さっちゃん 空を飛ぶ

認知症で要介護5の妻との楽しい日常を 日記に書き留めたいと思います

さっちゃんに代わって僕が判断せねばなりません。またしても今日、僕は大きな岐路に立たされました

2022-03-23 23:49:38 | 肺炎
今日の午前11時にケアマネさんが家を訪問してくださり、さっちゃん退院後の介護と看護のサービス利用計画見積りを示してくれました。
午後3時からは災害医療センターへ行きました。
そして、担当医師のH澤先生と退院支援計画担当者のH越さんと担当看護師さんと僕の4人での話し合いの場を持ちました。
書いておきたいことを全部書き記すと膨大な文章量になってしまいそうですから、核心部分のみを今日は書いておこうと思います。
H澤先生から頂いている書類「医師よりの説明内容」に重要部分は的確にまとめられていますから、それをブログにも転載したいと思います。

 誤嚥性肺炎で加療を継続しております。発熱が目立ったため一時的に抗生剤を再投与しましたが改善傾向にあったため終了しております。ただし誤嚥を常に起こしてしまっている状況であり、一部分改善しても別の場所で肺炎を起こしてしまい、誤嚥性肺炎は持続しております。全身状態についても筋力低下は徐々に進んでおり、介護度は以前よりも増していると考えます(こちらが改善していくことは難しいです)。また現状として意思疎通が難しいこと、経口摂取を試みると発熱してしまうことから、経口での栄養摂取は今後も含め難しいと考えます。そのため今後も栄養剤の投与が必要になります。
 現在は鼻から胃管と呼ばれるチューブを挿入して栄養剤を1日3回投与しています。栄養はまかなえますが鼻にチューブが入っているため唾液がたれ込みやすいこともあり誤嚥しやすいデメリットもあります。また管理が不十分な場合チューブに入れた栄養剤が肺に回ってしまう危険性もあります。
 その他の栄養の投与方法として胃瘻があります。胃瘻は胃に手術で穴を開けチューブを直接胃に装着できるようにする方法です。チューブを鼻に通さないため経鼻に比較し誤嚥のリスクは減りますが、全く無くなるわけではありません。また定期的な胃瘻の交換が必要で訪問診療で行なっていただければ行なっていただきますが、訪問診療でできない場合にはどちらかの医療施設で行なっていただくことになります(当院では胃瘻の交換をおこなっておりませんので当院ではできません)。当院でも胃瘻が作れないと判断された場合には胃管のまま帰宅いただくか、胃瘻の作れる病院に転院してからの自宅退院となります。
 以上から、経鼻からの胃管のままで帰宅するか、胃瘻を造設するかどうかを決めていただく必要があります。胃管のままであれば調整がつけば早めに帰ることはできますが、胃瘻を作る場合には少し退院は延びることになります。いずれの場合もご家族の管理が重要になりますので、ご了承ください。
 残念ながら退院後も誤嚥を繰り返すことは必然と考えられます。軽微なものであれば自然に回復することもありますが、重症である場合には命に関わることが避けられません。以前からお話しているとおり命に関わる状況になった場合に、自宅でお看取りするか、病院に搬送するかは決定していただく必要があります。これにつきましてはご自身が決定できないため、ご主人が決めていただくことになります。病院に搬送されるといったことになった場合、自宅での管理は困難と判断し、救命されたときは家に帰ることは不可能と考えます。その際には転院になることをご理解いただく必要があります。


この文章を僕は帰宅してから読みましたけれど、話し合いの内容はまさにこの文章のままでした。
転院はせずに自宅で過ごしてもらうことはほぼ決定事項ですから、問題は胃管のままで帰宅するか、胃瘻を造設するかの二者択一です。
これに対する僕の気持ちは胃瘻の話が出た瞬間から大まかには決まっていました。
即決するには僕の情報量がまだ少な過ぎるので、1日ほどの余裕を持ちたいと思ったのです。

最後の方で先生が記しておられる看取りの問題ですが、このことはさっちゃんが今回入院してからずっと考え続けていたことでした。
ですから僕の心の中ではほぼ結論は出ていたことです。
僕はさっちゃんを目の前に見ながら看取りたいと思います。
コロナ禍でなければ幾つかの選択肢があると思います。
でも、コロナ禍の状況下ではその選択肢は狭まってしまいます。
今日の話し合いの中でも僕は救急車で搬送された際の気持ちから、今に至る気持ちを踏まえてその場におられる3人に話しました。
話しながら、涙が滲み出て、言葉も出せなくなりました。
そして、絞り出すようにしてこう言いました。
「僕はさっちゃんを自宅で看取りたいんです」と。

その言葉を発した瞬間、H澤先生もH越さんも「よくぞ決心してくださった」というような雰囲気が見て取れました。
お医者さんにしても看護師さんにしても、患者さんやその家族が最期のイメージを明確にしてくれることで、確信を持って対応できるのでしょう。

もっともっといろいろなこと、ここに書いたことの何倍ものことを聞いたり話したりしました。
その内容は追々ブログにも反映されることと思います。
H澤先生が仕事でその場を離れても、H越さんが長い時間僕の質問に答えてくださいました。
その話し合いも終了し、僕がトイレに行ってから正面玄関から外に出て帰ろうとしていると、H越さんが外で待っていてくれました。
そして、吸引用のカテーテルを1本くださいました。
今はコロナ禍で吸引を実際にやって練習が出来ません。
「看護学生時代、どうやって吸引の練習をしたんですか?」と聞いてみました。
すると、「友達同士でやったり、自分にやったりしましたね。傷付けて、血流したりしてね」との答えが返ってきました。
僕も自分の体で練習してみようと思います。
痛いだろうな、怖いだろうな。
でも、さっちゃんはこれを毎日10回以上体験するんだもんな。
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さっちゃんの退院先を自宅にすることで再び動き出しそうです

