ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

声の印象

2010-08-23 20:39:41 | Weblog
人の顔と名前は、なかなか覚えられないのだけど、
電話で聞いた声とその人の名前は、比較的覚えられる。

仕事先に、声だけしか知らないけど、結構好きな声の女性がいる。
たぶん私よりも10歳くらい年上で、年齢を重ねた女性特有の
あたたかくて厚みのある声をしている。

自分の年齢が上がってきたからだろうか。
若い女性の「きゃっきゃっ」という高くて軽やかな声は、
どれも同じに聞こえて、どちらかというと疲れる。
決して、若さへの嫉妬ではないと自分では思っているけれど、
深層心理は、自分ではわからない。

話が少しそれたが、
その、私が好きな声の女性が、過労で倒れてしまった。
ただでさえ夏バテが出る時期なのに、連日の徹夜のせいもあって、
病院で点滴を受けているという。
入院することになるかどうかは、まだわからない。
顔も知らない人だけれど、とても気になる。

電話から聞こえてくるその人の声は、疲れているときでも、
いつもどこか相手を慮るやさしさとふくらみがある。

そんなに疲れるまで追い込んでしまった原因には、
本人の性格も、周囲のいろんな状況も、
たくさんのことが影響しているのだろう。

でも、なんとなく、私も以前のように働きつづけていたら、
10年後くらいに、同じようになったような気がする。
未来のことはわからないから、明日、私も倒れるかもしれないけど、
いまここ15年くらいのうちで、一番体調がいいという自覚があるから、
もう仕事で自分を追い詰めるような働き方はしないでおこうと思う。

私は、労働力以上のものを社会に提供することはできない。
そうである以上、体力は有限なのだから、
その限界を超えて、何かを提供することはできない。
私にも多少の責任感はあるし、達成感はほしいとも思う。
でも、大き過ぎる責任感は、自分自身への誇大妄想に似ていると思う。
私が、ほかの人と違うのは、私のやり方が私なりのものだ、というだけで、
労働である以上、他の人でもできるものだし、もっとうまくやる人も当然いる。
自分を卑下しているのでもなく、そう思う。

いま、立ち止まって振り返り、もう一度未来を見つめた。
少し経ったら、またガツガツやりたくなるのかもしれないけど、
いまは仕事も遊びもほどほどに、と思う。
せっかく頭がリラックスして、身体も楽になってきたのだから、
もう少し自分が溶けるのを眺めていたいと思う。

いずれにせよ、過労になるほど自分を追いつめるには、
自分のどこかを麻痺させることになる。

顔も知らない、声しか知らない仕事仲間が、
すぐに元気になりますように。