今朝、通勤電車に、関西弁を話す女性が2人乗ってきた。
彼女たちがおしゃべりを始めると、周囲にいた人たちが、
ハッと目が覚めたような顔をして、彼女たちのほうに視線を投げた。
ふと、ある関西出身の人が言っていた一言を思い出した。
「東京の人は、口に出さないだけで、本当は関西弁が嫌いなんだよね」と。
似たようなことを、滋賀出身の母もむかし言っていた。
嫌いなのとは少し違うと思う。
数人で話しているとき、そのなかの誰かが関西弁を使っていても、
不快感はないし、かえって会話のリズムが出て面白くなると思う。
でも、電車の中などで読書をしているときに、となりで関西弁の会話が始まると、
「集中できないな。もう少し静かにしてほしいな」と思うことはよくある。
関西弁は、音の印象が強い。
そして、話す速度は速いのだけど、
いっぽう、話の構成じたいは、結構長いことがあって、
聞きたいわけではないのに聞こえてくるとき、
どうでもいい話が延々と続くような気がする。
関西人は、せっかちだと言われるけど、実は気長なんじゃないかとすら思うことがある。
中国語なども、どちらかというと激しいと思うけれど、
外国語なので、何を言っているかわからないから、
意識のすべてをもっていかれることはあまりない。
どちらかというと、すぐ周囲の音にまぎれる。
でも、関西弁は、聞き取れるからこそ、聞かなければならないような気がする。
そう、関西弁は、話し手の「聞いてよ」という意思が明確だと思う。
だから、話の内容がおもしろくないと、すごくうるさいだけに思えてしまう可能性がある。
そんな荒波をくぐりぬけているから、関西には話が上手な人が多いんだろうな、と思う。
でも、今朝の二人組は、すごく単純な乗換路線について、延々と大声で話していた。
朝から聞くには、少し重かった。
関西弁は苦手ではないけど、時と場合によっては、すごく疲れると感じることもある。
彼女たちがおしゃべりを始めると、周囲にいた人たちが、
ハッと目が覚めたような顔をして、彼女たちのほうに視線を投げた。
ふと、ある関西出身の人が言っていた一言を思い出した。
「東京の人は、口に出さないだけで、本当は関西弁が嫌いなんだよね」と。
似たようなことを、滋賀出身の母もむかし言っていた。
嫌いなのとは少し違うと思う。
数人で話しているとき、そのなかの誰かが関西弁を使っていても、
不快感はないし、かえって会話のリズムが出て面白くなると思う。
でも、電車の中などで読書をしているときに、となりで関西弁の会話が始まると、
「集中できないな。もう少し静かにしてほしいな」と思うことはよくある。
関西弁は、音の印象が強い。
そして、話す速度は速いのだけど、
いっぽう、話の構成じたいは、結構長いことがあって、
聞きたいわけではないのに聞こえてくるとき、
どうでもいい話が延々と続くような気がする。
関西人は、せっかちだと言われるけど、実は気長なんじゃないかとすら思うことがある。
中国語なども、どちらかというと激しいと思うけれど、
外国語なので、何を言っているかわからないから、
意識のすべてをもっていかれることはあまりない。
どちらかというと、すぐ周囲の音にまぎれる。
でも、関西弁は、聞き取れるからこそ、聞かなければならないような気がする。
そう、関西弁は、話し手の「聞いてよ」という意思が明確だと思う。
だから、話の内容がおもしろくないと、すごくうるさいだけに思えてしまう可能性がある。
そんな荒波をくぐりぬけているから、関西には話が上手な人が多いんだろうな、と思う。
でも、今朝の二人組は、すごく単純な乗換路線について、延々と大声で話していた。
朝から聞くには、少し重かった。
関西弁は苦手ではないけど、時と場合によっては、すごく疲れると感じることもある。