夢夢散歩♪

自然の写真を中心に、日々の出来事を綴ります。

庄内紀行④

2005年12月02日 | おでかけ(東北)
鶴岡市を後にし、酒田市へ向かいました。

酒田市役所の駐車場に車を止め降りると、市役所の前に大きな獅子の頭があってビックリ
毎年5月19~21日の3日間行われる酒田まつりの20日の本まつりで使われるそうです。獅子のほかに、山車行列や山鉾巡行があり、約400年続いているとのことです

酒田は、江戸時代にはお米の積み出し港として多くの船が行き交った町で、その繁栄ぶりは、「西の堺、東の酒田」と称されるほどでした

市役所のすぐ近くにあるのが「旧鐙屋(きゅう あぶみや)」です。



ここは、江戸時代に酒田一栄えた廻船問屋で、庄内紀行②で紹介した丙申堂と同じく、石置杉皮葺屋根の建物でした。
鐙屋の繁栄ぶりは、井原西鶴の「日本永代蔵」巻二の「舟人馬かた鐙屋の庭」に記されているとのことです
中では、江戸時代の暮らしぶりが再現されていて、当時の繁栄がうかがえました

だいぶと日が暮れてきたのですが、ここから山居倉庫(さんきょそうこ)へ行きました



明治26年(1893)にお米の保管倉庫として造られ、現在も農業倉庫として使われているそうです。
倉庫の後ろには、立派なケヤキが並んでいます。これは倉庫を西日から守るために植えられたそうです。新緑と紅葉の季節は、とっても美しいことでしょう

その山居倉庫の一部に辻村寿三郎さんの作品を紹介している「華の館」があったので、入ってみました
辻村さんの作品は、初めて実際に見ましたが、すごく表情があって、今にも動き出しそうでした。
唇もすごくツヤツヤでポッテリとしていて可愛かったです
最も印象に残っているのは、廓が栄えた湊町を遊女の世界に見立てたという「ひな人形」です。

 (パンフレットより)

細部まですごく細かく創られていて、また着物もとても美しく、見惚れました

見惚れているうちに、すっかり日が暮れて2日目が終了
3日目は午前11時20分発の飛行機のため、時間がない~と思っていましたが、まだまだ遊んじゃいました

少し早くホテルをチェックアウトし、日本一の白鳥の飛来地という最上川スワンパークへ行きました。
しかし…



「なんですか~ これは

すごい数の、カモでしょうか?
グエッ、グエッと鳴きながら寒いためかかたまっていました
でも感心してる場合じゃありません。
私は白鳥を見に来たんです
でも、いません~
みんな、どこかに飛んで行っちゃったのでしょうか?
カモに囲まれ、数羽泳いでいるだけでした。



実は白鳥はこの川以外で既に目撃していました。
なんと田んぼにいたんです。
山形に着いた日、車で走っていると、田んぼにたくさんの白い物体が見えて、「何かな」と確認すると、なんと白鳥だったんです。「田んぼに白鳥」って、なんだか不釣り合いですが、確かに白鳥でした。
だから、スワンパークから田んぼへ飛んでいってしまった後だったのかもしれません。残念でした

ここから空港へ一直線
でもまだ時間があったので、空港を通り越して湯野浜海岸へ行きました。



風が冷たくて冷たくて、凍えそうでした。
それにしても、風がきついんでしょうね。道に砂が吹き上げられていて、半分埋もれていたのには驚きました。
温泉宿がたくさんあり、次来る時は湯野浜温泉にゆっくりつかりたいです。

今回の庄内紀行、書きましたとおり、本当に充実した楽しい旅でした
蝉しぐれのロケ地を訪れて、新たな発見がたくさんありました。
藤沢さんは庄内のことを

「山があり、川があり、一望の平野がひろがり、春から夏にかけてはおだやかだが、冬は来る日も来る日も怒号を繰りかえす海がある。
東京の、よほど好天でもなければ山が見えない風景はどこか物足りないし、また信州のような土地に行くと、今度は山が多すぎて少し息苦しい感じを受けるのである。
庄内が一番いいというのは、そういうわけだ」

とおっしゃっています。
確かに、見渡す限りの平野が続き、その向こうには雪を頂いた山々が連なっている景色は、素晴らしいものでした

この旅をさせてくれた藤沢さんに感謝します。
まだまだ訪れたい所がたくさんあるので、また必ず行きます

終わり
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庄内紀行③

2005年11月29日 | おでかけ(東北)
さて、いよいよ蝉しぐれオープンセットへ。
オープンセットまでは、どこまでも続く田んぼの中の道を通りました
ここは、地元の方から提供を受けた1万坪のスペースを活用し、1億円をかけて建設されたそうです。

