ベランダのゴーヤを眺めにいくと、
三角形の頭をしたカマキリさんとにらめっこをすることになる。
ジッと見られるので、ジッと見つめ返す。
周囲の葉っぱとまったく同じ色をしている。
あれだけ自分を律し、周囲にとけ込むというのは、生存本能とはいえ素晴らしい。
そう、やるなら徹底的にだ。
あるとき「自分らしさとは」とか「こんなの本当の自分じゃない」などと思い始めるから、
人間は、というか、私はめんどくさい。
さて、金曜日の夜、ピアノのコンサートを聴きにいった。
とあるカフェで開かれた催しで、
暗闇のなか、ろうそくの光で生演奏を聴く、というもので、とてもよかった。
ピアニストさんの祈るような、祈りよ彼方までも届け、というような、
すごく純粋で広い心が、ダイレクトに伝わってくるようだった。
単に美しい音を奏でたい、というだけではなく、
音を通して、自分には何ができるだろうか、と考えていて、
そして、いまは祈ることに帰結しているといったような、そんな音色だった。
聞いているうちに、チベットを旅したときのことを思い出した。
風の音、降ってくるような星の光、
高山病でせまくなった視界のため足下すら見えないような暗闇、
暗闇の中から届くかすかな何かの音、
どこからかぼんやりと届く光。
そして、孤独の恐ろしさと、本当の孤独なんていうものはない、という確信。
そんな気持ちを、久しぶりに思い出した。
ちょうど昼間、『チベットの般若心経』という本を読み終わった。
(ゲシェー・ソナム・ギャルツェン ゴンタ著、斎藤保高著、クンチョック・シタル著、春秋社刊)
仏教は、とても精緻な世界観をもっている。
いつも、その世界を少しでも知りたいと思って読むのだけれど、
途中から、私の感覚は追いつかなくなる。
頭では理解できた気になったとしても、どうしても扉を開くことができないんだ。
とりあえずひととおり読み終わり、お昼休みが少し残っていたので、10分ほど、うとうとした。
半分起きていて、半分寝ているようなときに、不思議な感覚を味わうことは多い。
特に時間の感覚があいまいになる。
時計を見ると、ほんの数秒のことであっても、
一瞬にして、ものすごく長い時間を旅することもある。
久しぶりに、そんなうたた寝だった。
いまの時間軸から離れる、ということは、一種の死に近いと思う。
もし、死があのときに見た夢のようであるならば、
私はやはり、そこでも旅を続けているのだろう。
三角形の頭をしたカマキリさんとにらめっこをすることになる。
ジッと見られるので、ジッと見つめ返す。
周囲の葉っぱとまったく同じ色をしている。
あれだけ自分を律し、周囲にとけ込むというのは、生存本能とはいえ素晴らしい。
そう、やるなら徹底的にだ。
あるとき「自分らしさとは」とか「こんなの本当の自分じゃない」などと思い始めるから、
人間は、というか、私はめんどくさい。
さて、金曜日の夜、ピアノのコンサートを聴きにいった。
とあるカフェで開かれた催しで、
暗闇のなか、ろうそくの光で生演奏を聴く、というもので、とてもよかった。
ピアニストさんの祈るような、祈りよ彼方までも届け、というような、
すごく純粋で広い心が、ダイレクトに伝わってくるようだった。
単に美しい音を奏でたい、というだけではなく、
音を通して、自分には何ができるだろうか、と考えていて、
そして、いまは祈ることに帰結しているといったような、そんな音色だった。
聞いているうちに、チベットを旅したときのことを思い出した。
風の音、降ってくるような星の光、
高山病でせまくなった視界のため足下すら見えないような暗闇、
暗闇の中から届くかすかな何かの音、
どこからかぼんやりと届く光。
そして、孤独の恐ろしさと、本当の孤独なんていうものはない、という確信。
そんな気持ちを、久しぶりに思い出した。
ちょうど昼間、『チベットの般若心経』という本を読み終わった。
(ゲシェー・ソナム・ギャルツェン ゴンタ著、斎藤保高著、クンチョック・シタル著、春秋社刊)
仏教は、とても精緻な世界観をもっている。
いつも、その世界を少しでも知りたいと思って読むのだけれど、
途中から、私の感覚は追いつかなくなる。
頭では理解できた気になったとしても、どうしても扉を開くことができないんだ。
とりあえずひととおり読み終わり、お昼休みが少し残っていたので、10分ほど、うとうとした。
半分起きていて、半分寝ているようなときに、不思議な感覚を味わうことは多い。
特に時間の感覚があいまいになる。
時計を見ると、ほんの数秒のことであっても、
一瞬にして、ものすごく長い時間を旅することもある。
久しぶりに、そんなうたた寝だった。
いまの時間軸から離れる、ということは、一種の死に近いと思う。
もし、死があのときに見た夢のようであるならば、
私はやはり、そこでも旅を続けているのだろう。