梅雨も明けて、辺りもすっかり夏色になってきた。
夏の強い陽射しと、おれが生まれ育った街のこの季節特有のまとわりつくような湿気を感じると、時の過ぎるのは早くも感じ、とてもゆるやかにも感じる。
…尊敬する父が亡くなってから、今日で半年が経った。
今井亮太郎ブログ記事「親父、ありがとう!」
父のあまりに突然の逝去に、戸惑いながらも一生懸命がむしゃらに進んできたこの半年。悲しみも喜びも、本当にいろいろなことがあった。今までの人生において、最も感情が右にも左にも大きく振れ続けた半年だったかもしれない。
父が亡くなったのは、1月に発売されたおれ 今井亮太郎のメジャーデビューアルバム『ピアノ・サウダージ』発売日の3日後のことだった。
このアルバムの発売を最も喜んでくれたのが父だった。
あの日、前日までとても元気だった父は、突然の心不全で急に逝ってしまった。
三年前に母を亡くしてから、父とは、飲んだり、食べたり、旅行に行ったり、サッカーを観に行ったり…、一緒によく笑い、一緒に涙して、とても大切な時間を過ごせた。おれにとって、かけがえのない宝物だ。
でも、まだまだ、いて欲しかった。音楽を仕事にしているこのバカ息子のことを、世界の中心で「私の息子だ!」と、父に誇って言ってもらえるくらいになって、そして、そんな自分の姿を亡き母が見られなかった分まで代わりに父にはたっぷり見せたかった。
もっと一緒に盃を交わしたかったし、アドバイスや厳しい言葉を言って欲しかった。
メジャーデビューという最も華やかなこと、そして最も悲しい父の死…。そんなまさに天と地のような出来事から始まったこの半年だったけど、父と約束した「常に情熱を持って、プロフェッショナルに、そして目に見える結果を。」ということを今まで以上に噛み締めて今日までを進んできた。
先日7.3に発売されたおれのピアノソロアルバム『ピアノ・ジョビン』。
ピアノだけで大好きなブラジル音楽を奏でて作りあげたこのCDこそ、最も父と母に聴いてもらいたかった。
音楽に出会わせてくれて、音楽の道に進むことに対して厳しいことを伝えながらも応援し続け、ブラジルにも快く送り出してくれて、そして誰よりも今井亮太郎の音楽を大切にしてくれた両親に。
きっと喜んでくれただろう。
天国できっと聴いていてくれているかな。
父や母がいなくなってしまった悲しみはもちろん深いのだけれど、両親がこの世に今井亮太郎という存在を与えてくれたこと、そしてたくさんの素晴らしい人たちがおれの周りにいること、大好きなピアノを素晴らしい音楽家とともにステージで奏でられること、おれの音楽を待ってくださっている方がたくさんいること…、そんな幸せをおれは今、心いっぱい感じて毎日を過ごしている。
おれの両親は本当に素敵な人たちだった。
そんな二人が最も大切にしてくれたおれの音楽の中には、父と母の笑顔や幸せがいっぱい詰まっている。
7月28日、平塚市民センター大ホールでの今井亮太郎「真夏のブラジルピアノ」コンサート。
この夏、このコンサートで、小学校の校長まで勤めた父が教育者として最も力を注いできたことのひとつを、おれなりの形で表現する。
父が大切にしてきた「命の尊さを伝える絵本」をこのコンサートの収益の一部から平塚市はじめ近隣の小中学校に寄付する。
コンサートの中では、父が小学校の教壇でしたように、絵本の読み聞かせをおれのピアノとともにお贈りしたい。
7.28の平塚市民センター大ホールコンサートでは、たくさんの想いを胸に、両親がくれたおれの音楽を大切に、心から幸せを感じながら、素晴らしい仲間たち、スタッフのみなさまたちとともに、最高に楽しんでピアノを奏でようと思う!
父の誰にでも優しくて穏やかでロマンチストで情熱的な世界、母がくれた溢れんばかりの愛とカラフルでハッピーな世界、そんな素晴らしい両親の世界観から創られたおれの音楽を、7.28は両親が大切にしたおれの地元の街 平塚で、みなさまにお伝えできたら幸いです。
父が亡くなって半年の今日、あらためて誓おう。
この半年、いろいろなところで、父の人徳や偉大さに触れてきた。
「今井先生には本当にお世話になったんだよ」
「素晴らしい人だったよね、お父さんは」
「今井先生がいたから、がんばれました」
父へのたくさんの嬉しい言葉を聞いて、本当に父が偉大な人であったんだな、と心から誇りに思う。わが親父ながらカッコいいと思う。
そんな父に負けないくらいの大きな自分になれるように、これからも一歩一歩、真摯に、真っ直ぐに、さらにがんばっていこう!