 〈牧家〉

セットという感じではなく、屋根には草が生えていて、昔からずっとここに建っているという風合いでした



部屋の中が見学できるのですが、雨が降っていたためか、戸が少ししか開いておらず、残念でした

裏へ回ると、畑があり、なすが実をつけていました。



このなす、映画「蝉しぐれ」で父の助左衛門さんがポキッと収穫しているのを見て「ちっちゃ…」と笑っていたのですが、実は鶴岡名物の民田茄子で、小茄子なのだそうです。
塩漬けにして食べると、サッパリとした風味で、夏を代表する味覚だということです



海坂藩普請組屋敷内でにいると、その時代にもぐりこんだ気分になりました。広がる大地と向こうに見える山々を見ていると、周囲の景色が変わると人間も変わり、人間が変わると周囲の景色も変わってしまうんだろうなぁと少し感じました。

続いて1㎞ほど離れた所にある「蝉しぐれ資料館」へ向かいました。その前にお腹がすいたのでお昼ご飯を食べました。



↑は「芋っこぼたもち鍋」です。芋っこぼたもちは、うるち米と茹でた里芋をつぶして丸めた団子のことです。旧庄内藩士の各家庭で代々受け継がれてきた名物料理だそうです。お鍋の真ん中にちょこっと白く浮いているのが「芋っこぼたもち」なのですが、ちょっと分かりにくいですね… 5つも入っていて、お腹いっぱい、ホカホカに体が温かくなりました。



↑は「だだちゃ豆アイス」です。このだだちゃ豆も鶴岡名産です。鶴岡周辺の限られた地域で江戸時代から生産されてきた枝豆で、この種子を他の地域で生産しても、だだちゃ豆の特性が消えてしまうそうです。
「だだちゃ」とは庄内地方の方言で「お父さん」という意味で、昔々、殿様が大変な枝豆好きで、毎日枝豆を持ち寄らせては「今日はどこのだだちゃの枝豆か?」と聞いていた事から、だだちゃ豆と呼ばれるようになったそうです。
今回、だだちゃ豆は食べられませんでしたが、このアイスにはだだちゃ豆の細かいツブツブがそのまま入っていて、美味しかったです。
枝豆の王様と言われている「だだちゃ豆」。
ぜひ次回は味わってみたいです



資料館は松ヶ岡開墾場の松ヶ岡蚕室を活用しています。
館内には映画の名シーンが台本とともに展示されていました。また、こぢんまりしたDVDシアターがあり、藤沢作品についての魅力を黒土監督が語っていました。

「海坂藩の面影」という冊子を頂きました




藤沢周平の作品と、その舞台が紹介されています
今回の旅行は2泊3日でしたが、1日目は羽黒山、3日目は朝の飛行機で帰ったので、時間が本当に少なかったです。
次は藤沢作品を読んで、また訪れたいです

この後は酒田市へ向かいました。
次回、庄内紀行最終回。

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庄内紀行②

2005年11月26日 | おでかけ(東北)
2日目は主に鶴岡市内をまわりました
天気は、相変わらず雨が降ったりやんだり。あられも一時降りました

最初に行ったのは鶴岡カトリック教会天主堂です。落ち着いた城下町に、十字架を掲げた赤いとんがり屋根がとても目立っていました
フランス人のダリベル神父によって、明治36年(1903年)に建てられ、明治西洋建設の傑作と謳われています



聖堂は天井が高く、窓が多いので、とても明るかったです。
イエス・キリスト、聖フランシスコ・ザベリオ、聖テレジアの像が飾られています。



聖堂左側の副祭壇には、日本でただ一体の「黒い聖母マリア像」が立っています。教会が完成した明治36年10月に、フランスのノルマンディー州にあるデリヴランド修道院から贈られたもので、世界的にも珍しいそうです。



この窓絵も日本でただ一つの物です。
ステンドグラスでも色ガラスでもなく、薄い透明な紙に描かれた聖画を2枚のガラスで挟んだ「貼り絵」だそうです。
高価なステンドグラスに代えて使用されたと考えられています。

一歩中へ入ると、シーンとした聖堂に光が降りそそいでいて、すごく神聖な場所に思えました

続いて、すぐ近くの旧風間家住宅「丙申堂(へいしんどう)」へ。
風間家は18世紀に庄内藩の御用商人で財を蓄積し、明治期に貸金業に転じ、風間銀行(荘内銀行の前身)を創設したそうです。
丙申堂は明治29年に、当主が住まい及び営業の拠点として建築した物です。



