ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

2010-08-22 13:27:37 | Weblog
ベランダのゴーヤを眺めにいくと、
三角形の頭をしたカマキリさんとにらめっこをすることになる。
ジッと見られるので、ジッと見つめ返す。
周囲の葉っぱとまったく同じ色をしている。
あれだけ自分を律し、周囲にとけ込むというのは、生存本能とはいえ素晴らしい。
そう、やるなら徹底的にだ。
あるとき「自分らしさとは」とか「こんなの本当の自分じゃない」などと思い始めるから、
人間は、というか、私はめんどくさい。

さて、金曜日の夜、ピアノのコンサートを聴きにいった。
とあるカフェで開かれた催しで、
暗闇のなか、ろうそくの光で生演奏を聴く、というもので、とてもよかった。

ピアニストさんの祈るような、祈りよ彼方までも届け、というような、
すごく純粋で広い心が、ダイレクトに伝わってくるようだった。
単に美しい音を奏でたい、というだけではなく、
音を通して、自分には何ができるだろうか、と考えていて、
そして、いまは祈ることに帰結しているといったような、そんな音色だった。

聞いているうちに、チベットを旅したときのことを思い出した。
風の音、降ってくるような星の光、
高山病でせまくなった視界のため足下すら見えないような暗闇、
暗闇の中から届くかすかな何かの音、
どこからかぼんやりと届く光。
そして、孤独の恐ろしさと、本当の孤独なんていうものはない、という確信。
そんな気持ちを、久しぶりに思い出した。

ちょうど昼間、『チベットの般若心経』という本を読み終わった。
(ゲシェー・ソナム・ギャルツェン ゴンタ著、斎藤保高著、クンチョック・シタル著、春秋社刊)

仏教は、とても精緻な世界観をもっている。
いつも、その世界を少しでも知りたいと思って読むのだけれど、
途中から、私の感覚は追いつかなくなる。
頭では理解できた気になったとしても、どうしても扉を開くことができないんだ。

とりあえずひととおり読み終わり、お昼休みが少し残っていたので、10分ほど、うとうとした。
半分起きていて、半分寝ているようなときに、不思議な感覚を味わうことは多い。
特に時間の感覚があいまいになる。

時計を見ると、ほんの数秒のことであっても、
一瞬にして、ものすごく長い時間を旅することもある。
久しぶりに、そんなうたた寝だった。

いまの時間軸から離れる、ということは、一種の死に近いと思う。
もし、死があのときに見た夢のようであるならば、
私はやはり、そこでも旅を続けているのだろう。

ものほしざお

2010-08-21 19:05:51 | Weblog
ベランダが野性化している。
物干竿が竹製なのが、ひとつの原因だろう。

2本あるうちの1本に、蜂が巣を作り始めていた。
隣の家のガーデニングが花の盛りなので、
そこで蜜を集め、うちのゴーヤさんの後ろ側に巣を作る。
確かに、非常に住み心地はいいだろうと思う。

一瞬、これで蜂蜜が取れれば・・・、と思った。
が、3~4センチの蜂と同居するのは、やはりこわいので、
お出かけされている間に、物干竿を取り外し、
のこぎりで断裁して、捨てることにさせてもらった。
高性能GPSをもっている蜂さんは、
2時間ぐらいうろうろしていたけれど、諦めてどこかへ行った。

「森へお帰り」と、ナウシカのような気分になりながら、
それにツッコミを入れてきそうな人たちの顔を思い浮かべ、
ザクザクとのこぎりで竹の物干竿を切って行った。

竹が「ぱあん」と、かわいた音をたてて割れると、とても気持ちがいい。
そういえば、ナウシカと言われたことはないけれど、
竹を割ったような性格と言われることはよくある。
「こんな感じか、少しこわいな」と思いながら分断した。

