推し進めていたニコライ1世が1855年3月に死去。次に即位したアレクサンドル2世はロシアの近代化の遅れを痛感し、内政改革を進めるとともに東アジア方面への進出に方向転換を図ります。
日本への影響
当時、江戸幕府による鎖国がおこなわれていた日本も例外ではありません。ペリーが浦賀に来航したのは1853年で、実は同じ頃ロシアも日本に向かって船を進めていたのです。
受験生の皆さん、1853年は、「いやでござんすペリーさん」で年号を覚えましょう。
ロシアが江戸幕府に接触したのはペリー来航の翌年となる1854年。クリミア戦争の真っただ中で、極東地域に労力を割くことができず、アメリカに一歩遅れた形になりました。もしロシアがアメリカより先に江戸幕府に接触していたら、日本の歴史も大きく変わっていたかもしれません。
誤算続きのプーチン
一気に首都キーフ(旧名キエフ)占領し、ウクライナ全土を掌握しようとしたプーチン、しかしウクライナから激しい抵抗にあって撤退。 そして各地で欧米から最新のハイテク兵器と衛星からの情報をもらって、ウクライナの抵抗にあい、またまた惨めな撤退を繰り返すプーチン。 また完全に、全世界を敵に回し、経済制裁されるロシア国民には1991年のソ連崩壊どころでない地獄がまっています。
何が起こるか明白です。まずソ連崩壊時と同じように子供の含めた餓死者続発。 これに関してはプーチンには腹が立ちますが日本も援助の手を差し伸べなければなりません。 食べる物もなくなり貧困状態になると、前回のようにマフィア(暴力団)が自然発生し、ロシアの女性を食い物にします。 そして、戦争に徴兵され一家の収入を支えていた夫が亡くなると一家の収入は途絶え、世界各国に売春婦として、マフィアに売られてしまいます。
折角、最近、優秀で容姿端麗のロシア人女性のyoutuberたちの活躍で、日本におけるロシアのイメージは変わり、ロシアという国にも好印象を持ち始めたので、そんな悲惨なロシアは見たくありません。 できればロシア国民による革命によりプーチンを失脚させるか、西側諸国といってもやりそうなのはアメリカしかありませんが、ドローンで〇〇しかないでしょうね。 本当にプーチンはアホネ!。
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