サクラさんが埴輪くんに会いたい!と言うので、ぶらっと出かけてみました。
今回の目的地は、群馬郡群馬町保渡田および井出町にある「保渡田古墳群」かみつけの里と言われる所です。
JR高崎線で高崎駅からバスに揺られる事30分あまり。
ここは、かみつけの里とも呼ばれ整備された八幡塚古墳を中心に現在整備中の二子山古墳と今は、お寺の境内の一部になっている薬師塚古墳の3基がメインになっている古墳公園です。
ここの古墳群は、全国でも特筆した特徴があります。
それは…。
①6世紀の初頭に二度噴火した榛名山系の大噴火でポンペイの遺跡のごとく当時の山ろくに住む人々の水田、畑、集落、祭祀などの遺跡群が周辺地域にそのままの姿で出土され古墳成立の背景となった社会の構造が明確に判明していること。
②この地域を取り仕切っていた豪族の居住跡や被葬者の名前が明確に判っていること。
③古墳群から出土した人物、動物埴輪の数がわが国でも最大級の出土数で、特に「八幡塚古墳」からは「埴輪配列」が殆ど原型を留めた形で出土され、それらから埴輪群像は王の就任の様子を表したとする「王権継承儀礼説」が唱えられ現在ではそれが有力視されていること。
いずれも榛名山の噴火で、当時の姿をとどめたタイムカプセルの場所だった全国でも類を見ない貴重な古墳群で、学術的にも非常に興味深い場所なんだそうです。
併設されている「かみつけの里博物館」では、当時の人々の暮らしぶりや近くから出土された遺跡の数々が展示されていました。
天気が良かったので、遠くには、榛名山系、妙義山、浅間山も眺望する事が出来ました。
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本古墳群は二子山、八幡塚、薬師塚の3基の前方後円墳から成り、榛名山東南麓の緩傾斜地を東南に流れる井野川の東岸に位置する。
この3基の古墳はいずれも舟形石棺を埋葬主体としており、5世紀末から6世紀前半にかけて築造されたものと考えられている。二子山古墳と八幡塚古墳については内堀に中島が4つあり、中堤帯上に埴輪配列があるなど共通した特徴も持つ。二子山古墳は墳丘の主軸の長さ111㍍、前方部幅75.5㍍、後円部の径75㍍を計る。この古墳は、かつて後藤守一氏により調査され『考古学雑誌』に「上野国愛宕塚」と発表されたものである。八幡塚古墳は主軸の長さ100㍍、前方部幅57㍍、後円部径56㍍である。3段築成の墳丘に2重の堀をめぐらしている。福島武雄氏の調査した形象埴輪配列区は著名である。薬師塚古墳は1683(天和3)年に主体部が掘られ、馬具等の副葬品が多数出土し重要文化財となっている。石棺は墳丘上に保管されている。
保渡田古墳群(ほどたこふんぐん) より引用
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現在整備中の双子塚古墳 右端の雪山は「浅間山」
八幡山古墳全体
後方より埴輪列を望む
「埴輪列の復元」学術的にも貴重な埴輪列がここから出土された。
後方より前方部を望む
前方部内部に復元された貴重な石棺 残念ながら盗掘にあったそうだ。
前方部より後方部を望む
保渡田薬師塚古墳-1 現在は、お寺の境内の一部になっている。ここも葺き石と円筒埴輪列が周囲に置かれていた事が判っている。
保渡田薬師塚古墳-2 前方部を墓地より望む 5世紀末から6世紀にかけて造成され保渡田古墳群の中でも最後に造成された古墳と伝わる。
保渡田薬師塚古墳-3 前方部上から後方部を望む ここでは鋳造された他では類を見ない貴重な馬具が出土されている。
保渡田薬師塚古墳-4 出土された舟形石棺
今回の目的地は、群馬郡群馬町保渡田および井出町にある「保渡田古墳群」かみつけの里と言われる所です。
JR高崎線で高崎駅からバスに揺られる事30分あまり。
ここは、かみつけの里とも呼ばれ整備された八幡塚古墳を中心に現在整備中の二子山古墳と今は、お寺の境内の一部になっている薬師塚古墳の3基がメインになっている古墳公園です。
ここの古墳群は、全国でも特筆した特徴があります。
それは…。
①6世紀の初頭に二度噴火した榛名山系の大噴火でポンペイの遺跡のごとく当時の山ろくに住む人々の水田、畑、集落、祭祀などの遺跡群が周辺地域にそのままの姿で出土され古墳成立の背景となった社会の構造が明確に判明していること。
②この地域を取り仕切っていた豪族の居住跡や被葬者の名前が明確に判っていること。
③古墳群から出土した人物、動物埴輪の数がわが国でも最大級の出土数で、特に「八幡塚古墳」からは「埴輪配列」が殆ど原型を留めた形で出土され、それらから埴輪群像は王の就任の様子を表したとする「王権継承儀礼説」が唱えられ現在ではそれが有力視されていること。
いずれも榛名山の噴火で、当時の姿をとどめたタイムカプセルの場所だった全国でも類を見ない貴重な古墳群で、学術的にも非常に興味深い場所なんだそうです。
併設されている「かみつけの里博物館」では、当時の人々の暮らしぶりや近くから出土された遺跡の数々が展示されていました。
天気が良かったので、遠くには、榛名山系、妙義山、浅間山も眺望する事が出来ました。
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本古墳群は二子山、八幡塚、薬師塚の3基の前方後円墳から成り、榛名山東南麓の緩傾斜地を東南に流れる井野川の東岸に位置する。
この3基の古墳はいずれも舟形石棺を埋葬主体としており、5世紀末から6世紀前半にかけて築造されたものと考えられている。二子山古墳と八幡塚古墳については内堀に中島が4つあり、中堤帯上に埴輪配列があるなど共通した特徴も持つ。二子山古墳は墳丘の主軸の長さ111㍍、前方部幅75.5㍍、後円部の径75㍍を計る。この古墳は、かつて後藤守一氏により調査され『考古学雑誌』に「上野国愛宕塚」と発表されたものである。八幡塚古墳は主軸の長さ100㍍、前方部幅57㍍、後円部径56㍍である。3段築成の墳丘に2重の堀をめぐらしている。福島武雄氏の調査した形象埴輪配列区は著名である。薬師塚古墳は1683(天和3)年に主体部が掘られ、馬具等の副葬品が多数出土し重要文化財となっている。石棺は墳丘上に保管されている。
保渡田古墳群(ほどたこふんぐん) より引用
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現在整備中の双子塚古墳 右端の雪山は「浅間山」
八幡山古墳全体
後方より埴輪列を望む
「埴輪列の復元」学術的にも貴重な埴輪列がここから出土された。
後方より前方部を望む
前方部内部に復元された貴重な石棺 残念ながら盗掘にあったそうだ。
前方部より後方部を望む
保渡田薬師塚古墳-1 現在は、お寺の境内の一部になっている。ここも葺き石と円筒埴輪列が周囲に置かれていた事が判っている。
保渡田薬師塚古墳-2 前方部を墓地より望む 5世紀末から6世紀にかけて造成され保渡田古墳群の中でも最後に造成された古墳と伝わる。
保渡田薬師塚古墳-3 前方部上から後方部を望む ここでは鋳造された他では類を見ない貴重な馬具が出土されている。
保渡田薬師塚古墳-4 出土された舟形石棺
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