先日は、ゴーヤさんに貸したもう一本のほうの物干竿に、アリが巣を作った。
ゴーヤさんが、天と地をつなぎ、アリはめざとくそれを見つけた。
これもすごい。
一応、ベランダの上なのだから。
こちらは、そんなに害はなさそうだけど、
物干竿が腐って、落ちてきたらいやだから、
やはり殺虫剤をまかせてもらった。

でも、ちらちらと、アリさんのお姿を見かける。
ゴーヤさんの季節が終わったら、物干竿を金属にすべきだなあ。

収穫

2010-08-21 12:15:27 | Weblog
ゴーヤさんを収穫した。


茶豆さんも、少しだけ収穫した。


ゴーヤチャンプルを作った。


そえてあるのは茶豆さんの塩ゆで。
同じくプランターで育てている青じそと、
このあいだ出来上がった梅干し。

素晴らしい味!

ゴーヤさんは、とてもやさしい味だった。
茶豆さんは、とてもいいにおいがした。
青じそも、活き活きとした香りだった。
梅干しは、もう言うことがない!

ベランダ農園もなかなかのものだ。
来年は、もっと計画的にちゃんとやろう。

お店で売っているようなプロの味ではないけど、
野菜も料理も、すごくいま、ここの気候に合っていて、
素晴らしく身体が喜んでいる。

おなかいっぱいだ。

2010-08-19 20:36:38 | Weblog
外国人と話をしていて、一番恥ずかしいと思うときは、
日本の文化を、知識ではなく、実体験として話すことができないことだ。

茶道や華道、また着物については、特に白人さんたちが聞きたがる。
でも、茶道・華道ともにやったことがないし、
着物は、これまで合計3回しか着たことがない。

相撲もあまり興味がなかったし、柔道や剣道もやったことはない。
歌舞伎も能も狂言も同じようなものだし、和食もろくに作れない。
かろうじて書道は義務教育のころに学校でやったけど、
身についていないから、語れることはなにもない。
そして、いつも外人さんたちをがっかりさせてしまう。
自分が恥ずかしくなる。

それでは、いまからやりますか、というと、
まず、やることはないだろうと思う。
茶道は、ひざが悪くて正座が無理だし、華道は草花を摘むのがいやだ。
歌舞伎はまだしも、能は確実に寝てしまう。

きっと、日本文化に対して郷愁に似た憧れを感じつつ自分はやらない、で、
一生を終えるのだろうと思っている。
たまにテレビや本で特集を見る疑似体験でいい。
まるで外国人だ。

ただ、それでも少し書の世界には触れてみたいと思う。
書きたいのは、ひらがな。

仏教の経典を見ると、とても美しいと思う。
でも、心のどこかで、むかしの人が書いた和歌のように、
上から下に向かって、なんだかずらずらと繋がっていて、
下の方にいったら墨がかすれる。
かすれた文字のその先に、何かがある。
そんな文字の世界を自分で書いてみたいと思っていることに気がついた。

仕事で知り合った本を読んだ。
『和の思想―異質のものを共存させる力』
長谷川櫂著、中公新書

俳人である著者のことばには、最近私がふれなくなった文章の世界があった。
そして、江戸時代までに確立した文化だけが「和」なのではなくて、
「和」はもっとひろく、
私の生活に取り入れ、生かし、育てていくことができるものだと知った。
なんとなく安心した。

日本の夏は、蒸し暑い。暑苦しい。
だから、そこを基準にして、生活の中にも人間関係にも「間」というものが育まれてきた。
そう俳人が語ると、本当に説得力がある。

「間」がないと、野暮になってしまう。
文字がぎっちり詰まっているのも、空間をみっちり埋めるのも、
そして、人間関係が密着し過ぎなのも、日本の夏では、ただ暑苦しい。

別に西洋の文化を否定しているわけではなくて、
外来の文化を取り込んだり、誰かと接するとき、
いい間合いで取り入れる知恵と技が日本人にはあった。
その「間合い」こそが「和」。

