【ラー博倶楽部限定麺】明治43年創業の「浅草 来々軒」で、もし昭和に生まれた「つけ麺」がメニューにあったら?そんな楽しい空想で限定麺が登場!
木曜日の朝、おはようございます。
今朝紹介するのは、提供が昨日までの新横浜ラーメン博物館に出店中の「浅草 来々軒」のラー博倶楽部限定麺「特製広東風 青竹つけ麺」です。
1910年(明治43年)に浅草にオープンした来々軒。
日本で初めての人気行列店になりますが、こちらのお店を来々軒の末裔の方と、ラー博、そしてあのラーメンの鬼「支那そばや」がタッグを組んで昨年の10月に復活させました。
今回の「広東風青竹つけ麺」は昭和30年に誕生した「つけ麺」が、もし来々軒があった時代に存在したら?そんな夢のコラボを、来々軒で実現させました。
この日は、広東風青竹つけ麺の他に、来々軒で誕生したとされる天津飯、揚げワンタンもメニューに登場。
ラー博として画期的な試みは、麺類でなく、ご飯ものの「天津飯」だけでの注文も可能でした。
店内を見てロッキーが驚いたのが、意外と、つけ麺、天津飯、揚げワンタンのオールメニューを注文して、完食されている方が数名いたこと。
ロッキーは券売機で、すごく悩みました。天津飯がミニ丼だったら、注文してましたが、麺量250グラムのつけ麺に、フルサイズの天津飯は、ちょっと午後の仕事に影響しそう。なので特製のつけ麺にしました。
さて厨房で箭内さんが仕上げて、史華さんがサーブして下さった特製の青竹つけ麺が到着!
このつけ麺、広東風につけ汁にとろみをつけておりますが、このとろみ加減が絶妙。硬すぎず、緩すぎず、つけ麺用に、ラーメンよりも若干太めに仕上げた青竹麺との相性が抜群。
これは「支那そばや」の技だと思いました。
この技、確か、佐野さんが生前に2011年「支那そばや25周年記念」で手がけたサンマーメンで味わった、奈良県の吉野本葛で出したとろみに凄く似ていました。
もしかして?と思いましたが、今回はそれではないそうです。ますます興味ありますねw
明治の時代に、つけ麺があったらも面白いが、あと明治の時代に半熟の味玉があったら?考案者の「ちばき屋」の千葉さんが明治時代にもいらっしゃったら、なんかとっても楽しい、ワクワクなつけ麺でした。麺には冷水の出汁が張られていて、これも面白かった。
遊び心も満載の限定で、ほんと感銘を受けました。
心の底から、ごちそうさま!