2022-03-22 23:30:53 | 肺炎
先週土曜日に妹さんに記入してもらった入院手続きの書類を、今日病院へ持って行きました。
それと一緒に尿漏れパッドも持って行きました。
まずは入退院受付の窓口に書類を提出し、その後、ナースステーションに行きました。
パッドを預け、担当の看護師さんを呼んでもらいます。


▲13:20。待っている広間から見える雪景色です。大きな公園の広場が真っ白になっています。今日真冬のような寒い日で、しかも一日中雨でした。正午前ころからは雨が雪に変わり、僕も雪の中を病院へ向かいました。

看護師さんが来られ、さらに追加でパッドをコンビニで購入することになりました。
水分を十分摂れているのでしょうね、おしっこがたくさん出ているのだと思います。
コンビニで購入して戻って来ると、今度は退院支援計画担当者のH越さんが来てくださいました。
吸引の機械も持っておられます。
その吸引器の基本的な使用法を教えてくれます。
吸引カテーテルをどのように口や鼻から入れるのか、どのくらいの時間入れるのかなど、具体的なことを説明してくれます。
他にも多々詳細を教えてくださいました。
ただ、それだけでは実際に正しく行なうことは出来ないだろうと、さっちゃんが吸引している際の動画を撮って見せてくれるそうです。
さっちゃんに会って、実際に出来るのかと思っていましたが、やはりそれは無理だったようですね。
H越さんが言うには、訪問看護の看護師さんに毎日入ってもらって、実地に指導してもらうしかないと言います。
それでも、看護師さんがいない時の方が多いのですから、最初から僕ひとりで行なうことの方が多いわけです。

鼻からの管を使った経腸栄養もなかなか大変だと言うことが分かりました。
まずはその管が胃にちゃんと届いているのかを確認する必要があるのだそうです。
そのためには聴診器を持って、管から注射器で空気を送り込み、胃でごぼごぼと音がするのを確認するんだそうです。
さらには同じ注射器で吸い込んで、胃の中に何もないことも確認するのだそうです。
病院では1日3食ですが、家庭で大変なら1日2食にして、最初の内は看護師さんにやってもらってもいいでしょう、と言います。

そして、パッドを交換する際の動画を見せてもらいました。
久し振りにさっちゃんの姿を見ることが出来ました。
目を開けていました。
その目はしっかりと命を宿した目でした。

体が固まらないようにリハビリはしてくださっているようですが、さっちゃんは車椅子に移ることはないようです。
ずっとベッドの上なんですね。
手には白くて団扇のような手袋をはめていました。
手袋してなかったそうなんですが、今日はけっこう腕を動かしていたのではめたんだそうです。

病院を出て、家への道すがら、ケアマネさんに今日の報告をしました。
H越さんが訪問看護で毎日看護師さんに来てもらうことを話していたと報告しました。
いま契約している事務所では毎日は無理なようなので、もうひとつの事務所とも契約しなければならなくなるようですね。
そして、H越さんに聞いた吸引等も行なってくれるショートステイについても聞きました。
ケアマネさんによると、夜も看護師さんが居るショートステイはないかも、と言います。
それに午前中と午後に1回ずつ吸引するというのならあると思うけど、さっちゃんのように回数が多いと、とのこと。
なかなかハードルは高そうです。

すると、帰宅後すぐに災害医療センターの担当医師の先生から4時35分に電話が入りました。
「これからの方針について話しをしたいから会いませんか」とのことです。
H越さんから今日の報告を受けたのでしょうね。
明日15時に、お会いすることになりました。

さらに、5時39分には、ケアマネさんからも電話が入りました。
自宅での看護と介護計画の見積もりが立ったんだと思います。
それについての相談や報告があるのだと思います。
明日の11時に来てくださることになりました。

また動き出しました。
多くの人たちの協力を得ながら、僕も本気で介護・看護のプロになる心づもりで頑張ろうと思います。
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昨日は入院手続きの件でさっちゃんの妹さんに会い、ついでに病院での用事を済ませました

2022-03-20 23:29:12 | 肺炎
昨日、19日の土曜日のご報告です。
14日の月曜日に受け取った入院手続きの書類、その書類に記入してもらうために、昨日の13時、さっちゃんのさんに会いました。
さっちゃんの入院している病院がちょうど僕と妹さんの家の中間地点くらいですから、そこの駅ビルで会うことになりました。
もう一人の妹さんも来られました。

駅ビルの中のデパートの喫茶店で2時間ほどいろいろと話しをしました
たわいもない話ですし、周りも五月蠅く、眼の前には大きな透明な衝立も置いてありますから、耳がさほど良くない僕にはほとんど聴き取れません。
書類に書いてもらう内容は入院費の連帯保証人になってもらう件です。

災害医療センターには15時少し前に着きました。
土曜日ですから、正面玄関は閉まっています。
コンビニに行き、患者衣レンタルの契約2週間分しました。
最初にも2週間の契約をしたのですが、それが21日に終了するからです。
土曜日なので救急の入り口へ回り、面会の手続き(面会できないのですが)をして、病棟のナースステションへ行きました。
担当の看護師さんを呼んでもらって、患者衣レンタルをしたことを報告します。
そして、必要な物はないかと聞きました。
とりあえずはオムツと口腔ケア用のスポンジ棒がもうすぐ不足しそうだと言われました。
さっちゃんの様子を聞くと、基本的には変わりはないようですが、相変わらず痰の量が多いみたいですね。
僕は再度コンビニへ行って、その2品を購入し、またナースステーションに戻り、担当看護師さんに品物を渡しました。