そんな柔軟な心を、これから育みたいなあ。

『逆検定 中国歴史教科書』

2010-08-18 19:44:25 | Weblog
私はよく、中国人から歴史問題の議論をふっかけられる。
もちろん初対面の人からだ。

一番印象に残っているのは、むかしむかし、1993年に北京へ留学していた時のこと。
留学先の大学の教学活動で、北京郊外の小学校へ行った。
たしか中学年の教室だったと思う。
教室に入り、生徒たちの机の間に行き、フリートークを通じて交流を深め、
その後、授業の様子を見学する、というものだった。

白人さんたちは、大人気だ。
白人にあこがれる気持ちというのは、日本も中国も変わらない、
と思ってうかうかしていたら、一人の女の子につかまった。
彼女に「あなたは日本人か?」と聞かれ、「そうだ」と答えると、
数人の生徒が寄ってきて「おまえは、歴史を知っているのか!」と、結構やられた。
どこまで反論しようか考えながらチラリと先生のほうを見ると、
女性の先生は、とっても誇らしそうな満面の笑みで生徒たちを見ていた。

その次は、2000年に四川省と雲南省をぶらぶらしていたときのことだ。
地元の人が利用する長距離バスに乗っていたら、運悪く隣に、人民解放軍の兵士が来た。
そのとき彼は20歳で、兵士になってから2年経ち、
甘粛省にある実家で休暇を過ごし、これから任地に戻るところだと言っていた。

5時間くらい隣に座っていれば、1時間が経ったころには、
当然、私が日本人だということがバレる。
さっそく歴史について、彼の大講釈が始まった。

話を聞いていると、どうも1945年よりも前の話を聞いているようだった。
「僕は日本のことをよく知っているよ」とスタートした話で、
彼の口から出てきた言葉は、「日本帝国主義」「大和魂(これなんかは日本語で言ってくれた)」
「日本は今でもアジアを植民地化したがっていて、アメリカと一緒に戦争を仕掛ける気だ」などなど。

なるべくやんわりと反論してみた。
「いまの日本は、そんなんじゃないよ。日本は民主主義の国。
それに、大和魂なんて、日本の若者は自分にあるとは思ってないよ」と。

でも、猛烈に反論されるので、うんざりしながら、
「あなたは日本に来たことがある? ぜひ一度来てね。
そうしたら、いまの日本人が戦争をしたがっているなんて
まったくの誤解だとわかってもらえると思うから」と言った。

それでも、やっぱり猛烈に反論されるので、
「あなたが60年も前の日本の話しかしなくて、それを今の日本もそうだと言い張り、
私の話を聞こうとしない以上、議論にならないから、もう私はこの話はしない。
だいたいあなたは当時の日本もいまの日本も、ほとんど知らないでしょう」と言って、
その後、いっさい口を開かなかった。

とにかく、こんな経験がたくさんある。
「あなたたちは、昔の日本の真似をして、チベット、ウイグル、モンゴルを弾圧してるんだ。
文革では漢族もたくさん犠牲になったんだっけね。
日本はもうやめたけど、まだ中国はやってるんだね」と、
イヤミたっぷりに言ったこともあるけれど、殴られそうだったから、もう言わないことにした。

という話を友人にすると、
中国語学習仲間からも、「そんな議論、私はふっかけられたことないけど」と言われる。
どうやら、ふっかけられやすい人と、そうではない人がいるらしい。

あるとき初対面の中国人が「日本帝国主義」について私と議論したがったので、いっそのこと訊いてみた。
「中国語を話す日本人でも、こういう話をふっかけられたことがない、という友人がいる。
なぜあなたは、私とこの話をしようと思ったのか、まずそれが知りたい」と言ったら、
じっと私の顔を見て、その話題をひっこめてくれた。
ということで、その後は、これで切り抜けている。

