さっちゃん 空を飛ぶ

認知症で要介護5の妻との楽しい日常を 日記に書き留めたいと思います

さっちゃんは写真仲間の家でのカレーパーティーに招かれました

2023-02-02 23:50:26 | さっちゃんの山日記 1988年

2023年1月23日(月)、部屋の片付けをしていると、さっちゃんの山日記が見つかりました。1988年のおよそ半年分です。さっちゃんが山行記録をメモ程度に書き残していたり、日記のように書いていたことがあることは知っていましたが、こうやって改めて見つかりましたから、元気だったころのさっちゃんを知ってもらうためにも、公開しようと思います。(青字は僕の書き加えた文章です。人名等は書き替えています)

 

1988年2月7日(日)

自分のHR会の仲間であるY岸さんの家でインド式カレーパーティーによばれる。

 

2023.02.02 追記

さっちゃんは山岳写真家の故・U田氏が主宰する山岳写真愛好グループ・HR会に所属していました。主にヒマラヤの山々がメインでしたが、日本やヨーロッパの山の写真も幅広く撮影しているグループでした。多くのメンバーはそれなりの大型カメラと安定した三脚を据えて撮影していたようですが、さっちゃんは35mmカメラを手持ちで撮影することが多かったと思います。何故かと言うと、さっちゃんはネパールでのトレッキング中での写真もありますが、それ以上に日本国内での沢登りや岩登り中の写真が多かったからです。さっちゃんの写真は水平が保たれていなかったり、ピンが甘かったりする欠点はあったようですが、他のメンバーでは撮ることの出来ない希少性がU田氏からは評価されていたようです。我が家にはさっちゃんのHR会写真展で展示された大きな写真が何枚か飾ってあります。剱岳三ノ窓雪渓、剱岳八峰上部岩峰、マッターホルン山頂から眺めたヴァイスホルン(かな?)の写真などです。

ですから、HR会メンバーはインドやネパール料理に精通している人も多かったのです。この時はどうだったかは覚えていませんが、僕も一緒に招かれたことがありました。本格的料理で美味しかったです。今から思えば、インドカレーと言うよりはネパール寄りのカレーだったように思います。

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さっちゃんは鷹取山での岩トレのサブリーダーです。そして、月報へのルポも書きました

2023-01-31 23:53:35 | さっちゃんの山日記 1988年

2023年1月23日(月)、部屋の片付けをしていると、さっちゃんの山日記が見つかりました。1988年のおよそ半年分です。さっちゃんが山行記録をメモ程度に書き残していたり、日記のように書いていたことがあることは知っていましたが、こうやって改めて見つかりましたから、元気だったころのさっちゃんを知ってもらうためにも、公開しようと思います。(青字は僕の書き加えた文章です。人名等は書き替えています)

 

1988年1月31日(日) 鷹取山 (当時所属していた山岳会の月報より)

大草原をめざそう!

 珍しくゆっくりした集合時間でのんびりした気分で出かける。

 一年ぶりの鷹取山ゲレンデであるが朝から天気も上々だし、追浜の高級住宅地の朝を、住みなれたわが街のようにリッチな気分にひたりながら、前方に要塞のようにそびえる鷹取山へといつもの顔ぶれのみんなと勝手なことを言い合いながら西友ストアに到着。ここで本日の食料を買い込む。午前10時をすぎるとさすがにゲレンデも朝のトレーニングがあちらこちらで始まっている。しかし、鷹取山は砂岩の岩場なので、他のゲレンデに比べてザイルサラダになるような混み方はしない。

 我々は予定通りのメニューで、まず足慣らしにと15メートルⅢ級ルートジェードル15メートルⅣ級ルートにトップロープをセット。いずれも参加者にセットしてもらい、リーダーがOKを出すまで何度もやり直す。少々時間はかかっても、自分でやってみるのがいちばん覚える。それぞれ苦労しながらやっと完了し、それぞれ同じルートを確保と登りを交互に繰り返すうち、天気のせいか気分のせいか、暑くて自分はとうとう半袖姿になってしまった。一月の終わりだというのにこの陽気はなんなのだ! というもののゲレンデ遊びには最高である。

 珍しい人、Fさんに会う。何年ぶりだろう? 相変わらず見事な登りである。知っている人、どこかで逢ったような人に出会ったり、苦労しながら登るのを下から見てて、ああでもないこうでもないと無責任なヤジをとばしたり、励ましたりワイワイ、ガヤガヤ。これがゲレンデの楽しいところなのかもしれない。