病院を出ると、が降り始めました。
予報通り4時から降り始めました。
この日は雨予報があったので、自転車ではなく電車で来たのです。
かかる時間は両方ともほぼ同じです。
お金もかかりませんし何より運動になりますから、出来る限り自転車を使いたいものですけどね。


災害医療センターに入院してから2週間が経ちました。
大腿骨転子部骨折でA病院に入院した時と今回と異なる点が僕にはあります。
それがどういう理由だからなのか僕には分かりません。
その異なる点が何かと言うと、面会したいと思う強い気持ちが湧いてこないことです。
何故なのでしょうね?

入院した最初のころは、さっちゃんの状況が面会どころではなかったでしょうから、理解できます。
一般病棟に移ってからは、僕はさっちゃんがすぐにでも退院できるのではと楽観していました。
でも今は、今月中の退院は難しいかもしれないと感じています。
それなのに、さっちゃんの顔を見たいという強い欲求が起きません。
かと言って、さっちゃんのことを思わない日、思わない時はありません。
A病院ではリモート面会制度を最大限に活用しましたけれど、僕からの一方通行で終始しました。
今はなおさらそうでしょうね。
こんなことをブログに書きながら、せめてさっちゃんの顔を見たいとの想いが湧き起って来ました。
そう思いながらが滲んで来てしまいます。
火曜日に病院へ行くので、その時看護師さんに聞いてみたいと思います。
「さっちゃんの顔を見ることは出来ませんか?」って。
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どうやら僕自身のことが心配されているように感じます

2022-03-17 23:36:32 | 肺炎
昨日の退院支援計画担当者の電話の中で、「痰の吸引を実際に病院でやってもらいましょう」との話がありました。
僕は今日にでもその日程の打診があるのではと一日中電話が来るのを待っていました。
しかし、電話は来ませんでした。

待ち人からの電話は入りませんでしたけれど、ケアマネさんから5時に電話が入りました。
その内容は簡潔なもので「28日の月曜日に訪問看護の看護師さんと私とで伺いますね」というもの。
僕とさっちゃんの今後について話し合いの場を持ちたいと言うのです。
昨日のH口さんもそうですし、ケアマネさんも同様ですけれど、言葉の端々から僕単独での自宅介護・看護への心配の気持ちが漏れ出ています。

「やってみないと分からない。頑張ってみないと分からない」との想いだけで、自宅介護・看護に突入する僕を不安に感じるのでしょう。
正しく出来なくてさっちゃんを傷つけたり、容態を悪化させたり、共倒れになったりすることを心配してくださっているのだと思います。
僕も何も知らないことだらけですから、やってみなければ分かりませんし、周辺の人たちの反応を見ながらフィードバックするしかない部分もあります。
親身になって考えてくださる方々の存在がとても有難く感じられます。

     *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

さっちゃんの認知症は加速度的に進行しているように思えます。
意味性認知症の影響で、失語症はますます重いものになっているようです。
さっちゃんの理性や感情がどんな風なのかまったく分かりません。
理性は衰えているでしょうけれど、感情面はどうなのでしょう。
笑顔さえ見ることが出来れば、僕はそれだけで満足なんですけれど。

昨年の11月末骨折で入院し、途中10日間だけ自宅に居ましたけれど、再び肺炎で入院。
さっちゃんは歩けなくなり、立てなくなり、座れなくなりました。

さっちゃんはその精神、感情、肉体すべてにおいて極度に衰えてしまっています。
でも不思議なことに、さっちゃんの精神面・感情面・肉体面での存在感が薄れるのに反比例して、僕の心の中での存在感は強烈になって来ています。
今のさっちゃんの存在が僕の支えとなっており、僕を憐れみ深くし、心豊かにしてくれています。
僕はこれまでの人生の中で最も豊かな心の状態のように思います。
それは今のさっちゃんが僕に与えてくれているものです。
一日の中で、何度も何十度も温かな涙が滲み出ます。
僕は高校時代に味わった悲しい出来事のせいで、自分の涙は涸れ尽したと思っていました。
でも、さっちゃんのお陰で温かく豊かな涙の出る自分になれているようです。
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自宅へ向けての退院が具体的に進み始めました。でも、その道のりは想像以上に険しそうです

2022-03-16 23:51:22 | 肺炎
今日の11時57分、災害医療センターから電話が入りました。
H越さんという方で、おそらく看護師さんだと思います。
退院支援計画担当者なんだと思います。

まずはさっちゃんの現在の状況の説明から話は始まりました。
酸素マスクは付けていないこと、そして経腸栄養のための鼻からの管が付けられていると言います。
でも、さっちゃんが鼻の管を外そうとするんだそうです。
この管は引っ張ると容易に抜けるんだそうですね。
手で引っ張らなくてもさっちゃんの動きの中で抜けそうになることもあるようなんです。
もちろんテープで止めたりはしているのですが、そのテープも外れることがあるのだそうです。
病院ではその対策として、さっちゃんに手袋をはめてもらっているようです。
手袋と言っても、ボクシングのグローブのように指は使えない手袋だそうです。