まあ、そんなおかげで、中国人がどんな歴史認識なのか、
それが日本人による日中戦争の理解とどれだけ離れているのか、なんとなく知っている。
もちろん、中国に侵略したとき、いろいろと悪いことをしたことは認識してる。
でも、中国人の言い分を聞くと、「えっ、なんだか違うような気がするんだけど」と、
言いたくなることが結構ある。

いちいち反論しても平行線で意味がないから、そんな疲れることはしないけど、
一度整理しようと思って、この本を読むことにした。
『逆検定 中国歴史教科書―中国人に教えてあげたい本当の中国史』
井沢元彦著、金文学著、祥伝社黄金文庫刊。

コンパクトにわかりやすく、よくまとめてあると思った。
中国に修学旅行へ行って、自虐的な歴史勉強をさせられてしまう高校生は、
ぜひ読んでおくといいと思う。

中国人は、日本人を残虐だと言うけど、私は、中国人のほうがよっぽど好戦的だと思う。
そんなことが、とてもよくわかるし、
中国人が、中国共産党の都合によって、どんな歴史を正史として学んでいるかがわかるから、
わかりあえなくて当然だし、ゆるしてもらえなくても当然だと思える。
と、ちゃんと知って、なおかつ感情的な部分は割り切ったところで、
もういちど、日本は日本なりに歴史を見つめ直そう。

みそぱん

2010-08-17 19:53:48 | Weblog
今朝、ゴーヤさんに水をあげようとしたら、ベランダに蝉の死骸があった。
短い生をまっとうしたのだなあ、と思いながら、ジョウロを持ってまたぐと、
ぴききききっ!と叫びながら、蝉が飛び去って行った。

ありうるとは思っていたけど、やはりぎょっとした。
まるで地面で炸裂する中国の爆竹のようだった。

ゴーヤさんが、ますます健やかなのは言うまでもない。
そして今日は、トウガラシさんが色づき始めていたので、うれしかった。
いつの間にか、白い花がたくさん咲いて、にょきにょきと実が育ってきている。

朝、喜んで写真を撮ったんだけど、夕方、家に戻ってみると、赤みが増していた。
1日でこんなに変わるんだ。
 
今日は暑かったから、トウガラシさんは、さぞ嬉しかったことだろう。

『眠られぬ夜のために』の第二部を読み終わった。
キリスト教を柱としたお話は、どうもボタンが掛け違っているような
しっくりしない感覚が心の片隅にありつづけるのだけど、
それは、ちゃんと聖書を読んだことがないからだろうか。
でも、9月2日のお話はよかった。
以下は、その一節。

「ものごとの理解は複雑であり、幼い女生徒にいたるまで型通りの物知りであるが、
しかし学習時代を終えたあとも真に十分な教養は身についていない。
これは今日の学校が果たし得ないことであろう。
学校はあまりに多くの知識の対象をかかえて、
あまりに急いで教え込まねばならないからだ。
われわれは自己教育でそれをおぎなわない限り、
すべてが断片のままに終わってしまう。
しかしなおそれとともに、現代の人間を正しい道にみちびくには、
たいていの場合、人生の不幸が力をかさなくてはならない。」

夕焼けを見ながら歩いていたとき、
ふと、王菲の「新房客」という歌の歌詞の一節が浮かんだ。

中国語が文字化けしてしまうので、強引に訳した日本文だけを載せる。
「どこを探しているの。どこを探しているの。
すべて素敵じゃない。悩みだってあるんだし」

帰り道、仕事の用事で下北沢に寄った。
ついでに、父が生前大好きだったみそぱんを買ってお供えにした。

偶然にも、お彼岸のいい締めくくりができた。

日本経済のウソ

2010-08-16 19:27:31 | Weblog
昨日、炎天下に30分以上立っていたので、どうやら日焼けをしたらしい。
夜、異常に暑く感じ、のどが渇いた。

ただ、日光にあたった翌日は、なんだか体中がさっぱりしている。
きっと殺菌されたのだろうと思う。
日光はあたりすぎると害になるけど、やはりどこかで日光を喜んでいる。
そしていま、無性にカレーが食べたい。

