ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

眠られぬ夜のために

2010-08-05 22:34:42 | Weblog
帰宅したら、家の中にクワガタがいた。
弱っていたので、外に逃がした。

さて、『眠られぬ夜のために』
ヒルティという人が,約100年前に書いた本を読んでいる。

毎日少しずつ読み進めることができるようになっていて,
通勤電車の中で読んでいるのだけど,コンパクトだし,文章じたいも非常に読みやすい。

まだ,はじめのほうを読んだだけだけど,ここで語られているのは,
「心が安らかである」ということ。
肥大化した自己は、自分の心をむしばむということ。
そして、自己愛は決して自分を真の意味で安らかにはしてくれないということ。

自分の外にある、超えたところにある何か(神)に対し、
自分を投げる、返すということ。
しかもそれを継続しつづけること。

それが、単なる日和見主義的な破壊に陥らず、
かつ、暴力的な破壊とともにある闘争になることなく、「倫理」を伴うこと。
この「倫理」は,キリスト教の神に導かれる世界なのだが,
この世において,それを実現することはとても難しい。
特に,この文章が書かれたころ,ヨーロッパにおけるキリスト教会や聖職者は,
人心を集めるような存在ではなかったのだろうと読み取れる。

人は過ちを犯す。
だからこそ,人知の範囲におけるこの「倫理」は,
それすら超えられつづける何かとして位置づけられる。

そんなことを思いながら読んでいるうちに,
ふとシモーヌ・ヴェイユのことを思い出した。
シモーヌは,ここに「重力」を感じたのか,と。

シモーヌは34歳で亡くなったから,彼女がのこした文章は,
あつく,とぎすまされたものが多いけど,
もしかして年をとったあとだったら,ヒルティのような文章でつづったかもしれない。
そんな気がした。