 弓形クラックと称する15メートルⅤ級ルートはレイバックの登り方で挑戦。上部は細かいフェースでかなりのバランスを要する。何度も苦戦しながらも全員クリヤー。but one。最後にリーダーとサブリーダーの好奇心の目が誰も取り付いていない他のパーティーのザイルの下がっているところに・・・・・・・・。結局、ザイルの持ち主を探して許可をもらい、ぶらさがらせて(?)もらう。そろそろパワー切れの腕にはやはり難しい。また鷹取山に来るチャンスがあれば、最初にチャレンジしたいところだ。

 そろそろ腕もパンプアップしたころには鷹取山にも夕暮れが迫り、毎度のことながら我々は残り少ないグループのひとつであった。日頃の行ないの良い者ばかりの集まりかどうかは知らないが、冬の木枯らしは我々のそばから一日中遠のいてくれ、代わりにポカポカ陽気を与えてくれ、快い疲れを残してくれた。

 それにしてもみんなよく頑張るなぁ! と感心したり、彼等を見てると、自分が岩沢はじめたころのことを思い出させてくれる。沢シーズン到来も間近。本番にジャンジャン挑戦して力を付けて欲しいなあと(自分が言える立場ではないが)願わずにはいられない。ということは。―――本音をはくと、少しは長い沢、ワンビバークとか、同じ流域のやさしい沢をあっちゃこっちゃから入谷し、大草原のようなところにヒョッコリ現われてご対面。こういう沢山行を何パーティーもで出来たらよいなぁ~と思うのでありまぁ~す。(夢だけで終わらせたくない)みなさん! 一緒にトレーニングに励みましょう! よね。

 と、言うことでして、それから我々は街の灯りがチラチラと輝きはじめた追浜の町へ吸い寄せられるように急いだのでした。    (さっちゃん記)

(参加者)L○○(僕の姓)、SLさっちゃん、A立、K子、K島、U田 (計6名)

交通費 1420   食事(昼)400 (夕)2500

 

2023.01.31 追記

鷹取山は神奈川県横須賀市と逗子市の境にあるゲレンデです。もともと石切り場だった場所で岩登りの練習をし始めたもので、すべてがほぼ垂直です。軟らかい砂岩にあけられた穴をホールドに登りますから、腕に強い負荷がかかります。

以前所属していた山岳会はハイキング中心の会でした。一応、オールラウンドの山行を標榜していましたから、少数ながら岩や沢をするメンバーもいました。しかし、岩沢メインの会員は僕のお師匠さん(ザイルパートナーを組んでいる二人です)くらいしかいませんでした。そのお師匠さんに続いて、僕とさっちゃんが岩沢メインの山行をする会員になったのです。会員数が300名を超えていましたから、岩沢を時々はやるメンバーも10名以上はいたという訳です。

ですから、最後の方に記されているさっちゃんの夢(沢の集中山行ですね)が叶うことはありませんでした。沢中ビバークの沢登りはその後さっちゃんと数多く行きましたけれどね。

この前年からだったでしょうか? 僕とさっちゃんはこの山岳会のリーダー、サブリーダーになりました。そして、月に1度のペースで会山行を計画・実行しました。この鷹取山もそうです。

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天覧山での岩トレもこの日からしばらくお休みです

2023-01-30 23:39:02 | さっちゃんの山日記 1988年

2023年1月23日(月)、部屋の片付けをしていると、さっちゃんの山日記が見つかりました。1988年のおよそ半年分です。さっちゃんが山行記録をメモ程度に書き残していたり、日記のように書いていたことがあることは知っていましたが、こうやって改めて見つかりましたから、元気だったころのさっちゃんを知ってもらうためにも、公開しようと思います。(青字は僕の書き加えた文章です。人名等は書き替えています)

 

1988年1月24日(日) 天覧山岩トレ

○○(僕の姓)、A立、さっちゃん、(以下、現地にて出会う)K島、A部

またまた天覧山に遊びに行った。今年は雪の状態もいまいち。氷はダメ。天候不順、北風の寒い日は天覧は意外と暖か。

トラバースをしたり、3段ハングをやってみたり、のんびりと遊ぶ。下部の岩場の方で見たようなヘルメットと声、A部・K島ペアと出遭う。もちろん帰りはみんなでタケダにて一杯。今日もよく遊んだものだ。

