(東京へ向かう新幹線から見た富士山です ↑)
久々にお出かけの記事を書きます。
旅は行ってるのですが、なかなかアップできなくて
12月23日にルナシーのコンサートで東京へ行ったのですが、しっかり観光もしてきました と言っても、ドーム入りするまでの2時間ほどですが…
時間がないので「どうしようかな」と思っていたのですが、上野からドームまでブラブラ歩いたらちょうど良いくらいかなと思い、散歩してきました
上野公園は天気がよい事もあり、多くの人で賑わっていました。
ここで見たかったのが、この大仏様です。
寛永8年(1631年)戦死者慰霊のための漆喰の釈迦如来像を建立。
正保4年(1647年)地震により倒壊。
万治年間(1658~1661年)金銅像として再興。
天保12年(1841年)火災により損傷。
天保14年(1843年)新鋳再建。
安政2年(1855年)安政大地震により頭部破損。その後修復。
大正12年(1923年)関東大震災により頭下。大破。
(再建する資金の目処が立たず、大破した頭部及び解体撤去された胴部以下は寛永寺にて保管される。)
昭和15年(1940年)軍需金属資源として、顔面部を除く頭部、胴部以下は供出され消滅。
昭和47年(1972年)寛永寺に保管されていた顔面部をレリーフとして旧跡に安置する。
何回も可哀想な目に遭っています。
いつか頭、体もある大仏様になれるといいですね。
そこから不忍池の真ん中にある不忍池弁天堂へ。
ここは不忍池を琵琶湖に見立て、竹生島の弁才天を模しているだそうです。
不忍池の東側、これは一面に蓮でしょうか?
今は枯れてる状態でしたが、花の咲く頃は綺麗なんでしょうね
道を挟んで西側は、ボート池です。
お天気も良くて、気持ちよさそうでした
続いて、湯島天神へ。
社殿へ行くには男坂(左)と女坂(右)があります。
男坂はとっても急坂。
女坂は緩やかな坂です。私は女坂をのぼりました
湯島天神です。
学問の神様だけあって、学生さんらしき人がたくさん来ていました。
本郷通りに出て、西へ西へ。
本郷三丁目の交差点の角にあるのが、この「かねやす」です。
行った日はお休みでしたが、洋品店だそうです。
なぜここへ行ったかというと、↓これが見たかったんです。
前に、NHKの「ブラタモリ」と言う番組でこの辺りをやっていて、これがタモリさんの後ろに映っていたんです。
気になって調べてみると、こういう物でした。
ここ「かねやす」は享保年間(1716~1736年)に、乳香散という歯磨き粉を売り出し、これが大当たりして繁盛していたそうです。
その時の町奉行 大岡越前守が「かねやす」を境に、南側を耐火のために土蔵造りや塗屋にすることを命じました。
一方、北側は従来どおりの板や茅ぶきの造りの町家だったそうです。
そこから「本郷も かねやすまでは 江戸の内」と川柳にも唄われたのだそうです。
ずーっとお店をやっているのも、すごいですよね。
文京区は坂がすごく多くて、東京にある433も坂のうち、115もの坂があるのだそうです。
私は菊坂を通って、炭団坂(たどんざか)へ行きました。
文京区は台地の端に位置するため、台地に上がる坂が至る所にあるのだそうです。
炭団坂を下から見たところ
炭団坂を上から見たところ
昔の地形がそのまま残っているって、すごいですね。
どんな世界だったんだろうと想像すると、楽しいです。
なんだか、すごく長くなってしまったのでこの辺で。
この後、文京ふるさと歴史館で、文京区のあれこれを学び、東京ドームへ行きました。
まだまだ歩いてみたいところがいっぱい。
また、絶対に歩こうと思います。
久々にお出かけの記事を書きます。
旅は行ってるのですが、なかなかアップできなくて
12月23日にルナシーのコンサートで東京へ行ったのですが、しっかり観光もしてきました と言っても、ドーム入りするまでの2時間ほどですが…
時間がないので「どうしようかな」と思っていたのですが、上野からドームまでブラブラ歩いたらちょうど良いくらいかなと思い、散歩してきました
上野公園は天気がよい事もあり、多くの人で賑わっていました。
ここで見たかったのが、この大仏様です。
寛永8年(1631年)戦死者慰霊のための漆喰の釈迦如来像を建立。
正保4年(1647年)地震により倒壊。
万治年間(1658~1661年)金銅像として再興。
天保12年(1841年)火災により損傷。
天保14年(1843年)新鋳再建。
安政2年(1855年)安政大地震により頭部破損。その後修復。
大正12年(1923年)関東大震災により頭下。大破。
(再建する資金の目処が立たず、大破した頭部及び解体撤去された胴部以下は寛永寺にて保管される。)
昭和15年(1940年)軍需金属資源として、顔面部を除く頭部、胴部以下は供出され消滅。
昭和47年(1972年)寛永寺に保管されていた顔面部をレリーフとして旧跡に安置する。
何回も可哀想な目に遭っています。
いつか頭、体もある大仏様になれるといいですね。
そこから不忍池の真ん中にある不忍池弁天堂へ。
ここは不忍池を琵琶湖に見立て、竹生島の弁才天を模しているだそうです。
不忍池の東側、これは一面に蓮でしょうか?
今は枯れてる状態でしたが、花の咲く頃は綺麗なんでしょうね
道を挟んで西側は、ボート池です。
お天気も良くて、気持ちよさそうでした
続いて、湯島天神へ。
社殿へ行くには男坂(左)と女坂(右)があります。
男坂はとっても急坂。
女坂は緩やかな坂です。私は女坂をのぼりました
湯島天神です。
学問の神様だけあって、学生さんらしき人がたくさん来ていました。
本郷通りに出て、西へ西へ。
本郷三丁目の交差点の角にあるのが、この「かねやす」です。
行った日はお休みでしたが、洋品店だそうです。
なぜここへ行ったかというと、↓これが見たかったんです。
前に、NHKの「ブラタモリ」と言う番組でこの辺りをやっていて、これがタモリさんの後ろに映っていたんです。
気になって調べてみると、こういう物でした。
ここ「かねやす」は享保年間(1716~1736年)に、乳香散という歯磨き粉を売り出し、これが大当たりして繁盛していたそうです。
その時の町奉行 大岡越前守が「かねやす」を境に、南側を耐火のために土蔵造りや塗屋にすることを命じました。
一方、北側は従来どおりの板や茅ぶきの造りの町家だったそうです。
そこから「本郷も かねやすまでは 江戸の内」と川柳にも唄われたのだそうです。
ずーっとお店をやっているのも、すごいですよね。
文京区は坂がすごく多くて、東京にある433も坂のうち、115もの坂があるのだそうです。
私は菊坂を通って、炭団坂(たどんざか)へ行きました。
文京区は台地の端に位置するため、台地に上がる坂が至る所にあるのだそうです。
炭団坂を下から見たところ
炭団坂を上から見たところ
昔の地形がそのまま残っているって、すごいですね。
どんな世界だったんだろうと想像すると、楽しいです。
なんだか、すごく長くなってしまったのでこの辺で。
この後、文京ふるさと歴史館で、文京区のあれこれを学び、東京ドームへ行きました。
まだまだ歩いてみたいところがいっぱい。
また、絶対に歩こうと思います。