本日も、会社はとても静かだった。
チャンスなので、まわりの本棚に積まれている資料をいろいろと開いてみたいけれど、
いまやっている仕事と直接関係がないものを開くのは、さすがに気が引ける。
こういうときに堂々とサボることができないので、やはり私も日本人だなあ、
と、思ったりする。

そもそも私は派遣社員なわけだから、会社がちゃんと仕事を準備できないのが悪い、と、
中国人ならはっきりと言って、有給のままで自分の好き勝手をしているだろう。


さて、先日『日本経済のウソ』という本を読んだ。
Twitterで面白いと言っていた人がいたので、難しいことを承知で経済の本なぞを
開いてみる気になった。
やはり、経済の素養がない私には、少し難しかったけど、
「日銀」というものに対する見方が大きく変わったのは確かだ。

そもそも「日銀」というと、日本の中央銀行で、お札を発行しているところ、
という、子どもレベルの認識しかなかったわけなので、
見方が大きく変わるもなにも、「へえ~」という感じだった。

いちばん「へえ~」と思ったのは、
日本の金融の元締めであるにもかかわらず、その目標の設定も、手段の策定も、
ぜんぶ日銀が自分で決めることができる、ということだ。

ちなみに、外国の中央銀行の場合、
目標は政府が決め、それを実現するための方法を独立して決められる、
という分担になっているらしい。
目標も方法も、ぜ~んぶ自分たちで決めていいよ!という日銀は、
相当にめずらしいらしい。

そもそも日銀は、政府から独立した「法人」だから、
普通の会社のように、自分たちですべてを決めていいとも言えるだろう。
でも、資本金の半分以上を政府が出資しているなら、それは私たちの税金。
ほとんど官公庁みたいなものではないだろうか。

そして、そういう状況下において、
日本人が、国民全体のことを考えて粉骨砕身する人だと胸を張って言えるかというと、
自分に照らして、決してそんなことはないと、自信をもって言える。
既得権に固執したり、なるべく楽をしようと思う。
そしていま、デフレで物価が下がっているのに、自分の給料は減らないなら、
ましてや、ミスをしないというだけで、定期昇給が決まっているのなら、
変に頑張って、万が一にもミスをおかすよりも、このまま平穏に過ごして、
家を買って旅行へ行って・・・、絶対このままのほうがいいに決まっている!
と、私なら思う。

日銀で働いている人たちは、賢くて、誠実で、いい人が多いんだろうと思うのだけど、
じゃあ、積極的に何かをしてくれるだろうか、と言うと、
それは過大な期待というものだ。
だいからこそ、本当は政治家がもっとしっかりしているといいんだろうけど。

あとは、役所に比べて一般の市民の目にふれることがないから、
サービスがわるい、態度がわるい、一般に比べて給料が高いだろう、
などと、たたかれることも少ないような気がする。
きっと、一度就職したら、長く勤められるいい職場なんだろうな。

そして、読み終わったいま、相変わらず経済のことはよく理解できないままだ。
だが、著者が指摘している、特に日銀の総裁については、
今日、どこかのタブロイド紙の夕刊でバッシングらしい見出しが出ていたので、
同じように思っている人が他にもいるんだ、ということを、なんとなく知った。

終戦記念日

2010-08-15 20:40:20 | Weblog
今日は、炎天下に墓参りをした。
暑かった。

お墓は埼玉の久喜にあるので、新宿から約1時間、電車に揺られた。
窓の外を眺めながら、むかし、この国は戦争を起こしたんだよなあ、と
漠然と考えた。

今年は、強制的に韓国を併合して100年。
世界中が帝国主義だったとか、
植民地を持たない国は先進国の仲間入りできなかったとか、
いろいろと日本なりの理由を並べることはできる。

