今回紹介するのは、甲州市塩山赤尾に鎮座する大石神社の紹介です。山梨県には社名に“大石”と付く神社が五社ほどありますが、ここも境内本殿裏手にある“大石”に由来しているのは間違えないものと思われます。
勝沼インターより北西へ。国道411号線大菩薩ラインを8キロほど北上した県道沿いに、赤尾大石神社は鎮座しています。
樹々が覆いかぶさり全体が見えませんが山梨で良く見かける稚児柱に覆い屋根が連なる両部鳥居です。
赤い屋根が印象的な拝殿です。社殿の向きは南。ここからの延長上に富士山が聳えます。
本殿 良く見る一間流造です。
鬼板に“大石”の文字 ここでは、山梨県の神社で良くみかける魔除けの鬼面はありませんでした。
祭祀:大山積命、可美直手命(うましまでのみこと)
あまり聞き慣れない神名ですが、饒速日命の子で天からもたらされた十種の神宝を天皇に献じ、以後武をもって仕えた軍神です 。物部氏の祖と云われています。
由緒:
雄略天皇御宇(代)海部直赤尾物部兎代宿祢
奉勅勧請ス鎌倉将軍守邦親王深ク崇敬セリ
寛永十九年八月徳川家光社領四石五斗餘リ
寄附元禄二年三月被授正一位宝暦十三未年
九月社宇(殿)再建明治三午年社領上地
同七年三月村社ニ定メラル 一ニ物部神社ト称ス
明治三十四年九月従来ノ祭日九月十五日ヲ
十月十五日ニ変更ス(現地由緒書きより)
奉勅勧請ス鎌倉将軍守邦親王深ク崇敬セリ
寛永十九年八月徳川家光社領四石五斗餘リ
寄附元禄二年三月被授正一位宝暦十三未年
九月社宇(殿)再建明治三午年社領上地
同七年三月村社ニ定メラル 一ニ物部神社ト称ス
明治三十四年九月従来ノ祭日九月十五日ヲ
十月十五日ニ変更ス(現地由緒書きより)
社伝によると雄略天皇の御代(457~479)に海部直赤尾物部兎代宿禰(あまのあたいあかおもののべのとよのすくね)によって勧請されたと伝えられ、かつて物部神社とも言われていたようです。
海部直赤尾と言えば、吉備上道臣田狭の子、弟君と共に新羅を討つために半島に渡り、弟君がその妻樟媛(くすひめ)に殺された後、樟媛と共に百済の工芸技能者を率いて帰国した人物です。鎮座地名の“赤尾”もここから派生したものでしょうか?
さて、本殿の裏手に回ると社名の由来でもある磐座群が点在しています。
本殿を背後より望む
3つの巨石で磐座が構成されています。
本殿真後ろに鎮座しています。
けっこうな大きさの磐座群です。
本殿の床下に何か見えますね!?
すっくと立つ陽石が本殿真下に祀られていました。
陽石(石棒)をご神体として祀っている神社は、ここ山梨ではけして珍しくありませんが、こうして周囲のどこからでも見える位置に置いてあるところは、たぶんここだけでは無いでしょうか。
ご神木と磐座
古社らしく境内には、境内社碑も多く祀られています。
三峰社碑
大神社碑
丸石神(道祖社)
【マップ】
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます