2023年1月23日(月)、部屋の片付けをしていると、さっちゃんの山日記が見つかりました。1988年のおよそ半年分です。さっちゃんが山行記録をメモ程度に書き残していたり、日記のように書いていたことがあることは知っていましたが、こうやって改めて見つかりましたから、元気だったころのさっちゃんを知ってもらうためにも、公開しようと思います。(青字は僕の書き加えた文章です。人名等は書き替えています)
1988年1月31日(日) 鷹取山 (当時所属していた山岳会の月報より)
大草原をめざそう!
珍しくゆっくりした集合時間でのんびりした気分で出かける。
一年ぶりの鷹取山ゲレンデであるが朝から天気も上々だし、追浜の高級住宅地の朝を、住みなれたわが街のようにリッチな気分にひたりながら、前方に要塞のようにそびえる鷹取山へといつもの顔ぶれのみんなと勝手なことを言い合いながら西友ストアに到着。ここで本日の食料を買い込む。午前10時をすぎるとさすがにゲレンデも朝のトレーニングがあちらこちらで始まっている。しかし、鷹取山は砂岩の岩場なので、他のゲレンデに比べてザイルサラダになるような混み方はしない。
我々は予定通りのメニューで、まず足慣らしにと15メートルⅢ級ルートとジェードル15メートルⅣ級ルートにトップロープをセット。いずれも参加者にセットしてもらい、リーダーがOKを出すまで何度もやり直す。少々時間はかかっても、自分でやってみるのがいちばん覚える。それぞれ苦労しながらやっと完了し、それぞれ同じルートを確保と登りを交互に繰り返すうち、天気のせいか気分のせいか、暑くて自分はとうとう半袖姿になってしまった。一月の終わりだというのにこの陽気はなんなのだ! というもののゲレンデ遊びには最高である。
珍しい人、Fさんに会う。何年ぶりだろう? 相変わらず見事な登りである。知っている人、どこかで逢ったような人に出会ったり、苦労しながら登るのを下から見てて、ああでもないこうでもないと無責任なヤジをとばしたり、励ましたりワイワイ、ガヤガヤ。これがゲレンデの楽しいところなのかもしれない。
弓形クラックと称する15メートルⅤ級ルートはレイバックの登り方で挑戦。上部は細かいフェースでかなりのバランスを要する。何度も苦戦しながらも全員クリヤー。but one。最後にリーダーとサブリーダーの好奇心の目が誰も取り付いていない他のパーティーのザイルの下がっているところに・・・・・・・・。結局、ザイルの持ち主を探して許可をもらい、ぶらさがらせて(?)もらう。そろそろパワー切れの腕にはやはり難しい。また鷹取山に来るチャンスがあれば、最初にチャレンジしたいところだ。
そろそろ腕もパンプアップしたころには鷹取山にも夕暮れが迫り、毎度のことながら我々は残り少ないグループのひとつであった。日頃の行ないの良い者ばかりの集まりかどうかは知らないが、冬の木枯らしは我々のそばから一日中遠のいてくれ、代わりにポカポカ陽気を与えてくれ、快い疲れを残してくれた。
それにしてもみんなよく頑張るなぁ! と感心したり、彼等を見てると、自分が岩沢はじめたころのことを思い出させてくれる。沢シーズン到来も間近。本番にジャンジャン挑戦して力を付けて欲しいなあと(自分が言える立場ではないが)願わずにはいられない。ということは。―――本音をはくと、少しは長い沢、ワンビバークとか、同じ流域のやさしい沢をあっちゃこっちゃから入谷し、大草原のようなところにヒョッコリ現われてご対面。こういう沢山行を何パーティーもで出来たらよいなぁ~と思うのでありまぁ~す。(夢だけで終わらせたくない)みなさん! 一緒にトレーニングに励みましょう! よね。
と、言うことでして、それから我々は街の灯りがチラチラと輝きはじめた追浜の町へ吸い寄せられるように急いだのでした。 (さっちゃん記)
(参加者)L○○(僕の姓)、SLさっちゃん、A立、K子、K島、U田 (計6名)
交通費 1420 食事(昼)400 (夕)2500
2023.01.31 追記
鷹取山は神奈川県横須賀市と逗子市の境にあるゲレンデです。もともと石切り場だった場所で岩登りの練習をし始めたもので、すべてがほぼ垂直です。軟らかい砂岩にあけられた穴をホールドに登りますから、腕に強い負荷がかかります。
以前所属していた山岳会はハイキング中心の会でした。一応、オールラウンドの山行を標榜していましたから、少数ながら岩や沢をするメンバーもいました。しかし、岩沢メインの会員は僕のお師匠さん(ザイルパートナーを組んでいる二人です)くらいしかいませんでした。そのお師匠さんに続いて、僕とさっちゃんが岩沢メインの山行をする会員になったのです。会員数が300名を超えていましたから、岩沢を時々はやるメンバーも10名以上はいたという訳です。
ですから、最後の方に記されているさっちゃんの夢(沢の集中山行ですね)が叶うことはありませんでした。沢中ビバークの沢登りはその後さっちゃんと数多く行きましたけれどね。
この前年からだったでしょうか? 僕とさっちゃんはこの山岳会のリーダー、サブリーダーになりました。そして、月に1度のペースで会山行を計画・実行しました。この鷹取山もそうです。