【 GSTC (ゴールドマン・サックス・トレーディング・カンパニー) 天国と地獄 】
GS-8 ワディル・キッチングスhttps://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/a8a74db44832da154584745a8ac20cb8
からの続き
1928年12月、非常に長期間みわたって上げ相場が続いていた頃、キッチングスはパートナーたちの同意を取りつけて、会社型投資信託を組成しました。
それを彼は誇らかに「GSTC(ゴールドマン・サックス・トレーディング・コーポレーション)」と名付けました。 会社型投資信託は、証券投資を目的とした会社を設立して、投資家にその会社の株を購入してもらう形で資金を募ります。
今日の投資信託と似たものであり、1920年代に人気を博していました。 相場が上がると投資家の関心も比例して上昇しました。
1928年当時には、ほぼ1日に1つファンドが組成される勢いで、株の狂乱相場に油を注いでいました。
ファンドは今日の標準からすると、ほとんど無法状態でしたが、GSTCは評判の高い投資銀行が設立して運営管理するものだし、どのような株に投資しているか情報を開示するから安全だ、と考えられていました。
当初の予定では、4000万ドルから5000万ドルほどの規模で、ゴールドマン・サックスが20%から25%所有する計画でした。
しかし、このファンドに対する需要は非常に強く、会社の投資額は1000万ドル(当時の資本のほぼ半分)のまま、ファンドの募集金額を1億ドルに増加しました(子の投機的なファンドは1日で完売されました)。
GSTCの新株100万株(最終的に600万株近くまで発行されました)の額面は100ドルで、ゴールドマン・サックスが全株買い取ります。
ゴールドマン・サックスはこの株の90%を104ドルで売りに出し、300万ドルを大きく上回る金額を瞬時に手に入れました。この利益だけでも同社の資本の15%に相当します。
今日の価値に置き換えて考えれば、これは1つの案件で10億ドルの手数料を稼ぐようなものでした。
この投資信託会社GSTCの株は急騰しました。 1929年2月9日には136.50ドル、5日後には222.50ドルに跳ね上がりました。投資家は不信感を心の外に追いやりました。
この株価だと、GSTCの時価総額は投資した証券の時価総額の2倍を超える大きさとなります。 投信が人気を増すにつれ。ゴールドマン・サックスはさらに株を一般投資家に売りつけました。
GSTCも自社株を買い、3月までに5700万ドル以上を自社株につぎ込んでいました。
「このとてつもない狂乱状態を支えた想像力は驚愕に値します。 しかもこの狂気は尋常のスケールではなかった」とジョン・ケネス・ガルブレイスは彼の古典的名著『大恐慌929年は再び来るか?』の中で述べています。
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キャッチングスは一人で勝手に動き出しました。
大きな案件に関してはパートナー全員の合意を必要とするという原則は、とうに無視されていました。
7月にGSTCが新たな投資信託会社シェナンドウを設立して株式を募集すると、応募は募集金額の7倍にのぼりました。
株は17.50ドルで発行され、初日に36ドルで引けました。GSTCはこの投信会社の40%を所有し、さらに10%をゴールドマン・サックスが所有しました。
こうして次々と信託会社を生み出すプロセスが始まりました。
シェナンドウはさらに規模の大きい投資信託会社、ブルーリッジ・コーポレーション(資産1億④200万ドル)を設立しました。
ブルーリッジの普通株86%は、シェナンドウが所有しました。
後に国務長官となったジョン・フォスター・ダラスはGSTCのっ弁護士となり、シェナンドウとブルーリッジの役員に名を連ねました。 これらの会社の株が余りの人気だったため、ゴールドマン・サックスは特別サービスを提供しました。
AT&T、ゼネラル・エレクトリック、イーストマン・コダックなどの株をブルーリッジの優先株や普通株と交換することに応じるという提案でした。
この提案に飛びついた人は多くいました。GSTCと、GSTCが次々と設立していった投資信託会社のおかげで、資本金2000万ドルのゴールドマン・サックスは、総計5億ドルの価値の会社のコントロールを得たのです。
わずか1ケ月の間にGSTCは2億⑤000万ドル以上の株を発行しました。
「アメリカ財務省もかなわないほどの」仕事ぶりだったとガルブレイスは書いています。この高いレバレッジの結果、数週間後に生じた出来事で、ゴールドマン・サックスは深く傷つくことになります。
キャッチングスに率いられたゴールドマン・サックスは、山のように次々と積み上げられた投資信託から三通りの利益を得る予定でいました。
一つは引受手数料。 それは当時どこからみても信じがたいほど高率の手数料でした。
第二にゴールドマン・サックスは投資信託会社の株を所有し、その株価が引き続き上昇するものと信じていました。
そして最後にGSTCがメーカーや電力会社の株を購入して大口の株主になることで、それらの会社から投資銀行業務や証券売買の注文がゴールドマン・サックスに流れ、手数料がここからも上がるのではないかとの期待がありました。
1929年の夏ブルーリッジとシェナンドウが作られたとき、サックス兄弟はいずれもヨーロッパに出かけていて留守でした。
ウォルターはこの案件を報告する電報をイタリアで受け取りました。 彼はひどく心配して、ニューヨークに戻るや否や、その足でキャッチングスがアパートとして滞在していたプラザホテルに向かいました。
大暴落の数週間前のことで、全株はすでに市場で完売されていました。 このピラミッド方式は常軌を逸しているとウォルターはキャッチングスに言いました。
しかし、このとき得意の絶頂にあったキャッチングスは即座に彼を退けました。
「君の問題はだね、ウォルター、想像力に欠けるところだよ」
929年10月に株の大暴落が発生すると、GSTCはその影響をもろに受けました。 一時は326ドルまで上がった株価は1.7ドルにまで下がりました。
中には株価が一定価格まで下落するとGSTCがその株を買い増す条項のついたものがあり、損は恐ろしいまでに膨らんでいきました。
株を買い増しする資金をつくるために」は所有す株を売却せざるを得ず、それはさらに株価を押し下げました。
それは市場環境の悪さとレバレッジの高さが組み合わさると、致命的になることの実証がなされたようなものでした。
20世紀最大の証券界の惨事ととしてGSTCはゴールドマン・サックスに大きな汚点をもたらしました。
ゴールドマン・サックスがなぜこのような狂乱状態に陥る行動に出たのか、後に聞かれてウォルター・サックスはこう答えています。
「世界を支配するためだった。 金に対する欲望だけではなく、権力を求める気持ちがあったからだと思う。
そしてそれは大きな過ちだった。正直に申し上げるが、われわれは皆、欲望に心を奪われていた。 強気相場に我を忘れ、とてつもない値段でも説明がつくと思ってしまった。
そして無防備でいたときに、すべてが奈落の底に落ちてしまったのだ」
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