ROCKY MUSEUM (館長日記)千葉県生まれ、千葉県育ち、千葉県在住のラーメン大好きロッキーが日々食べ歩き

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【佐野実さんのご冥福をお祈り致します】【4・18告別式】佐野さん、本当にありがとうございました。

2014-04-19 | 新横浜ラーメン博物館レポ(神奈川県)

いつもランチタイムに通い慣れた「ラー博ロード」。

この日はとっても、空虚な感じでした。

いつものゲート。

2014年4月11日、誠に残念ながら、「支那そばや」の店主、佐野実さんは、63歳の若さでお亡くなりになりました。

もうあのお姿をラー博で見ることが出来ないと思うと、とっても残念。

お昼時になると、あっというまに満席で、行列が出来ます。

佐野さんといえば、

まだ自家製麺がメジャーではない時代から、

ラーメン屋がスープだけで、麺を作らないのは如何なものか?

と早くから、自家製麺にチャレンジ。

ラー博の1階にも昔、製麺室があり、お客さんが製麺風景を見ることが出来ました。

日本全国を飛び回り、

自分の目で、舌で、おいしい食材を探し、

塩のコレクションも相当なものでした。

一杯のラーメンに対するこだわりは凄かった。

佐野さんの言葉には、他のラーメン職人に対するメッセージ性がありました。

お前たちも、俺について来い!

そんなストイックな「ラーメン道」だったと思います。

だから佐野さんが作るラーメンは人気がある。

佐野さんは1951年4月4日生まれ。神奈川県横浜市戸塚区出身。血液型はA型。

4人兄弟の次男として生まれ、家は貧しく、父が酒乱で、たびたび佐野さんにも暴力をふるっていたそうです。

その影響からか、ご本人もキレやすく、幼稚園を退園となったこともあるそうです。

将来の夢は「ラーメン屋か寿司屋」。

中学生時代は、新聞配達や牛乳配達のアルバイトをして小遣いを貯め、そのお金で自分でラーメン屋さんにラーメンを食べにいったそうです。

中学生の時、はじめてラーメンを作って、家族に振る舞い、美味いと褒められたそうです。

 

4月18日。

この日は佐野さんの告別式。

私も仕事を午前中で終わらせて、スーツ姿で見送らせて頂くことに。

霊柩車のクラクションと共に、出発。

葬儀に参列された皆さんが見送る中、佐野さんは天国に旅立たれました。

感謝、感謝。

佐野さん、ほんとうにありがとうございました。

ロッキーはまだまだ、下界でがんばります。

合掌。


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