3段ハング、やはり前回と同じく1段目を越え、2段目はタッチのみ。手を伸ばして精一杯で、岩を抱く感じで余裕なし。

交通費 700    昼食 790  夕食 3000

 

2023.01.30 追記

「氷はダメ」と言うのは、アイスクライミングも少しだけしていたので、滝が完全凍結していないということ。当時はまず西丹沢の沢で日帰りで練習し、身体を慣らしてから、三つ峠周辺や奥秩父や八ヶ岳の沢に遠出するパターンでした。この頃から地球温暖化の影響でしょうか、西丹沢の滝が完全凍結しなくなり、西丹沢ではなかなかアイスクライミングが出来なくなったのです。アイスクライミングにはそれほど熱中していませんでしたから、とりあえず日帰りでの練習から始めたかったんですね。

天覧山でのトラバースはトラバース岩でのことです。当時は最下部岩場でのトラバースはしていませんでした。今、YYDの仲間と練習しているトラバース岩でのトラバースですが、トラバースの中でも一番易しいノーマルルートをやっています。さっちゃんは身長が低いのでこのノーマルルートは出来ません。足が届かないからです。それで、さっちゃんはノーマルルートより一段低い場所をトラバースするセカンドルートをやっているんです。ノーマルルートよりもワングレードほど難しくなります。

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天覧山の3段ハングにこの日もチャレンジしました

2023-01-28 11:52:46 | さっちゃんの山日記 1988年

2023年1月23日(月)、部屋の片付けをしていると、さっちゃんの山日記が見つかりました。1988年のおよそ半年分です。さっちゃんが山行記録をメモ程度に書き残していたり、日記のように書いていたことがあることは知っていましたが、こうやって改めて見つかりましたから、元気だったころのさっちゃんを知ってもらうためにも、公開しようと思います。(青字は僕の書き加えた文章です。人名等は書き替えています)

 

1988年1月17日(日) 天覧山岩トレ

天覧山 ○○(僕の姓)、A立、さっちゃん

前回にひき続き、3段ハングに挑戦。前回は思いがけず、1段目に立つことが出来た。しかし、今日は駄目だろうと思っていたが、同じく1段目に立ち、2段目に左足をかけるところまでいく。

3段ハングの右のハングも前回より手が上に届いた。

午後から雲も出て、少し肌寒い一日であった。

天覧でもかなりのベテラン達が大勢いた。3段ハングは女性では4人は完登しているとのこと。

交通費 700   食費(1日分) 2700

 

2023.01.28 追記

3段ハングの女性完登者(トップロープで)について教えてくれたのは、天覧山の主(ぬし)ことM田さんの言でしょう。彼はこの当時、毎日天覧山に居続ける人でした。クライミングシューズは履かずに、裸足でどこでも登っていました。3段ハングもソロで登り、クライムダウンしていました。教え好きな人で、それを嫌う人もいましたが、僕は多くのことを彼から教えてもらいました。

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雲仙スラブの翌日は、天覧山

2023-01-26 23:59:33 | さっちゃんの山日記 1988年

2023年1月23日(月)、部屋の片付けをしていると、さっちゃんの山日記が見つかりました。1988年のおよそ半年分です。さっちゃんが山行記録をメモ程度に書き残していたり、日記のように書いていたことがあることは知っていましたが、こうやって改めて見つかりましたから、元気だったころのさっちゃんを知ってもらうためにも、公開しようと思います。(青字は僕の書き加えた文章です。人名等は書き替えています)

 

1988年1月10日(日) 天覧山岩トレ

I川リーダーの会山行。M田(SL)、○○(僕の姓)、K子、さっちゃん、Y井

大ハング(以下、3段ハングと書き替えます)に挑戦。一段目に立つ(初)。二段目タッチ。1月とは思えないポカポカ陽気。4時ころまで遊ぶ。

いつものタケダにて新年会をかねて打上げ。おばあさん(タケダの女将さん)も元気。椿の花を二枝もらう。10時半ころ帰宅。もう少し早く帰れるようにした方がよいのでは・・・・

交通費 700   食費一式(昼夜) 2000

 

2023.01.25 追記

3段ハングのダイレクトルートは5.11b(5.11dとも言われていますが)、大雑把に言うと1段目が5.9、2段目が5.10、核心部は3段目です。僕たちはもちろんトップロープで登っています。

