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【古墳】道祖神裏古墳@千葉県君津市外箕輪

2018-02-11 | 縄文・古墳・遺跡・史跡
先日妹夫妻の住む千葉は君津市の自宅に招かれたおり、たまたま見ていたGoogle Mapsで夫妻の自宅近くに古墳がある事を偶然知りました。
ググってみたところなかなか興味深い古墳である事がわかったので、買い物がてらブラっと立ち寄ってみる事にしました。

【マップ】

館山自動車道 君津インターを降りたすぐの場所にあります。

道祖神裏とは、ここ塞神社に奉られている道祖神から銘々されているようです。

案内板(サムネイルをクリックして拡大)
小糸川下流域の北岸、標高約40mの丘陵先端に位置し、全長約56mの、古墳時代前期(約1,700年前)としては千葉県最大級の前方後方墳である。前方部は幅15m、高さ2.5m、後方部は幅34m、高さ5mであり、形態的には前方部が未発達の古い様相を示している。
昭和51年(1976)に千葉県教育委員会によって周溝確認調査が実施され、周溝は墳丘の東側及び後方部北側にのみ存在することが明らかになった。このとき、後方部北側の周溝から甕形土器等が出土している。
小糸川の最下流域には、古墳時代中期に築造が開始される内裏塚古墳群が所在する。道祖神裏古墳とその周辺には、八重原1号墳、権現山古墳、八幡神社古墳といった古墳時代前期から後期まで有力な古墳が所在している。道祖神裏古墳は、小糸川流域の古墳時代でも最初期に築かれた首長墓であり、地域の古墳時代史を考える上で重要な古墳である。

千葉県教育委員会 こちらの解説文より引用)

資料(千葉県教育振興財団 研究紀要 第21号その5より転載)
ここの古墳が興味深いのは全国でも200基あまりしかない“前方後方墳”であることです。
弥生末期から古墳前期に造られ主に東海・関東地方でで多く見られる型なのだそうです。
前方後円墳と前方後方墳の違いについては、畿内と東国との「二項対立説」、「首長層の政治的なランク付け」など諸説あるようですが未だにその真相は分かっていないそうです。


後方部東側面より

前方部北側面より

前方部より後方部を望む(北から南)

同(西側より)

馬の背辺り

西側面より馬の背を望む(左側が前方部)

古墳全体(画像クリックで、パノラマ全体写真を別ウィンドウで開きます。)
四世紀代の遺物としては、今でもかなり良好な状態で残されている貴重な墳墓といえるでしょう。

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