雲跳【うんちょう】

あの雲を跳び越えたなら

トワイライト

2006-12-17 | 小説
「黄昏」と云う言葉が好きだ。

「黄昏ゆく街で」「黄昏流星群」「たそがれ清兵衛」「誰彼」etc...

 どこかぼんやりしていて、それでいて妙に何かを感じやすく考えやすい時間。
 張り詰めてた気持ちを、少しばかり緩めることを許してもらえる時間。
 そして、一日のうちで一番素直になれる時間。

 そんな時間(空間)「黄昏」

 
 重松清氏の『トワイライト』を読んだ。
 人生の黄昏(トワイライト)に生きる『彼ら』を見事なまでに描ききった秀逸作である。
 人生の黄昏、などと言葉にしてしまうとなんだかとても寂しく惨めな語感を伴ってしまうのだが、確かに、人間にはそういう時期というものがあるのだろう、と思う。
 幸せか?不幸せか?それは、他人には決められないし、本人だって判らなくなるときばかりだ。
 それでも僕等は生きている。そして生きてゆく。強くなくてもいい、弱くってもいい、間違えてもいい、転んだっていい、泣いたり、笑ったり、怒ったり、沈んだり・・・時には、生きていることが無性に煩わしくなったり・・・それでも、時間は優しく、また、ときに厳しく過ぎてゆき、朝が、来る。

 そう、必ず朝が来るように、黄昏も来る。夜だって来る。そしてまた、朝だ。

 もしも君が、何かに何者かに生きることをおびやかされそうなときには『黄昏』に立ち止まってみるのも、いいのかもしれない。
 答えは見つからないかもしれない。誰も助けてなんかくれないかもしれない。
 でも、必ず、朝はやってくる。それだけは、憶えておいてほしい。


 とりとめもなく、書いてしまいました。上記の内容と『トワイライト』の内容は、あまり関係ありません。ただ、自分の『黄昏』を吐き出してみたまでです。

 本日の黄昏時にて・・・
 
コメント
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