建物は木造杉皮葺の石置屋根です。大きな石がぎっしり敷き詰められていて、その数なんと4万個
なぜ石なのかは係の人によると、

1.鶴岡は風がきついので、火事が起こるとその火の粉が飛んできます。
  そこで火事を防ぐために石置屋根にした。
2.瓦の質が悪く、すぐに割れるので、いっそのこと石にした。
3.城下町であったため、へりくだる意味で石にした。

と、色々と説があるようです。

ここで映画「蝉しぐれ」をご覧になった方へ
丙申堂では、文四郎とふくの再会のシーンが撮影されました。
上の写真は、文四郎(染五郎さん)が、男性(蛭子さん)に案内されてやってくるシーンです。
そして下の写真は、文四郎とふく(木村佳乃さん)が再会した部屋です。



意外と小さい部屋でビックリしました。
奥に見える建物は、黒土監督がCGを使って消すのを嫌がり、木をたくさん立てたり、すだれをかけたりして隠したそうです。

映画のシーンが思い出され、また見たくなってしまいました

ここ丙申堂は耐震構造になっていて、梁がトラス状(三角形を組み合わせた骨組み)になっていて、素晴らしい造りでした。
係の方が蝉しぐれの撮影のこともおりまぜながら、親切丁寧に案内をして下さいました

なかなか、オープンセットに行けない…
次は、蝉しぐれオープンセットです。

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庄内紀行①

2005年11月23日 | おでかけ(東北)
18~20日まで、山形へ行ってきました。
藤沢周平が愛した庄内と、作品「蝉しぐれ」の原風景を訪ねるためです。伊丹から1日に1本出ている飛行機で庄内へ
寒さは覚悟していましたが、大阪とは風の冷たさが全然違いました帽子にマフラー、ダウンコートと防寒対策バッチリ
でも山形の人は、とっても薄着でした。まだまだ寒さは序の口なんでしょうね。

空港からは車で羽黒山へ直行しました =3

 
     〈羽黒山神社大鳥居〉

映画「蝉しぐれ」で、文四郎が捕らえられた父に面会に行くシーンが、羽黒山の表参道で撮影されました。山頂へは車で簡単に行けますが、蝉しぐれファンとしては、あのシーンが撮影された石段を見なくてはと、↓の参道入口から歩いて向かいました。あいにくの天気で、傘をさしながらの登山となりました

 
     〈参道入口の鳥居と奥の随神門〉

 
     〈神橋と祓川(はらいがわ)〉
昔、人々はこの祓川で身を清めてから登ったそうです。

 
     〈爺杉(じじすぎ)〉
神橋をこえて少し行くと、高さ42m、樹齢約1000年の爺杉があります。

 
     〈五重塔〉
平将門が寄進したとされる五重塔。長い間の風雪にも耐えてきたという感じの木肌が見え、ひっそりと、でもどっしりとたたずんでいました。


     〈一の坂〉
この一の坂で映画の撮影は行われたそうです
山頂までは石段が2446段あり、樹齢300~600年の杉木立が続きます。



二の坂はすごく坂が急で、一番きつかったです
登り始めた時は寒くて寒くてどうしようもなかったのに、この頃にはほかほか温かくなりました。



途中に「二の坂茶屋」があり、そこで休憩できると思っていたのですが、もうすっかり冬支度で、茶屋の周りは囲いで閉鎖されていました 
そのため、所々にある社で雨をしのいで休憩しました。
確かに人が全然いません。すれ違ったのは、下山する一組の夫婦だけでした。



三の坂を越えて、ようやく山頂に到着
麓から1時間ちょっとの道のりでした。
山頂へ着いた途端、雪が激しく降り出し、あっという間に一面真っ白になりました



出羽三山とは、南北に連なる羽黒山、月山、湯殿山の総称です。羽黒山頂の出羽三山神社は、羽黒山の祭神に加え、冬期の参拝が不可能な月山、湯殿山の祭神を合祀した三神合祭殿(さんじんごうさいでん)となっていて、ここ一カ所を参拝すれば、三山を詣でたことになるそうです。


神社も冬支度を始めていました。

 〈境内の鐘〉

体が芯まで冷えたので、羽黒そばで温まりました。山菜たっぷりの醤油味で美味しかったです


私は雪が大好きなので、羽黒山頂で美しい雪景色を見ることができて、幸せでした。


神社境内には出羽三山歴史博物館があり、出羽三山の歴史と文化を物語る資料が展示されています。個人的には仏像が大好きなので、資料館1階に展示されていた多くの仏像がすごく興味深かったです。

