甲府湖水伝説探訪ラストは、社伝にやはり湖水伝説がみられる苗敷山穂見神社里宮の紹介です。
駐車スペースがありませんので参道入口この写真左手前にバス停があり邪魔にならない辺りでの路駐となります。
穂見神社石鳥居
神楽殿
拝殿
神紋は「桜」
本殿
祭祀:天之底立命、国之常立命、豊受姫命
由緒:上古、甲斐の国が洪水により湖水と化した時、鳳凰山に住む六度仙人が、蹴裂(ケサキ)明神と力を合わせ、南山を決削して、水を治め平野とし、里に住む山城王子がこの地を耕し、稲苗を敷き、民に米作りの道を教えた。これを以って国中の人々は、六度仙人を国立大明神、山代王子を山代王子権現として両神を山頂に祀り苗敷山と呼んだ。聖武天皇の御代神亀元年(724)に延喜式内社、穂見神社を建立した。中世になり山岳信仰の仏教、修験道との習合が行われ。神社と寺の諸堂は山頂に正殿・拝殿・客殿・鐘楼堂・随身門・籠屋等19棟、麓に里宮、西郡古道に沿って建つ三つの里坊等8棟あり夫々大久の仏像を奉っていた。 農事の神として県内外に多くの信者がいた。 特に武田家の崇敬が篤く、信玄の武田八幡神社造営(天文十年)時には、苗敷山住阿闍利栄真を小檀那としている。また徳川家からも代々朱印領を受け、寺には僧侶20数名が常住していた。
権現諸堂は天正10年の兵火と享保3年の火災により、大部分は焼失したが社殿は天文元年(1736)大信都俊栄によって再建され今日に至っている。 宝生寺は明治維新の神仏分離により廃寺となり、仏殿諸堂は解体され多くの仏像は四散し、今は只は堂塔伽藍の礎石を見るのみである。(境内案内板より)
ここにも、甲府盆地の湖水伝説にまつわる伝承があります。
根裂神ではなく鳳凰山の仙人が登場し後日談的なアレンジが加わっていて興味深いです。
本殿裏手に並ぶ石仏、石碑
本殿裏手一帯は苗敷山(1035m)と言い山頂近くには、奥宮が鎮座しています。今回は、時間の関係で登れませんでしたが奥宮は本殿から渡殿(わたどの)を介し拝殿と一体化された権現造 と言う韮崎市の指定文化財に登録されている立派な社殿が鎮座しているそうで、いつか訪れて見たいと思っています。
《☞関連リンク》:南ア・鳳凰三山紀行(11) 「苗敷山」
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