親父、母さん、本当にありがとう!!!
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夏の強い陽射しと、おれが生まれ育った街のこの季節特有のまとわりつくような湿気を感じると、時の過ぎるのは早くも感じ、とてもゆるやかにも感じる。
…尊敬する父が亡くなってから、今日で半年が経った。
今井亮太郎ブログ記事「親父、ありがとう!」
父のあまりに突然の逝去に、戸惑いながらも一生懸命がむしゃらに進んできたこの半年。悲しみも喜びも、本当にいろいろなことがあった。今までの人生において、最も感情が右にも左にも大きく振れ続けた半年だったかもしれない。
父が亡くなったのは、1月に発売されたおれ 今井亮太郎のメジャーデビューアルバム『ピアノ・サウダージ』発売日の3日後のことだった。
このアルバムの発売を最も喜んでくれたのが父だった。
あの日、前日までとても元気だった父は、突然の心不全で急に逝ってしまった。
三年前に母を亡くしてから、父とは、飲んだり、食べたり、旅行に行ったり、サッカーを観に行ったり…、一緒によく笑い、一緒に涙して、とても大切な時間を過ごせた。おれにとって、かけがえのない宝物だ。
でも、まだまだ、いて欲しかった。音楽を仕事にしているこのバカ息子のことを、世界の中心で「私の息子だ!」と、父に誇って言ってもらえるくらいになって、そして、そんな自分の姿を亡き母が見られなかった分まで代わりに父にはたっぷり見せたかった。
もっと一緒に盃を交わしたかったし、アドバイスや厳しい言葉を言って欲しかった。
メジャーデビューという最も華やかなこと、そして最も悲しい父の死…。そんなまさに天と地のような出来事から始まったこの半年だったけど、父と約束した「常に情熱を持って、プロフェッショナルに、そして目に見える結果を。」ということを今まで以上に噛み締めて今日までを進んできた。
先日7.3に発売されたおれのピアノソロアルバム『ピアノ・ジョビン』。
ピアノだけで大好きなブラジル音楽を奏でて作りあげたこのCDこそ、最も父と母に聴いてもらいたかった。
音楽に出会わせてくれて、音楽の道に進むことに対して厳しいことを伝えながらも応援し続け、ブラジルにも快く送り出してくれて、そして誰よりも今井亮太郎の音楽を大切にしてくれた両親に。
きっと喜んでくれただろう。
天国できっと聴いていてくれているかな。
父や母がいなくなってしまった悲しみはもちろん深いのだけれど、両親がこの世に今井亮太郎という存在を与えてくれたこと、そしてたくさんの素晴らしい人たちがおれの周りにいること、大好きなピアノを素晴らしい音楽家とともにステージで奏でられること、おれの音楽を待ってくださっている方がたくさんいること…、そんな幸せをおれは今、心いっぱい感じて毎日を過ごしている。
おれの両親は本当に素敵な人たちだった。
そんな二人が最も大切にしてくれたおれの音楽の中には、父と母の笑顔や幸せがいっぱい詰まっている。
7月28日、平塚市民センター大ホールでの今井亮太郎「真夏のブラジルピアノ」コンサート。
この夏、このコンサートで、小学校の校長まで勤めた父が教育者として最も力を注いできたことのひとつを、おれなりの形で表現する。
父が大切にしてきた「命の尊さを伝える絵本」をこのコンサートの収益の一部から平塚市はじめ近隣の小中学校に寄付する。
コンサートの中では、父が小学校の教壇でしたように、絵本の読み聞かせをおれのピアノとともにお贈りしたい。
7.28の平塚市民センター大ホールコンサートでは、たくさんの想いを胸に、両親がくれたおれの音楽を大切に、心から幸せを感じながら、素晴らしい仲間たち、スタッフのみなさまたちとともに、最高に楽しんでピアノを奏でようと思う!
父の誰にでも優しくて穏やかでロマンチストで情熱的な世界、母がくれた溢れんばかりの愛とカラフルでハッピーな世界、そんな素晴らしい両親の世界観から創られたおれの音楽を、7.28は両親が大切にしたおれの地元の街 平塚で、みなさまにお伝えできたら幸いです。
父が亡くなって半年の今日、あらためて誓おう。
この半年、いろいろなところで、父の人徳や偉大さに触れてきた。
「今井先生には本当にお世話になったんだよ」
「素晴らしい人だったよね、お父さんは」
「今井先生がいたから、がんばれました」
父へのたくさんの嬉しい言葉を聞いて、本当に父が偉大な人であったんだな、と心から誇りに思う。わが親父ながらカッコいいと思う。
そんな父に負けないくらいの大きな自分になれるように、これからも一歩一歩、真摯に、真っ直ぐに、さらにがんばっていこう!
親父、母さん、本当にありがとう!!!
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