さて、帰りはどうするか?と考えた時、雪が積もっていたら危険だなと思いつつ、来た道を見てみると、なんとか行けそう。
もと来た道を引き返しました。
帰りの方がきつかったです。足はガクガクになるし、雨で濡れて滑るし、辺りは暗くなってくるし、人っ子一人いないし、とても心細かったです

でもこの石段を登ってこそ、羽黒山を全身で感じる事ができます 新緑の季節も、きっとすごく綺麗だと思います。
また行ってみたい山です

この日は羽黒山で一日が終わりました。
次に続きます…
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羽黒山

2005年11月18日 | おでかけ(東北)
山形へやってきました!
蝉しぐれ紀行です。
羽黒山の石段を登りましたが、きつい~(>_<)
頂上は雪でした。
明日は蝉しぐれオープンセットに行ってきます。
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秋田旅行記④

2005年08月06日 | おでかけ(東北)
最終日。ホテルを出て、近くにあるという田沢湖金色大観音を見に行きました。ホテルにあった案内に、「みちのくの名所」と書いてあったので、期待して向かいました

以前も書きましたが、私は神社やお寺が好きで、仏像などにも心ひかれます
しかし、ここの観音様は全く私を魅了しませんでした



鋳造製の金色大観音像としては、高さが35メートルで日本一だそうです。時間が早かったからかお詣りする人は誰もいないし、手入れもあまり行き届いていませんでした。

大観音像の台座内には、幻想宮殿というものがあり、音と光と映像で「般若心経」の世界を見られるようになっています。
中に入るとセンサーが感知するのか宗教っぽい音楽が流れだし、ガラスの向こうにはスモークにたかれ、なぜかびしょ濡れで、怪しげな色にライトアップされた金色の像がお出迎えしてくれました。私には、何を意味しているのか理解できませんでした。

外に出て、もう一度観音様を見ると、なんだか独りぼっちで立たされている感じがして、少しかわいそうになりました。

この日は田沢湖を一周しました。
途中、白浜という所に、田沢湖一周の遊覧船乗り場があったので、乗ることにしました
立派な船で、スピードも速かったので、風がとても心地よかったです名所付近では一時停止もしてくれましたし、観光案内も分かりやすく、約40分の遊覧を堪能しました。

下の写真は御座石付近を船から写しました。



湖面の色は見る場所、見る時間、見る時の天気によって、全く違います。田沢湖は人を惹きつける力をすごく持っているなと感じました。機会があれば、何日か湖岸でのんびり過ごし、田沢湖のいろんな表情を見てみたいです

初めて訪れた秋田は、本当に日常から解き放たれてリラックスできました
山と渓谷の緑、湖の青、滝の白、秋田でよく見かけた「ねじり花」のピンク



そして、ババヘラアイスのパラソルの色
本当に様々な色を見ることが出来ました。
春夏秋冬、毎日違った色を見ることが出来るんでしょう。
是非また訪れたい県です。

終わり。
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秋田旅行記③

2005年08月02日 | おでかけ(東北)
角館を後にし、抱返り渓谷へ向かいました。



昔、渓谷を通ろうとした人々が、あまりの険しさに、お互い抱き合って身を交わしたということから、この名が付いたという説があるそうです。
確かに今でもかなり狭い道で、すぐ横は断崖
足場は崩れてきている箇所があったり、落石の形跡があったりして、ちょっとヒヤヒヤでした

渓谷の一番奥の夏瀬ダムまでは、約7㎞あるそうです。暑さでバテていた私は、もちろん歩く元気はなく、約1.5㎞先にある、回顧の滝(みかえりのたき)まで歩きました。



滝の側は「マイナスイオンたっぷり~」という感じの空気で、すごく清々しく、心も体も癒やされました。

川は見る場所によって、ブルーというかグリーンというか、何とも言えない色合いで、不思議な世界にやってきた感じになりました

次回行く時は、体力をつけて、夏瀬ダムまで歩きたいです

この日泊まったホテルは、田沢湖の近くだったので、ホテルへ行く前に田沢湖に立つ「たつこ像」を見に行きました。



その昔、辰子という稀に見る美貌を持った娘がいました。
自分の美しさが永遠に保たれるように、大蔵観音に百日詣りの願をかけました。すると「山奥の谷間に湧く泉の水を飲むように」とお告げがあり、辰子はその泉を探し当てると、泉の水を手にすくって一口飲みました。不思議なことに飲めば飲むほど喉が渇き、辰子は腹這いになり、泉に口を付けて飲み続けました。
気が付くと辰子は龍に姿を変えていました。辰子は嘆き悲しみの末、そのまま泉の底に住み着き、田沢湖の主になったと伝えられています。