痰の吸引についても話してくれました。
病院では2時間おきに行なっているとのこと。
食事の前後や寝る前など、就寝中も定期的に行なうようです。
ゴホゴホと喉を鳴らしている時には必ず吸引を行なわないと駄目だと言います。
鼻と口から吸引を行なうので、鼻からの吸引ではさっちゃんが痛がるんだそうですね。
「鼻にも痰があるんですか?」と聞くと、「鼻水という形になります」と言います。
僕には医学的な正確な意味は分かりません。
簡単に出来ることではないので、「病院に来てもらって実際にやってもらいましょう」と言われました。

この痰の吸引はいつまでも続くことが予想されるようですね。
と言うのも、さっちゃんの場合、肺炎の完治が難しそうだからです。
明らかな誤嚥という訳でなくて、通常の状態の中で少しずつ誤嚥が生じているからだそうです。
さらに鼻から胃に管が入っていますから、その影響もあって痰は出来やすいんだそうです。

痰の吸引は自宅での看護のポイントになりそうですね。
さっちゃんを傷つけずに僕が吸引できるようになること、そして就寝中も1度か2度は起きて、さっちゃんの痰の吸引をすることが必要です。

他にも、H越さんはさっちゃんの様子を教えてくれました。
どうやら座ることも出来なくなっているようですね。
今回救急搬送される前は、ベッドサイドに自力で座り続けることは当たり前のように出来ていました。
でも、今は出来ないのだそうです。
支えがないと無理なんだそうです。
俄かには信じられません。

排便のことも聞いてみました。
排便はあるようです。
どれくらいの頻度かとか、どんな様子の便なのかまでは聞きませんでしたけれど。

途中、H越さんが介護ベッドのことをチラッと聞いて来ました。
褥瘡防止のための体交についてです。
いま使用しているマットは軟らかく体圧を分散するだけのマットです。
自動で体位変換が出来るようなマットもあるようですから、そんなマットの使用も考えた方がいいかもしれません。

そうなると、これまでは僕はさっちゃんの横で(縮こまって)寝ていたのですが、同じベッドでは寝れなくなりそうですね。
ですから、今日僕は敷布団を探しました。
6畳の部屋に介護ベッドですから、家具も置いてあったりして、僕の寝るスペースが狭いのです。
幅が90cmほどのところで布団を敷いて寝なければなりません。
買い物に行ったついでに、無印良品、ニトリ、カインズを回ってみました。
帰宅してからも、ネットで調べてみました。
すると、ニトリに85×185cmの子供用サイズ敷布団がありました。

「鼻からの管で順調に体の栄養状態が良くなったら、体力も付くでしょうか?」と僕は聞いてみました。
ところが、H越さんの返答はこうでした。
「口から食べないと体力は付かないと思います」
でも、僕は信じたいと思います。
体の栄養状態が改善されたら、リハビリを繰り返して、座れるようになり、立てるようになり、歩けるようになると。

H越さんとは電話で30分近く話していましたが、その時々に自宅で介護・看護する僕の覚悟を確認するような言葉を投げかけて来ました。
現状のさっちゃんを自宅で診続けるのは大変なことで、相当の覚悟が要ることです。
その覚悟をH越さんは確認してくるのです。

また、病状が急変した場合の究極の選択をどうするかについても聞かれました。
H越さんは「医師は早い段階からそのような意識を持ってもらいたいので、必ずそういう問いかけをする」と言います。
訪問診療の医師や救急隊員から「このまま看取るか、時間とお金をかけて治療するか決めて下さい」と問われた時のことを思いました。
あの時は、このまま看取るという選択肢は僕にはありませんでした。
突然過ぎて、そんなことは考えられなかったんです。
さっちゃんを治療してもらうことしか念頭にはありませんでした。
そこへ突然、看取るという言葉が暴力的に乱入して来て、ただただ驚き混乱しました。

でも、今は少し違うかもしれません。
さっちゃんにとって何が幸せなのかいろいろと考えたいと思います。
H越さんと話しながら、僕は電話口で言葉に詰まり、嗚咽しそうになりました。
どんな選択、どんな結論を出すにしても、どちらも辛く悲しいことです。

理想論かもしれませんが、僕はさっちゃんを自宅で僕の目の前で看取りたいと思います。
コロナ禍ですから、病院では目の前で看取ることは出来ないのかもしれませんし。
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さっちゃんの退院に向けて少しずつ動き出すかもしれません

2022-03-15 22:28:49 | 肺炎
さっちゃんが入院している災害医療センターは救急救命に重きを置いた病院ですから、ここからの退院が病気完治を意味するものではありません。
それを前提として、今後の道筋も考えていかねばなりません。

今日の10時半ころ、さっちゃんの主治医の先生から電話が入りました。
今週明けに血液検査等すると聞いていましたから、その結果報告があるとは予想していました。

酸素の供給量は減っていると言います。
昨日の看護師さんは酸素マスクはもうしていないと言っていましたが、恐らくまだ少量必要な状況もあるのかもしれません。
お医者さんの方が慎重な判断、言い方をしたのでしょうか?

