放送記念碑
折原久左衛門
NHK函館放送局誕生の地
NHK函館放送局は昭和七年三月六日午前六時三十分「JOVK、こちら函館放送局」のアナウンスで、この場所からラジオ放送を開始した。
VKのコールサインは市民にとって親しい響となり、出船入船の多い巴の港から望む放送塔は函館の目印で、「函館山と背比べ 放送塔のアンテナさん キリンが首を振るように 皆さんお元気今晩は」と放送の「子供の時間」にも歌われ親しまれた。
爾来、VKさんといわれて半世紀の時を刻んだ。
その間、昭和九年の函館大火にも類失を免れ、大戦中も戦後の混乱期も一日も休まず放送電波を送り続けた。昭和三十二年四月一日テレビジョン放送を開始、そして昭和四十二年三月、千歳町に移転するまでの三十五年間市内有数の美しい景観と眺望に恵まれ、多くの市民が坂を登って放送局を訪れた。
昭和五十七年、開局五十周年を記念して、VK発祥の地のこの場所に碑を建て、永くその誕生を記念しようとの声が起こり多くの市民の基金を得、折原久左エ門氏をわずらわし、今、建立の運びとなったことは喜びにたえないところである。
昭和六十年十一月九日
VK懇話会代表 秦 良平 記
南部藩陣屋跡の隣にあります。
幕府が蝦夷地(北海道)を初めて直轄した時代(1799年~1821年)、幕府の
命により南部藩が蝦夷地を警備するための陣屋跡で、敷地は当初16,200㎡ほど
であったが、19,800㎡増やして、36,000㎡以上となった。
建物は極めて粗末で、ここには相当な人数が勤務し越冬していたが、病人が
たくさん出た。(文化4年(1807年)には342人勤務、うち150人越冬)
後の幕領時代(1854年~1867年)にもここを陣屋として再建し、約300人が勤
務していた。
明治元年(1868年)戊辰戦争が東北地方に及び、国元を警備するため、同年
8月11日夜、イギリス人ブラキストンから調達した汽船に乗って函館を引き揚
げ、南部へ帰った。
この碑は昭和29年(1954年)7月30日、岩手県南部会が建立した。
放送記念碑
北海道函館市元町18付近
さて車を走らせ、坂本龍馬記念館を通ったら、
坂本龍馬像がなくなっていた。
銅像は移転しました。とのこと。
函館公園のところに同じ像ができたのだと思っていたけど、移転していたことが判明。
函館新聞の記事も載せておきます。
津波の危険性があることから、海抜の高い所へ設置を考えていたとのこと。
謎が解けてよかった。
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