4月23日(土曜日)八王子市大横町にあるコニカミノルタサイエンスドーム(八王子市こども科学館)において「古文書から発見された八王子隕石」と言うお題で、公開講座が催されるという情報を知って、サクラさんと聴講して参りました。
コニカミノルタサイエンスドーム エントランス
【八王子隕石】
1817年12月29日(文化14年11月22日)、江戸の東から西に飛び、八王子周辺に落下した。
多摩川上空辺りで爆発、飛び散ったと推測される。江戸は大騒ぎになり、少なくとも18の文献に記録が残る。
現在の中央区で目撃された記録によると「火の玉が飛んだ」などと記されている。
落下後は長さ約90センチのものも含めて大量に集められたが、幕府の天文方が山の噴石と結論したことも一因となって散逸したと考えられている。
八王子隕石 0.1グラム 唯一現存するもの。普段は、非公開(国立科学博物館所蔵)
拡大写真
【土御門家文書】
八王子隕石は、昭和25年頃に京都で調査されていた 土御門家文書の中から偶然発見されたそうです。
「隕石之事」と書かれた包紙の中に、「隕石の破片」と九八十匁(3.675Kg) 七拾八貫(292.5Kg) 六百六拾四匁(2.49kg)と、重量の書かれた謎のメモ。
「八王子横山宿内子安村に落ちた隕石」と書かれた書付。
「丹波國隕石之事」と書かれた書付。
いずれも、国立科学博物館蔵で、非公開のものばかりの貴重な資料です。
これらの文書が誰から土御門家へ送られたのかは、今のところわかっていないそうです。
この文書のー式は東京天文台(現在の国立天文台)を経て国立 科学博物館に収められ故村山定男氏(国立科学博物館)が分析調査をされ破片は、紛れも無い「隕石」であることが証明され、国際隕石学会に日本で5番目に古い隕石として登録されました。
ただし、併せて「丹波國隕石」の書付も入っていたことから、村山氏も、隕石の破片は慶応2年(1866)に曽根村(京都府 京丹波町)に落下した曽根隕石の一部である可能性も残されているとしています。
土御門家は平安時代の陰陽師・安倍晴明の末裔で、江戸時代には暦の編さんの権利を持っていました。
そして暦について幕府天文方と連絡・調整をおこなっていました。
八王子の名主から江戸の代官への届出書やその後の調査でも隕石の破片が付けられていたのと同様に、 天文方から暦の連絡の折に、土御門家へ隕石の破片と文書を一式送ったとも考えられます。
重量のメモが果たして真実ならば、相当な量となります。
これだけの量があったにも関わらず現存しているものが0.1グラムしか無いというのも残念な限りです。
隕石落下事例でも最大規模のものだった事を伺い知る事が出来ます。
たくさんの目撃事例と噂話。それらが文書や書付などで、現存している貴重な事例です。
参考記事:【ウォーキング】武相四十八観音霊場十三番札所~越野日枝神社~玉泉寺@八王子市越野
※本稿の関連写真は、当日許可を得て撮影させて頂いたものですが本来非公開資料でもある事から転載は禁止とさせて頂きます。
コニカミノルタサイエンスドーム エントランス
【八王子隕石】
1817年12月29日(文化14年11月22日)、江戸の東から西に飛び、八王子周辺に落下した。
多摩川上空辺りで爆発、飛び散ったと推測される。江戸は大騒ぎになり、少なくとも18の文献に記録が残る。
現在の中央区で目撃された記録によると「火の玉が飛んだ」などと記されている。
落下後は長さ約90センチのものも含めて大量に集められたが、幕府の天文方が山の噴石と結論したことも一因となって散逸したと考えられている。
八王子隕石 0.1グラム 唯一現存するもの。普段は、非公開(国立科学博物館所蔵)
拡大写真
【土御門家文書】
八王子隕石は、昭和25年頃に京都で調査されていた 土御門家文書の中から偶然発見されたそうです。
「隕石之事」と書かれた包紙の中に、「隕石の破片」と九八十匁(3.675Kg) 七拾八貫(292.5Kg) 六百六拾四匁(2.49kg)と、重量の書かれた謎のメモ。
「八王子横山宿内子安村に落ちた隕石」と書かれた書付。
「丹波國隕石之事」と書かれた書付。
いずれも、国立科学博物館蔵で、非公開のものばかりの貴重な資料です。
これらの文書が誰から土御門家へ送られたのかは、今のところわかっていないそうです。
この文書のー式は東京天文台(現在の国立天文台)を経て国立 科学博物館に収められ故村山定男氏(国立科学博物館)が分析調査をされ破片は、紛れも無い「隕石」であることが証明され、国際隕石学会に日本で5番目に古い隕石として登録されました。
ただし、併せて「丹波國隕石」の書付も入っていたことから、村山氏も、隕石の破片は慶応2年(1866)に曽根村(京都府 京丹波町)に落下した曽根隕石の一部である可能性も残されているとしています。
土御門家は平安時代の陰陽師・安倍晴明の末裔で、江戸時代には暦の編さんの権利を持っていました。
そして暦について幕府天文方と連絡・調整をおこなっていました。
八王子の名主から江戸の代官への届出書やその後の調査でも隕石の破片が付けられていたのと同様に、 天文方から暦の連絡の折に、土御門家へ隕石の破片と文書を一式送ったとも考えられます。
重量のメモが果たして真実ならば、相当な量となります。
これだけの量があったにも関わらず現存しているものが0.1グラムしか無いというのも残念な限りです。
隕石落下事例でも最大規模のものだった事を伺い知る事が出来ます。
たくさんの目撃事例と噂話。それらが文書や書付などで、現存している貴重な事例です。
参考記事:【ウォーキング】武相四十八観音霊場十三番札所~越野日枝神社~玉泉寺@八王子市越野
※本稿の関連写真は、当日許可を得て撮影させて頂いたものですが本来非公開資料でもある事から転載は禁止とさせて頂きます。
コメントありがとうございます!
八王子隕石をお持ちなのですか!?
落下時は、結構な質量のものが落ちたはずなのに回収出来たのはわずかな破片0.1gで、では他の殆どは何処へ行った!?と、いう事になりますよね。
まぁ、もの珍しさもあって小分けされ当時の偉い役人や商売上手な商人、神社の神宝、ご神体などに分配されたと言う憶測は出来ますけど、もし金魚さんがお持ちのものが同じ組成であったなら、新たな展開となるかもしれませんね。
以下のサイトで情報提供を求められている様ですので、ご連絡を差し上げて見られれば宜しいかと。
八王子隕石の情報を募集しています!
https://polaris.nipr.ac.jp/~hi4d/project/
連絡先:
片岡龍峰(国立極地研究所)様
kataoka.ryuho@nipr.ac.jp
山口亮(国立極地研究所)様
yamaguchi@nipr.ac.jp
せっかくなので見て頂きたいのですが画像載せられないのが残念です。
良かったらTwitterの@ayananjaku1に見比べて頂けるといいかな?と悲願しにきました♪
最近は八王子隕石情報提供希望とありまして研究者も探してとのことで私1人では本物か?似たものか?見分けがつきません。 『幻の隕石』
とてもワクワクします。