炎症の程度を示す値であるCRPですが、2.9だったそうです。
30台から20台、10台へと順調に下がって来てはいますけれど、まだまだ中程度以上の炎症だという数値です。
レントゲンでもまだ肺炎が認められる状態なんだそうです。
誤嚥性肺炎が最も疑われますから、痰も多く出ているそうです。

飲み込む能力はあるのですが、その意欲に乏しいので、口からの水分・栄養摂取は困難だろうと言います。
現在は点滴と鼻からの管による経腸栄養の方法を取っているとのこと。
経腸栄養ですが、まずは水分から始め、昨日からは少しカロリーのあるものを摂取してもらっているそうです。
胃腸の機能を徐々に活性化させていかなければならないのでしょうね。

退院時期の目途についても聞いてみました。
すると、「受け入れ態勢さえあれば、今すぐにでもいいですよ」との返答。
ただし、その受け入れ態勢はかなり充実させておかないと駄目なんだと思います。
肺炎は完治していませんし、の量もかなり多い、酸素が必要な状況になるかもしれない、容態も急変するかもしれない。
そういった幾つかの心配点に対応できる受け入れ態勢を作っておかねばならない、ということです。

主治医の先生に、僕は「さっちゃんを自宅に迎えたい」と言いました。
可能な限りその方向性で検討を進めてみるつもりです。
先生も「じゃあ、その方向性で考えてみましょう」と言ってくださいました。
自宅で受け入れる方向で検討を進め、やっぱりそれでは無理だとなったら、その時点で方向転換すればいいことです。

自宅で迎えられるなら、可能な限りそうしたいと思います。
コロナ禍でなければ、近くの病院に転院しても、毎日顔を合わせることが可能です。
何時間でも一緒に過ごすことが出来ます。
でも、今はコロナ禍、入院してしまうと全く住む世界が違ってしまいます。
完全に離れ離れの生活になってしまいます。
それでもまだ、さっちゃんに失語症がなければ電話で話すことも出来るでしょうが、さっちゃんとは会話も成立しません。
顔を見合いながら、手を繋ぎながら、ハグし合いながら、同じ空気を吸いながらでないと、僅かな心も通じ合わないと感じるのです。
僕は再びさっちゃんの笑顔を見たいのです。

     *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

A野さんから過分な応援(?)をいただきました。
そのお気持ちだけでも十分でしたのに、さらにそれ以上のものをいただきました。
有難うございます。
感謝しかありません。
その頂き物に手紙が付いていました。
A野さんには申し訳ないですが、ブログに転載させていただきたいと思います。
(以下、手紙の中の僕の名前をメロンさんと替えさせてもらいます。もちろん、妻のことはさっちゃんで)

メロンさん・さっちゃんへ
 風が暖かくなってきましたね。花々も咲き始め、やっと春が近づいてきました!
 久しぶりにブログを読み、お二人の絆の強さを改めて実感しましたし、夫婦って良いなぁ、家族って良いものだなぁと思いました。私達夫婦もそうありたいなぁと思います。
 飲み込む力はあるけれど飲み込めない・・・・本当に難しいしもどかしいですね。私も経験したことがありますが、口の周りをマッサージしたり、「ごっくん!! ですよ~。ごっくん!!」と言葉をかけ続け、30分頑張っても数口・・・・ということが多く、いつもご主人に「ごめんなさいね、これだけしか食べさせられなくて・・・・」と謝っていたように思います。そして思うに「ごっくん!!」という言葉は割と届きやすいイメージです。耳元で「ごっくん!!」と・・・・。なかなか難しいですけれどね。。。
 さっちゃんが自ら立ち上がろうとして足を動かしたというシーンはじんとしました。さっちゃんの肺炎が良くなりますように。痰が減りますように。そしてお家でメロンさんとの時間をまた過ごせますよう祈っております。何か手伝いたい気持ちですが、飛んで行けない今、気持ちを受け取って頂けますと嬉しいです。お願いします。
 メロンさんも身体を労りながら、、、周りの人の助けを沢山受けて皆さんと一緒にさっちゃんを支えて下さいね。1人で頑張りすぎないで下さいね!!   A野


A野さんは介護や看護のお仕事をされてきた(現在も)方ですから、僕とさっちゃんのありのままをよく理解してくださっていると思います。
心寄せてくださっていると知るだけで、こちらの心も温かく包まれる気持ちになります。


▲17:14。夕方、独りで散歩して来ました。さっちゃんが戻って来たら、また一緒に散歩したいです。暖かな季節になってきましたから、このような夕景もさっちゃんに眺めてもらうことも多くなるはずです。
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災害医療センターに必要な物を届けて来ました

2022-03-14 23:48:54 | 肺炎
土曜日の夕方災害医療センターから電話が入りました。
病院から電話が入ると、ドキッとしますね。
ただ、さっちゃんの入院生活の中で必要な物を持って来て欲しいという内容でした。
すぐにでも届けに行こうかと思いましたが、「月曜日でもいいですよ」と言われて、そうすることにしました。

今朝は7時に鳴ったアラームで起きはしましたが、二度寝してしまいました。
前日の日和田での岩トレと下山後の打ち上げの影響でしょう。
10時に起きて、朝食を食べ、洗濯をしました。

その後、1時過ぎころ、僕は自転車で病院へ向かいました。
今日は4月中旬並みの暖かさ(暑さ)でしたから、薄着で自転車も力一杯漕がずにゆっくりと向かいました。
それでもやっぱり55分ほどで到着しましたね。

家にあったパッド2袋、口腔ケア用ウェットティッシュを持って行きました。
病院のコンビニで口腔ケア用のスポンジブラシ、マウスジェル、お尻拭き3袋を購入しました。
それをさっちゃんの居る病棟のナースステーションに持って行きます。

