【ロマン溢れる「来々軒」のラーメン】ラーメンの歴史を紐解くと見えてくる真実とは?!創業40年余、本八幡の来々軒で一杯のラーメンを食する
日本で初めてラーメンを食べた人は、1697年の水戸光圀と言われています。
近年、1488年に「経帯麺」というかん水で作られた麺が日本に存在した文献が発見されて、それがラーメンの原型であるとされるようになりました。
ただし、広く庶民に食べられるようになったのは、ご存知のように、
1910年に「来々軒」が、当時東京一の繁華街だった浅草にオープンしました。
店主の尾崎貫一さんは、横浜中華街の腕をふるっていた料理人を招き、ラーメンやワンタン、シュウマイなどを庶民的な料金で提供。これが大変な評判となって「来々軒」の名前は全国的に有名になりました。ここで出されていたラーメンが醤油ラーメンだったことから、現在「懐かしの東京ラーメン」といえば、醤油ラーメンを指すようになったそうです。
人気店として知られるようになった来々軒ですが、三代目の店主が第二次世界大戦に出征中に店名の商標登録が期限切れになってしまいます。再び申請しようとしたところ、すでに日本中に多くの「来々軒」ができた後で、申請は却下されてしまいます。そして、浅草の「来々軒」も1944年に閉店。
しかし、その後も全国各地に来々軒や来々軒にあやかろうとした「◯◯軒」の名をつけたラーメン屋が数多くできました。こうして「来々軒」はラーメン屋さんの代名詞のような存在に鳴りました。
来々軒は戦争終結後の1945年に東京駅八重洲口に再び店を構えますが、1994年に閉店。
その後、来々軒で修行を積んでいた人が、千葉県稲毛市・穴川に「進来軒」を開店。現在まで来々軒の味を引き継いでいます。
「来々軒」が全国各地にあるのは、こんな理由からでした。
さて千葉県・本八幡にある来々軒も、そんな全国に派生した来々軒の一つ。
その創業は今から40年ほど昔。
暖簾にある「中華 西洋料理 来々軒」
メニューにも、ラーメン類の他に、チキンライスやオムライスなどの洋食も並びます。
なんか不思議ですが、これって、江戸時代に多かった屋台や行商ではなく、店舗を構えて商売をしていたところが、軒の字をつけた店名にしていました。
明治になってからも、引き続き店名に軒の漢字が使われており、小さな洋食屋などが「◯◯軒」を名乗るようになりました。
そんな中には現在まで残っている老舗洋食店もいくつかありますが、そういった洋食と中華の融合なのでしょうか?
JR本八幡駅の南口、大きなマンションの脇の路地を真っ直ぐに市川インター方面に歩いて行きます。
すると結構歩いた先に、来々軒の赤い暖簾が見えてきます。
出前とこじんまりとした店内でいただくことができます。
暖簾が渋い!
毎度入ります。
ラーメンは470円。
メンチカツや海老フライなど、洋食も多彩。
麺類も魅力的なラインナップ。
残念ながら、数年前に比べると、無くなってしまったメニューもありますよ。
これが時代の流れなのでしょうか?
今時470円のラーメン。
ロッキーが子供の頃から愛したラーメン、中華そばが、そこにはあります。懐かしい!!
本八幡の来々軒のラーメンにはナルトが入っていませんね。これも面白い。割り箸の袋がちゃんとしたもの、これも老舗ならでは。
特筆すべきはメンマ。
このメンマは素晴らしい!良い仕事してますね。柏の「大勝」みたいに美味しい!
青物が、ほうれん草や、小松菜ではなくて、「さやえんどう」なのもオリジナルで面白い!
もともとラーメンはストレート麺でしたが、スープとの絡みを良くする為に、縮れ麺になったそうです。
そういった意味では進化版のラーメン。
スープは、いわゆるスープストック型のスープ、ラーメン専用というよりも、中華の世界そのもの。
鶏ガラと豚骨に野菜を加えたあっさりとしたスープ。
昭和の時代を懐かしながらいただくラーメンは、格別の味わい。
ご馳走様でした。