でも、勝手に他国に入り込み、日本式の氏姓や日本語を強要した。
どんな大義名分を並べようとも、
朝鮮の人たちのアイデンティティを踏みにじったことに変わりはない。

私はいま、中国のチベット支配に抗議しているけれども、
むかし、日本も同じことをしていた。
その事実は、消すことができない。

小さい頃のことを思い出した。
いまから30年くらい前、傷痍軍人が物乞いをしていた。
上野や東京、新宿はもちろん、私の自宅のそばの駅の前にもいた。
足がない人や手がない人が、汚い格好で座っている。
母に「かわいそう」と言ったら、
「怪我している軍人さんたちは、国から恩給をもらっているから大丈夫よ」と言われた。
「恩給をもらっているのに、なんで乞食なの?」と聞いた。

そこで、うやむやにしないのが、母のいいところだ。
その後数日して、母から、恩給をもらえない軍人さんたちがいることを教えてもらった。
そういう人たちは、主に、朝鮮や台湾の人たちだと。

小さいころ、よく遊びに行ったお家のおじさんは、
中国大陸に出兵した経験をもっていた。
お酒に酔うと、いつも戦争の話になった。
おじさんは、いつも同じ中国語をしゃべる。
ある日、母に「おじさんは中国語が話せるんだね。すごいね」と言ったら、
母から「あのおじさんが話せるのは、パンツを脱いで股を開け、っていう中国語だけよ」
と言われた。ショックだった。私にはすごく優しいおじさんだったから。

私の祖父は、私が幼稚園生のときに亡くなったから、
祖父から戦争の話を聞いたことはない。
でも、祖父と祖母の出会いは戦争の時期だったと聞いたことがあったから、
今日、叔父に聞いてみた。
祖父は、戦争のときに、空を飛ぶ飛行機が、
友軍機か敵機かを見て報告する任務についていたとき、
埼玉に来て、祖母と知り合い結婚したと言うことだった。

戦争によって引き裂かれた家族もあれば、
戦争によって始まった家族もあったということだ。

数年前に、太平洋のパラオに行った。
社員旅行だったから、個人行動はできなかったけれど、
パラオも戦地だったから、心の中で日本兵のみなさんに手を合わせた。

パラオで、ものすごく赤い夕焼けを見た時、
自然の偉大さや美しさを考えるよりも前に、
これは、日本軍が太平洋で味わった地獄の業火なんだな、と思ってしまい、
それが頭から離れなかった。

まるで王侯貴族のように、現地の人たちにお世話してもらいながら、
リゾート用に開かれたホテルで、ゆっくりするなんてできなかった。
リゾートを満喫する前に、まずお祈りを捧げるべきだ、という気持ちが心から離れなかった。

そんなことを考えた今日いちにち、
帰り道、心の底から、「いま、私はしあわせです。ありがとうございます」と
言いたい気持ちになった。

ブリューゲル版画の世界

2010-08-14 18:50:25 | Weblog
1週間でこれだけ育った。
ゴーヤさん、すばらしい。

1週間前と今日のゴーヤ。
 

午後は、友人と渋谷まで「ブリューゲル版画の世界」を観に行った。
黒の線による濃淡だけで風景から人間まで表現する版画は、
小さい頃からとても好きだ。
むかしはこんな挿絵がよく本に載っていた。

150点あまりが来ていて、ボリュームも十分。
ベルギー王立図書館所蔵という、とても質の高いものが多くて、
ここ最近で観に行った展示会のなかでも、満足度が高かった。

1作品が小さいし、とても細かいので、
見終わると、文字校正を猛烈な勢いでやったあとのような疲労感がある。

ブリューゲルは、構図が上手だし、発想も面白い。
それに、きっと版画にしやすい原画を描く人だったのだろう。

その原画をもとに、版画の版を作った職人さんたちも、
きっとワクワクしながら仕事をしたんだろうと思う。
関わった人すべてのレベルが高いから、ブリューゲルの版画は、
同じような他の版画に比べても、一段も二段も素晴らしい。
あの版を作った職人さんたち、名前は残っていないだろうけど、本当にすばらしい!

