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【神社】卑弥呼の墓と伝わる“八倉比売神社”の奥の院@徳島県徳島市国府町矢野宮谷

2022-02-16 | 神社・仏閣
 今回は、膨大な写真の中から発掘した四国は徳島県徳島市の郊外に鎮座する八倉比売神社とその奥の院の紹介です。
ここには、不思議な五角形の積石遺構があり卑弥呼の墓伝承が伝わります。

訪れたのは、1998年の8月 朝方羽田より徳島空港からレンタで徳島駅前の観光案内所で情報を得て、近場で食事を摂りこちらの神社に直行した記憶が蘇ります。正式名称は、天石門別八倉比売神社と呼称します。

そもそもの元ネタは、ムー誌の93年9月発行『日本ミステリーゾーンガイド』「徳島 女王・卑弥呼の墓と五角形ゾーンの謎 邪馬台国は阿波にあった!?」の記事に触発されての訪問でした。

天石門別八倉比売神社
祭祀:大日霊命(おおひるめのみこと)別名:天照大神 
由緒:創建の年代は不詳であるが、社伝には天照大神の葬儀の様子が記されている。はじめは気延山(標高212.2m)の山頂にあったが、後に気延山南麓尾根の杉尾山の標高110m付近に鎮座した。安永2年(1773年)に書かれた文書には、鎮座から2150年と記されており、逆算すると紀元前378年(孝安天皇15年)となる。
承和8年(841年)に正五位下の神階を授けられ、元暦2年(1185年)に最高位の正一位となった。江戸時代には阿波国を治めた蜂須賀氏が当社を崇敬した。寛保年間(1741年 - 1743年)に杉尾大明神と称し、明治3年(1870年)に現社名に改めた。WIKIより
 現地案内板(サムネイルをクリックして拡大)
※案内板には、八倉比売神宮とあります。この地は地名「国府」ともある様にかつて阿波国の国府が置かれていた地でもあり時の朝廷にとっても非常に重要な神社であった事を伺い得る事が出来ます。
八倉比売神社があるここ杉尾山を含むこの一帯には約200基もの古墳が存在しているそうで、縄文期から古墳時代にかけての遺跡も数多く発掘されているそうです。前方後円墳の前部分に社殿が、そして後ろにあたる円墳部分は奥の院となっています。
奥の院へと至る参道入口にあった祠
八倉比売神社奥の院 異質な雰囲気を醸し出している五角形の祭壇
(クリックして拡大)
青石で築かれた興味深い独特の石組遺構です。 

祭壇中央にある石の祠
青石で組まれた祠の中に写真では、ボヤッとしていますが砂岩の鶴石、亀石(鶴と亀で思い出すのは“カゴメカゴメ~”で始まるカゴメ歌ですが カゴメ紋はダビデの紋章でもあります。)を組み合わせた「つるぎ石」が祀られています。
見た目は石棒にも見えますが、この祭壇は一説によると“卑弥呼の墓”と伝えられています。この阿波一帯こそが邪馬台国であると言った説があります。
真偽は別として、異質な他国の祭祀形態を思わせる五角形の不思議な積石遺構と祭壇は一見の価値があります。

天乃真名井(大泉神社)謎の五角形の井戸 
我々が訪れた際はインターネットなど無い時代でしたので、山中をさ迷ったものの結局場所を特定できずたどり着けませんでしたが、奥の院から更に500mほど登った場所に「大泉神社」と呼ばれる場所がありそこに、五角形の井戸があります。天文年間までは十二段の神饌田の泉だったようです。(写真はWIKIより転載)

五角形の石柱「地神塔」 (悲岸寺境内)
阿波地方では“地神(じしん)さん”と呼ばれる『5』に纏わる独特の祭祀形態があります。天照大神、大己貴命、少彦名命、埴安姫命、倉稲魂命を石柱に刻み祀る興味深い風習ですが、わざわざ五角形の祭壇や井戸を造るところに呪術的な面と五行思想にも相通じている何かがあるようにも思われ興味深いです。
(撮影:1998年8月 お断り:時が経ち状況が現在と異なっている可能性もあります。
【マップ】


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