なでしこジャパン、やりました!
史上初のワールドカップ世界制覇!
素晴らしい!
まさに「不屈の日本」の闘いでした。
ワールドカップMVPに選ばれた澤選手、プロ18年目での快挙達成。
いろんなご苦労が報われた瞬間でもありました。
感動、そして私たちも見習わなければ!!☆
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110718-00000787-yom-socc
日本が1―2で迎えたサッカーW杯ドイツ大会決勝戦の延長後半。
残り時間の約3分で追いつけなければ米国に優勝をさらわれるという土壇場で、コーナーキックのチャンスが来た。15歳で初めて代表に選ばれて以来、18年目。人生の半分以上を代表チームと過ごしてきた沢は、こういう場面にとことん強い。
キッカーの宮間の鋭いボールに合わせ、相手守備の前へ割り込むように走り、ジャンプしながら、右足で同点シュートを決めた。男女を通じて日本最多の通算80ゴール目は、まさに真骨頂だった。
「アメリカに対して点を取れたのがうれしい」
20歳だった1999年、日本女子で初めて米国のプロサッカーリーグに移籍したことを「転機だった」と振り返る。英語好きだったつもりだったが、言語の壁にはね返され、ホームシックにも悩んだ。環境に慣れてきた2004年は、リーグが経営難で休止し、志半ばで帰国する憂き目もみた。
30歳での再渡米時は、1週間3試合も珍しくない過密日程と移動・時差のつらさが体にこたえた。「でも、厳しい環境で、サッカーも考え方も成長した」。米国では計7シーズンを過ごした。英会話も上達、友人も増えた。米国のエースFWワンバックも仲の良い元チームメートだ。そんな縁の深い国とW杯決勝で戦える巡り合わせを「サッカーの神様がくれたチャンス」と受け止めてピッチを駆けた。
PK戦の末、悲願の優勝トロフィーを差し上げた。大会最優秀選手賞、得点王も独り占め。計5得点は、守備的MFとして驚異的な数字だ。世界中のサッカーファンの記憶に「沢の大会」として、しっかりと刻み込まれたであろうドイツW杯。ヒロインはこうつぶやいた。「サッカーの神様って、ほんとにいるんだな」(込山駿)