渡した後、公共スペースのようなデイルームでさっちゃん担当の看護師さんを待っていました。
看護師さんにスキンケアクリームも見せると、「保湿クリームを使っていますが、それも預かっておきますね」と言われました。
看護師さんですから、さっちゃんの詳しい病状を聞くことは出来ないのですが、「酸素マスクはもうしてませんよ」と教えてくれました。
そして、「入院手続きがまだだと思いますので、1階の入退院受付へ行って、手続きを進めてください」と言われました。
受付窓口で入院のご案内との冊子を渡され、入院申込書等を渡されました。
緊急対応が必要な患者を多く受け入れている病院ですが、入院手続きはのんびりし過ぎですね。

ひと通りの用事が終わり、自転車で家へ帰りました。
4時過ぎに着き、遅い昼食を食べ、洗濯物を取り込みます。
それからちょっと寝てしまいましたが、8時くらいからお味噌汁だけ作り、遅い夕食を少しだけ食べました。
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日和田でのクライミングの最中に災害医療センターから電話が入りました

2022-03-11 22:13:34 | 肺炎
水曜日の午前中に、F沢さんからメールが入りました。
「明日の木曜日に日和田で岩トレしませんか?」と言うのです。
およそ半年ぶりのF沢さんとの岩トレになりそうです。
6年ぶりのS﨑くんにしろ、半年ぶりのF沢さんにしろ、このタイミングで連絡が入るとは! 何やら神様の配慮すら感じてしまいます。
山仲間からの温かな気持ちを受け取れますし、僕の暗い心持ちも明るくなりそうです。

という訳で、昨日日和田へF沢さんと岩トレに行きました。
その岩トレの報告は別に譲るとして、途中で掛かって来た災害医療センターの主治医の先生からの報告内容を記録しておこうと思います。

確かトップロープで僕が女岩西面左ルートを登っていた時でした。
僕のスマホが下でか細く鳴っているのが聞こえました。
すぐに降ろしてもらって(どうせそれ以上は登れなかったのですが)、スマホの履歴を確認します。
災害医療センターからでした。
今日、血液検査をすると聞いていましたし、もし連絡が入ったらと思い、スマホの電源は切らないでおいたのです。
普段ならスマホの電源は切っておきますし、日和田では電波が届くことも知っていましたから。

11時47分に僕から掛け直しました。
担当の先生に繋いでいただきました。
以下、先生からの報告です。
「CRPの値は12.7まで下がりました。
右肺にはまだかなりの肺炎の影が確認できます。
飲み込む能力はありますけれど、発揮するのに時間がかかります。
今後、嚥下能力を高めるリハビリも必要になるでしょう。
鼻から胃へを通すことも今後しなければならなくなります。
最初は少しずつ胃に栄養等を入れていって、胃腸を慣らしていこうと考えています。
酸素はまだ0.5L送っています。
来週に入って、また血液検査等行ない、その結果次第で退院についても考えていこうと思っています。
ただ、この状況では自宅への退院は難しいと考えています。
他の病院への転院が良いのではと考えます」


CRPの値も以前よりは半分以下に下がったとはいえ、まだまだ高過ぎる数値です。
レントゲンでもそれを裏付ける肺炎の現状ですね。
嚥下能力を高めるリハビリ、そのようなものがあるのだろうとは僕も思っていましたが、実施して効果があれば嬉しいですね。
来週すぐの血液検査等の結果がまずまずならば、来週中での転院もあり得るのかもしれません。



▲14:07。日和田の女岩西面左ルート5.10bです。かなりの前傾壁をF沢さんが乗っこそうとしています。僕はと言えば、前傾がきつくなった所から上へは行けませんでした。30代のころはノーテンション(もちろんトップロープ)で登れていたんだけどな。

夕方帰宅して、お風呂に入り、ちょっと眠ってしまってから、残りのお味噌汁、レトルトのご飯とカレーで夕食にしました。
すると、また眠くなってしまって10時ころまで寝てしまいました。
それからPCチェックをしたり、最低限の家事をして、就寝。
ブログで報告するのが翌日になってしまいました。
全身が心地よい筋肉痛です。
それほど酷くはありませんけどね。

     *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

今日の夕方、筋肉の疲れをほぐそうと思い、散歩に出かけました。
さっちゃんと一緒にいる気持ちで歩きました。


▲17:17。久し振りに黄金色に輝く夕陽を見た気がします。

歩いていると、夫婦(多分)が低い場所から多摩川土手に上って来ました。
すれ違ってすぐに、そのご婦人が僕に声を掛けて来ました。
「今日はお一人なんですか? 何時もご一緒に散歩されていたお母様は今日はおられないのですね」
僕は応えました。
「母親ではないのですよ。妻なんです」
「あっ、そうなんですね。失礼しました」
「今、入院してるんです」
「そうですか。お大事にされてください。お会いになったんですか?」
「いえ、今はコロナ禍なので面会は出来ないんですよ」
「そうですか。お辛いですね。奥様の回復を願っています」
「有難うございます」


さっちゃんは認知症が進み、今は長引く入院生活の中で、実年齢以上に老けて見られるようになってしまいました。
ここのところお会いしたお医者さんや看護師さんもほぼ全員が「お母様は・・・・」と言います。
そのたびに僕は「妻です」と訂正します。
前のブログで載せた1987年の写真を見てもらうと分かるでしょうが、そんなに年の差があるとは見えませんよね。
衰えていくさっちゃんの姿が可哀想で悲しくなります。


▲17:31。上弦の月が出ていました。さっちゃんがいても、本当に真上の空なので、さっちゃんには見つけられないでしょうね。さっちゃんは真上を見上げる動作は出来そうにありませんから。


▲17:41。いつもの水の流れでカルガモが休んでいました。頭を羽の中に隠していましたが、僕の気配に気付いて、頭を出し、眼も開けました。
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今日も災害医療センターへ行きました。さっちゃんの入院生活に関係した諸手続です

