最近、日曜の朝が大好きだ。
目が覚めると、最近読んだ本の一節や、仏教経典のお話を思い出す。
それは、夢と現実のあいだで、
心に訪れては、少し明確なかたちになり、
そして実体をつかむまえに消えていく。
先週『八宗綱要』(講談社学術文庫) という仏教の本を読んだ。
鎌倉時代の凝然という人が書いたもので、鎌田茂雄氏が現代語訳をしている。
「八宗(倶舎宗・成実宗・律宗・法相宗・三論集・天台宗・華厳宗・真言宗)の教理が簡潔にまとめられている。」
というので読んでみたけれど、入門書とはいえ、やはり難しかった。
ただ、おかげで、いくつかのキーワードに対する解釈がより鮮明になった、ような気がしている。
あくまでも独学だし、その解釈もあやふやだから、
今日浮かんだイメージも、すごくずれているかもしれない。
でも、私はそのときとても静かな気持ちでいられたから、
それで今日のところはよしと思っている。
この本のおかげで久しぶりに思い出した単語「阿頼耶識」。
今朝は、しだいに意識が起きてくる中で、
就寝中の深くてゆっくりした息が、お腹のある一点に集まる感覚が、
すごく身体とひとつになってイメージできた。
そして、その息とともに「阿頼耶識」について、様々なイメージが浮かんだ。
吸って吐く息。
その息の流れによって、いま自分が自分としてつながっているという感覚。
心も地も肉も、この意識をしていないところで規則正しく行われる
空気の流れによって、保たれているという感覚。
まるで、私が私であるためには、無理をする必要はまったくないかのような感覚。
そして、吸って吐く息のように、
自分の意識しないところで、なにかが形をもつような、形をもってしまうような、
なにかすごく幸せだけどやるせないような感覚。
「阿頼耶識」という言葉がまず浮かんだのか、吸って吐く息が先に感じられたのか、
もうよくわからない。
そして、「阿頼耶識」と「息」が関係あるのかもわからない。
でも、いつもとは少し違う感覚があったような気がする。
この「気がする」というのが、幸せな気持ちを伴っていたのがいい。
そして起きた意識は、
窓をはさんだ向こう側にいるゴーヤさんたちが、
そろそろお水をちょうだい、と言っていると告げた。
目が覚めると、最近読んだ本の一節や、仏教経典のお話を思い出す。
それは、夢と現実のあいだで、
心に訪れては、少し明確なかたちになり、
そして実体をつかむまえに消えていく。
先週『八宗綱要』(講談社学術文庫) という仏教の本を読んだ。
鎌倉時代の凝然という人が書いたもので、鎌田茂雄氏が現代語訳をしている。
「八宗(倶舎宗・成実宗・律宗・法相宗・三論集・天台宗・華厳宗・真言宗)の教理が簡潔にまとめられている。」
というので読んでみたけれど、入門書とはいえ、やはり難しかった。
ただ、おかげで、いくつかのキーワードに対する解釈がより鮮明になった、ような気がしている。
あくまでも独学だし、その解釈もあやふやだから、
今日浮かんだイメージも、すごくずれているかもしれない。
でも、私はそのときとても静かな気持ちでいられたから、
それで今日のところはよしと思っている。
この本のおかげで久しぶりに思い出した単語「阿頼耶識」。
今朝は、しだいに意識が起きてくる中で、
就寝中の深くてゆっくりした息が、お腹のある一点に集まる感覚が、
すごく身体とひとつになってイメージできた。
そして、その息とともに「阿頼耶識」について、様々なイメージが浮かんだ。
吸って吐く息。
その息の流れによって、いま自分が自分としてつながっているという感覚。
心も地も肉も、この意識をしていないところで規則正しく行われる
空気の流れによって、保たれているという感覚。
まるで、私が私であるためには、無理をする必要はまったくないかのような感覚。
そして、吸って吐く息のように、
自分の意識しないところで、なにかが形をもつような、形をもってしまうような、
なにかすごく幸せだけどやるせないような感覚。
「阿頼耶識」という言葉がまず浮かんだのか、吸って吐く息が先に感じられたのか、
もうよくわからない。
そして、「阿頼耶識」と「息」が関係あるのかもわからない。
でも、いつもとは少し違う感覚があったような気がする。
この「気がする」というのが、幸せな気持ちを伴っていたのがいい。
そして起きた意識は、
窓をはさんだ向こう側にいるゴーヤさんたちが、
そろそろお水をちょうだい、と言っていると告げた。