ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

2010-08-19 20:36:38 | Weblog
外国人と話をしていて、一番恥ずかしいと思うときは、
日本の文化を、知識ではなく、実体験として話すことができないことだ。

茶道や華道、また着物については、特に白人さんたちが聞きたがる。
でも、茶道・華道ともにやったことがないし、
着物は、これまで合計3回しか着たことがない。

相撲もあまり興味がなかったし、柔道や剣道もやったことはない。
歌舞伎も能も狂言も同じようなものだし、和食もろくに作れない。
かろうじて書道は義務教育のころに学校でやったけど、
身についていないから、語れることはなにもない。
そして、いつも外人さんたちをがっかりさせてしまう。
自分が恥ずかしくなる。

それでは、いまからやりますか、というと、
まず、やることはないだろうと思う。
茶道は、ひざが悪くて正座が無理だし、華道は草花を摘むのがいやだ。
歌舞伎はまだしも、能は確実に寝てしまう。

きっと、日本文化に対して郷愁に似た憧れを感じつつ自分はやらない、で、
一生を終えるのだろうと思っている。
たまにテレビや本で特集を見る疑似体験でいい。
まるで外国人だ。

ただ、それでも少し書の世界には触れてみたいと思う。
書きたいのは、ひらがな。

仏教の経典を見ると、とても美しいと思う。
でも、心のどこかで、むかしの人が書いた和歌のように、
上から下に向かって、なんだかずらずらと繋がっていて、
下の方にいったら墨がかすれる。
かすれた文字のその先に、何かがある。
そんな文字の世界を自分で書いてみたいと思っていることに気がついた。

仕事で知り合った本を読んだ。
『和の思想―異質のものを共存させる力』
長谷川櫂著、中公新書

俳人である著者のことばには、最近私がふれなくなった文章の世界があった。
そして、江戸時代までに確立した文化だけが「和」なのではなくて、
「和」はもっとひろく、
私の生活に取り入れ、生かし、育てていくことができるものだと知った。
なんとなく安心した。

日本の夏は、蒸し暑い。暑苦しい。
だから、そこを基準にして、生活の中にも人間関係にも「間」というものが育まれてきた。
そう俳人が語ると、本当に説得力がある。

「間」がないと、野暮になってしまう。
文字がぎっちり詰まっているのも、空間をみっちり埋めるのも、
そして、人間関係が密着し過ぎなのも、日本の夏では、ただ暑苦しい。

別に西洋の文化を否定しているわけではなくて、
外来の文化を取り込んだり、誰かと接するとき、
いい間合いで取り入れる知恵と技が日本人にはあった。
その「間合い」こそが「和」。

そんな柔軟な心を、これから育みたいなあ。