2022-03-08 23:49:45 | 肺炎
今朝の9時25分、訪問診療所から電話があって、さっちゃんの様子を聞いてくださいました。
僕からも契約書の件を聞いてみましたが、あまり急いでいる感じではありませんでした。
次に診療に伺う時にでも、といった感じです。
でもまあ、僕としては早めにきちんとした契約をしておきたいですから、記入した契約書を診療所に持って行くことにしました。
我が家から近いんです。

続いて10時30分には、災害医療センターから電話が入りました。
さっちゃんが今日の1時半一般病棟へ移るんだそうです。
それで、個室と大部屋があってどこに入りますか? という説明がありました。
個室は費用が嵩みますし、さっちゃん自身も個室の快適さを実感できないでしょう。
個室でないと困るような病状でもありません。
大部屋をお願いしました。
また、入院中に必要になるもの、病衣、オムツ、パッド、ボディソープ、シャンプー、etc.も揃えなければなりません。
病衣はレンタルするのだそうです。
その他の物は購入するのだとか。
どうやら病院にあるコンビニで購入するみたいです。
僕が「じゃあ、今日伺いますね」と言うと、「では、1時半以降に来てください」と言われました。

軽く昼食を食べ、家にあったオムツとパッドを持って行ってみることにしました。
これを使ってもらえるのなら、別途購入する必要もないですしね。
今日も自転車で行くことにしました。
歩きなら気にならない程度の小雨が降っていました。
病院に近づくころまで降っていました。
帰りには止んでいましたね。
今日も往復1時間50分のバイク運動が出来ました。

さっちゃんが居る病棟のナースステーションへ行きます。
担当の看護師さんがすぐに出て来てくれて、オムツとパッドを受け取ってくれました。
どうやらこれでいいみたいです。
テーブルと椅子、ソファが幾つも置いてある広いスペースへ行き、看護師さんから簡単な状況説明がありました。
酸素は0.5Lになっているようですね。
そして、数枚の用紙を渡されてサインをするように言われました。
退院支援計画書、病状説明用紙、入院時説明同意書、緊急処置および検査に対する同意書、身体行動制限に関する説明同意書です。

これらの書類にサインする前に、看護師さんに言われたシャンプーとボディソープを購入しに正面玄関横のコンビニへ行きました。
そこでは病衣レンタルの契約もしました。
浴衣タイプの病衣は1日220円で、仮に2週間分の契約をしました。
2日に1着、病室に届けられるそうです。

サインし終えて、ナースステーションに持って行くと、今度は別の書類の説明があるようです。
また広いスペースへ戻り、その書類の説明を聞きます。
あれ? どうも個室の病室の契約書のようです。
僕はすぐに「個室は頼んでいませんよ」ときっぱり。
1日1万円もする個室に入る余裕もありませんし、さっちゃんの病状では個室の必然性もありません。
看護師さんは困ってしまったようで、いったん僕の元から離れ、しばらくして戻って来ました。
「他に空いているベッドがないそうなんですが、個室でお願いできませんか?」と言います。
僕は「急にそんなことを言われましても、かなりの出費ですし・・・・」
「個室以外に空いているベッドがないケースで、個室のベッドを無料で使用することもあるように聞きますが」
などと、言ってみました。

この行き違いの原因はどうやらこんなことのようですね。
今朝の電話で、最初に個室の説明がありました。
次に大部屋の説明があり、窓際のベッドは1日1000円プラスされることも聞きました。
それで僕は大部屋前提で次のように話したのです。
「窓際が気持ちいいでしょうけれど、さっちゃんはそれが分かる状態ではありませんしね。
隣りのベッドに五月蠅い人がいたりしたら嫌でしょうけれど、そんなことも滅多にないですよね。
ですから(大部屋なら)どこでもいいです」

僕は個室の話は終わって、大部屋の話になっていると思っていましたから。
当然のごとく、「大部屋ならどこでもいい」という内容を伝えたつもりだったのです。
でも、電話して来た方は「個室も含めてどこでもいい」と受け取られたみたいですね。
ただ、そうなら「個室に入られるということでよろしいですね。1日1万円かかります」との確認を最後にするのが普通ですよね。

ベッドに空きがないと言うし、どうなるんだろうとヒヤヒヤしていましたが、看護師さんも僕の言っていることは理解してくださいました。
どういう経緯があったかは分かるはずもありませんが、しばらくして再び看護師さんが戻って来ました。
「窓際のベッドが空いているようなので、そこではいかがですか?」と言います。
裏でどういうやりくりがあったかは知る由もありませんが、これすら断ると申し訳ありません。
(本当はそんなことないのですけどね)
窓際ベッドの契約書にサインしました。
20日間いたとして2万円ですね。
個室なら20万円! ですよ!
そんな大金ありません。

ちょっとしたハプニングはありましたけれど、無事に入院手続きが終わりました。

そんなことのあった間の時間に、昨日さっちゃんの病状説明をしてくださったお医者さんが短い時間でしたが、来て話してくださいました。
基本的にはさほど変わった内容はありませんが、がかなり出るとおっしゃいます。
日常的に誤嚥があるようなんです。
自分では痰を出すことが出来ないので、痰を吸引することも行なう可能性があるようです。
こちらの問い掛けに対しての反応も見られるようになったそうです。
微熱は続いているようですね。
木曜日に血液検査をするので、その結果を見てそれ以降の方針も考えましょうとのことでした。