タケダは当時僕たちが打上げで活用させてもらっていた食堂です。その後、高齢のためでしょうか、お店は閉められてしまいました。

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1988年、最初の山行は、雲仙スラブでの岩トレでした

2023-01-24 15:54:22 | さっちゃんの山日記 1988年

2023年1月23日(月)、部屋の片付けをしていると、さっちゃんの山日記が見つかりました。1988年のおよそ半年分です。さっちゃんが山行記録をメモ程度に書き残していたり、日記のように書いていたことがあることは知っていましたが、こうやって改めて見つかりましたから、元気だったころのさっちゃんを知ってもらうためにも、公開しようと思います。(青字は僕の書き加えた文章です。人名等は書き替えています)

 

1988年1月9日(土) 鳩ノ巣のゲレンデ(初見)

初岩登り    僕、T沢、さっちゃん

今年はじめての岩登りは鳩ノ巣渓谷の中にある岩場だ。駅からすぐで、橋の下、北面で全く陽があたらず寒い。しかし、この日はそれほど風も冷たくなかった。

フェースはスラブぎみでこまかく、むつかしい。ピンが上部には全くないため、○○(僕の姓)、トップロープをとるため上部へと出ようとするが、この巻きもなかなか困難を要したようである。

まずT沢君、○○(僕の姓)、そしてさっちゃん、どういうわけだか1回目は自分が最高到達点へ。2回目は3人とも上部へ。しかし、さっちゃん上部で手こずる。5.9 or 5.10はあるとのこと。ピンがもっとあればリードも可能かも。今後楽しめるゲレンデのようだ。

交通費 フリーキップ 1300    食事(朝昼夕) 3000

 

2023.01.24 追記

この岩場は鳩ノ巣渓谷の雲仙橋の下に見える谷底の岩場で、この少し前に発表されたところ。通称、雲仙スラブ。下に、そのトポを載せておきます。

▲『新版 関東の岩場』(クライミングジャーナル編集部編 平成元年発行 白山書房)より

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さっちゃんの山日記が見つかりました

2023-01-23 18:47:10 | さっちゃんの山日記 1988年

2023年1月23日(月)、部屋の片付けをしていると、さっちゃんの山日記が見つかりました。1988年のおよそ半年分です。さっちゃんが山行記録をメモ程度に書き残していたり、日記のように書いていたことがあることは知っていましたが、こうやって改めて見つかりましたから、元気だったころのさっちゃんを知ってもらうためにも、公開しようと思います。

 

1987年12月25日(金)~1988年1月2日にかけて

同志7人で北インドのさわりの部分を旅行してきた。1度くらいはぜひ訪れてみたい大国であった。今まで話には何度も出たが、なかなか実行するまでに至らず、突然11月の初めころ話が具体化し、T桑夫婦、Y岸夫婦、K島氏、T橋さん、それに自分の七人の侍ならぬ、いろとりどりの参加者となり、エアーオンリーで出発したのである。(詳しいことは別記)

昨年はネパールの山、今年はインド旅行と2年つづきの海外脱出で新年を迎えた。贅沢な年のはじまりとも言える。

昨年の山行は、沢23回、岩(ゲレンデ含む)22回、尾根5回、と総数にして50回・62日の山行記録であった。よくやったものである。無事故で。

年々、気持ちとはうらはらに、歳とともに体力の消耗は隠せないだろう(実際は落ちている様子はないと本人は思っているのだが・・・・)。しかし、無理をせず、人に迷惑をかけず、おおいに意欲的に、また今年も山行をやっていきたいと思う。

最良のパートナーである○○○○(僕の姓名)にも手伝ってもらいながら・・・・

 

※山行において、参加することはあくまで自分の意志である。決して人からおし進められたり、無理して参加することはない。たとえ、事故発生した時も決して他人を恨むことは絶対ゆるせない。これも運命なのだから。

 

安全登山 第一に!    1988年1月 年頭において

 

2023.01.23 追記

最後の※印の文章はさっちゃんの身内(妹弟)に向けた言葉だと思います。あくまでも自分の意志で行なったことだから同行の山仲間には責任はないことを明確にしておきたかったのでしょう。

この頃の僕とさっちゃんの関係ですが、まだ入籍はずっと先のことです。確か、さっちゃんが僕の自宅の隣り町に引っ越して来て、ほぼ同棲状態だったと思います。

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