いい仕事を見せていただきました!という気分になった。

大きな自然の中の愛すべき人間たち、キリスト教の世界や風刺画。
「七つの罪源」シリーズのなかの「怠慢」では、
だらけた人々の周りに、たくさんカタツムリがいた。
「いやいや、カタツムリは、普通があのペースですから」と、
ブリューゲル氏がいたら、声をかけただろう。

「七つの罪源」シリーズは面白くて、いろいろ見入ってしまったけれど、
そのあとに続く「七つの徳目」シリーズは、普通で真面目で、さらっと見るにとどまった。
人肌の感じとか、布の感じとか、それはもう技術レベルは高いのだけど、
「愛徳」なんて、そのまんまだった。
あたりまえなんだけど。

真面目に、スゴく真面目に仕事をする職人さんたちが、
人間のちょっと「どうしようもないところ」を描くから、
とても面白くなる。
そんなふうに思った。

少しでも興味がある人は、ぜひ行ったほうがいいと思う展示会だった。

ノモンハン もうひとつ

2010-08-14 00:05:00 | Weblog
映画の「20世紀少年」を見ながら、
一時期、浦沢直樹氏の作品にハマっていたころのことを思い出した。

といっても、読んだことがあるのは『MASTERキートン』『MONSTER』、
そして『20世紀少年』だけだから、ハマったと言うと、ファンに怒らるかも。

『MONSTER』のラストシーンについては、きっといまでも徹夜で語れる。
『MASTERキートン』は、大学生のときに読み、将来キートン先生のようになりたいと思った。
ただし、軍隊の地獄の訓練について行くだけの運動神経も精神力もないことは、よくわかっていた。

「砂漠のカーリマン」という話を思い出し、タクラマカン砂漠が目の前に広がった。
こうなるともう、連想がとまらない。

いくつか作品中の思い出深いシーンが心に浮かび、
最後に、昨日読み終わったばかりのノモンハンに、ピタッとたどりついた。
『MASTERキートン』には出てこないテーマだけど。

『MASTERキートン』にハマっていたころ、モンゴルにもハマっていた。
いまから15年くらい前の話だ。

友人からのウワサで、満州里というところに、
すごく美しい草原が広がると聞いた。
その後、モンゴル人と満州里をはじめ、あの辺り一帯の話をする機会があった。

内モンゴル自治区とはちがい、中国の東北部とモンゴルとの国境付近には、
まだ手つかずの草原が残っていると言うことだった。

私は「行ってみたいなあ。でも、こんな不便なところおいそれとは行けない」と、
憧憬のまなざしで語っていた。
ノモンハン事件があったのはそのあたりなのに、
日本史で勉強していたのに、知識と実際の地名がリンクしていなかった。
モンゴル人に、「むかし日本とそこで戦争があったよ」と言われた。
それでも、ノモンハン事件とは結びつかなかった。

最近の高校の日本史の教科書を見たら、
ノモンハン事件による日本側の死者は、約8700名と出ていた。たしか。
一説には2万人とも言われているけど、文科省は少なめ説を採用しているようだ。

それでも、やはり、私にとってはノモンハン事件というよりも、
写真で見た、あの美しい満州里の草原なんだ。申し訳ないけど。

馬のひづめの音、馬上のモンゴル人のかけ声、
自分の靴が、少し湿った大地を踏みしめる音、
私の足に驚いて、急いで逃げる小さな虫たち、
ボーッとしていると踏みそうになる家畜のフン。
想像することは、もうたくさんあった。

そんなことを考えながら歩いていたら、踏切に突っ込みそうになった。
目の前にはアスファルトの道ではなくて、草原が広がっていたから、
もうすっかり、バーが降りていることに気がつかなかった。

だから、クルマの運転はしないことにしている。
他人に迷惑をかけることになりそうだから。
今日、改めて、事故は自分1人で、と思った。