この伝説には続きがあるようで、龍になった辰子は八郎湖の主「八郎太郎」と恋に落ち、秋になると太郎が田沢湖に通い、冬の間仲むつまじく過ごすそうです。そのため湖は凍らず、田沢湖が日本一の深さになったのも二人の愛の深さゆえという言い伝えもあるそうです

さてさて、この日の夕飯は秋田名物、稲庭うどん、きりたんぽ鍋でした。



一泊二食付きでとっても安かったので期待してなかったのですが、なかなか豪華で美味しく頂きました

次回最終回。
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秋田旅行記②

2005年07月31日 | おでかけ(東北)
2日目、ホテルをチェックアウトし、この日は角館方面へ向かいました
向かう前にちょこっと日本海によりましたが、誰もいませんでした。海水浴場じゃないみたいです。



秋田の道を走っていてよく見かけたのが、このおばさん&おばあさん達です。


(小さすぎてよく分からないですね
道沿いにポツンポツンとパラソルを立てて座っています。この方達は秋田では有名で、アイスを売っています。
その名も「ババヘラ・アイス」(←地方発送もしています。是非HPを見てみて下さい♪)おばあさんがヘラでアイスをコーンに盛ることから、この名が付いたそうです。とてもあっさりしていて、後味さっぱり。本当に美味しかったです。



アイスを食べ、角館へ直行
ここは藩政時代からの武家屋敷が連なる、みちのくの小京都と呼ばれる町です。まだ「観光地~」という感じになっていないので、ゴチャゴチャしていなくて、とても風情がありました

武家屋敷は公開されていて、武具や美術品などが展示されています。



枝垂れ桜が通りを挟み、すぐ側の桧木内川沿いにはソメイヨシノが約2㎞に渡って続き、見事な桜のトンネルがあらわれるとのことです。

角館で初めて知った人物が小田野直武です。



彼は平賀源内に師事し、秋田藩主 佐竹義敦とともに、秋田蘭画を確立しました。また杉田玄白らが刊行した「解体新書」の挿絵を描き、その名を高めました。

お腹がすいたので、お昼ご飯です。
サツマシャモ、名古屋コーチンと並ぶ日本三鶏のひとつ「比内地鶏」の焼き鳥とカレーを食べました。



鶏のお肉はさすが地鶏だけあって、たくましく、美味しかったです

続きます…

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秋田旅行記①

2005年07月30日 | おでかけ(東北)
23日から25日までの2泊3日、家族で秋田県へ行ってきました
大阪から秋田まで、約1時間20分のフライト。秋田空港は山の中にあるようで、どんどん木が近づいてきて、飛行機にぶつかるんじゃないかなという位でした。
空港では、なまはげがお出迎えしてくれました。



秋田空港からはレンタカーを借りて、いざ出発 =3
とりあえずホテルにチェックインし、お昼ご飯を食べに出かけたのですが、お店が全然ありません 旅行をすると、よく食事に苦労します。
「これは駅前に行くしかない」と、約20分歩いてたどり着いたのがラーメン屋さん。そこで南秋ラーメンを食べましたが、味はいまひとつでした…



お腹もいっぱいになり、元気になったところで、秋田駅の近くにある千秋公園へ足を運びました。ここは江戸時代の秋田藩主 佐竹氏の久保田城があった所で、佐竹氏はここを居城として、12代 270年にわたって秋田を治めていたそうです。



ここの御隅櫓では、佐竹氏の歴史の解説やパネルの展示が行われています。また、一番上には展望台があり、市街が一望できます。私が行った日は人も少なく、快晴で、風が心地よく、最高でした。



夜は前回書いたようにライブへ

ライブの帰り、ホテルの側で竿燈まつり(←動画も見れます)の練習をしているのを見ることが出来ました。竿燈まつりは、青森のねぶた、宮城の七夕とともに、東北の三大祭りの一つになっています。8/3~6まで、米俵に見たてた提灯をたくさん下げた巨大な竹竿を、人が担ぎ、肩や腰、額にと自由に乗せかえるそうです。笛や太鼓もあり、竿は200本以上集結するとのこと。すごい迫力なんでしょうね

続く…
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秋田に来ています。

2005年07月25日 | おでかけ(東北)
土曜日から秋田県に来ていて、今日帰ります。
また秋田旅行記をUPしますので、読んでくださいね♪
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