     *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

今日、ブログのプロフィール欄の写真を変更しました。
以前はアカヤシオ、シロヤシオが満開の中、山を歩くさっちゃんの姿でしたけれど、小さくて分かりませんでした。
今回はさっちゃんの顔がはっきりと分かります。
その元の写真を載せておきます。


1987年8月8日、北アルプスの室堂ですね。さっちゃんの会社の社長さん家族に偶然出会い、写真を撮ってもらったのです。この年は初めての剱岳だったので、八ッ峰6峰Cフェース剣稜会ルート、源次郎尾根、Dフェース富山大ルートを登攀しました。左の男性は小生です。

この山行を記録したさっちゃんの文章が残っていますから、いつか写真とともにこのブログでも紹介したいと思います。
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災害医療センターの担当のお医者さんから説明を受けました

2022-03-07 23:38:49 | 肺炎
今日の11時45分、僕が眼科病院に行っている時、災害医療センターから電話が入りました。
「さっちゃんの病状について近いうちに説明の場を持ちたい」と、担当のお医者さんから話があったのです。
僕が「今日でもいいですよ」と言うと、「では本日の16時からでいかがでしょうか?」との提案。
僕はもちろん大丈夫です。
「場所はのちほど決めて、連絡しますね」と、その時の電話は終了しました。
昼過ぎに連絡があって、お会いする場所も決まりました。

僕は日頃の運動不足解消のために、自転車で向かいました。
片道55分、往復ですから1時間50分の自転車漕ぎ運動が出来ました。

先生からの説明ですが、「医師よりの説明内容」という文書をいただきましたから、その文面をそのまま掲載します。
内容的にはその場でお医者さんと話したのとほぼ同内容です。
僕のあやふやな記憶で書き留めるよりも、正確な内容になりますね。


 今回発熱、呼吸苦症状があり救急要請、当院に救急搬送となりました。CTで肺炎像があり、ムセ混んだエピソードがありましたため誤嚥性肺炎と診断しました。酸素の必要量も多く重症と考えられます。新型コロナウイルス感染症も疑われましたが、遺伝子検査・抗原検査のいずれも陰性であり、感染曝露を疑わせることもないため否定的と考えます。
 入院当初酸素の必要量が多く10L投与しても体内の酸素が低い状況がありましたが、抗生物質の点滴により現在は1Lまで減らせています。ただしご本人様の受け答えが乏しい状況があり、嚥下機能を確認しますが、ご飯を食べることが難しい可能性があります。その際には鼻から管を入れさせていただき、栄養剤を直接胃に注入する方法(経腸栄養)や体の中心部分の静脈に特殊な点滴を入れさせていただき高カロリーの点滴を入れる方法(中心静脈栄養)が考えられます。こちらに関してご意見を確認させてください。
 またご高齢であり、認知症の既往があることや今回も重症であったことから、急変する可能性も十分考えられます。心臓マッサージや人工呼吸器管理は本人様の負担にしかならずかえって苦しい思いをさせてしまうと考えられるため、急変された場合には点滴やマスクでの酸素投与までの保存的加療とさせていただきます。また休日・夜間につきましては内科当直が担当させていただきますのでご了承ください。
 また状態が安定した時点で退院を検討しますが、訪問診療を導入された中での救急搬送となった経緯もあり、自宅退院とするか、転院とするか改めて方針を確認させてください。いずれの場合にも退院調整の看護師やソーシャルワーカーによる介入をさせていただきますので連絡が来た際には調整のほどよろしくお願い致します。



今回のさっちゃんの病名は肺炎、ほぼ誤嚥性肺炎だったようですね。
レントゲン写真を見せてもらいましたが、両肺ともに白い影が多くありました。
炎症の度合いを示すCRPの値は搬送時は33、今は27まで下がっているそうです。
下がったといっても、基準値は0.3以下ですし、15~20の値でも重体な疾患が疑われる範囲だそうです。
それさえ突破しているのですから、驚きです。
重症の肺炎と言うことで、ここ数日間でそうなったとは考えられず、もう少し長い期間をかけて進行して来たのだろうと、おっしゃっていました。

栄養や水分摂取の方法ですが、口からの摂取では必要量には遥かに及ばないことは明白です。
経腸栄養か中心静脈栄養かになるのでしょうが、説明を聞いたのち、僕は経腸栄養をお願いしました。
胃に直接流し込むのですが、それによって胃腸がその機能を果たすことになります。
胃腸にも働いてもらうことは大切なことだと思いますから。
ただ、デメリットもあって、鼻から胃へ管が常時ある訳ですから、その管が刺激となって唾液等が誤嚥される可能性もあるのだそうです。
さっちゃんが自宅退院した場合は、僕が1日3食、さっちゃんの鼻の管にセットすることになるのだそうです。
スプーンで飲んだり食べたりしてもらうことが、どれほど困難かはよく分かりましたから、この方法でも仕方ないと思います。

急変時に心臓マッサージを行なわず人工呼吸器を使用しない点については、訪問診療の医師からも言われていましたから了承しました。

退院のことですが、自宅、施設、別の病院への転院などの選択肢があります。
もちろん僕自身も悩むところですが、無理不可能でない限りは自宅で迎えたいと考えます。
その線での準備も万端に整えていこうと思います。

凄く順調に回復したならば、来週早々にでも退院できるでしょうとおっしゃいました。
でも、その可能性はほとんどゼロでしょうね。
長くて1ヶ月くらいなんだそうです。
ここの病院は急性期の患者さん対象なんだと思いますから、ある程度病状改善があれば転院したりするのだと思います。
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