さっちゃん 空を飛ぶ

認知症で要介護5の妻との楽しい日常を 日記に書き留めたいと思います

12月、2回目のリモート面会へ行って来ました

2021-12-24 23:41:10 | 大腿骨転子部骨折
一昨日、A病院から電話がかかって来て、リモート面会が月1回から2回に規則変更されたことを知りました。
早速、今日は12月2回目のリモート面会に行って来ました。
天気も良く、風もありませんから、自転車で行きます。

病院で先月分の入院費の支払いを済ませ、少し早くリモート面会する部屋の前に行くと、すぐに部屋に通されました。
前の方たちも早く終わったようなんですね。
早くと言っても、予定では2時20分からだったのですが、2時15分と、5分早まっただけなんですけどね。

さっちゃんの姿が画面上に現われました。
さほど変化はないようです。
相変わらず目は閉じていて、寝てはいないようですが、覚醒レベルは低いのかな?
でも、車椅子に座っているような雰囲気ですね。

さっそく、さっちゃんに声を掛けます。
「さっちゃ~ん 目を開けてごら~ん」
「さっちゃ~ん こっちを見てごら~ん」

ちょっとうつむくと、
「さっちゃ~ん 顔を上げるんだよ」
ちょっと目を開けると、
「あっ、目が開いた。こっち見て~ さっちゃ~ん」
「あれ、もう閉じちゃった。目を開けてごら~ん」


僕は何度も何度も同じ言葉を掛け続けます。
さっちゃんはほとんど目を閉じっ放し。
一瞬開けても、すぐに閉じてしまいます。

「さっちゃ~ん ご飯食べてる~?」
「さっちゃ~ん よく寝てる~?」
「さっちゃ~ん リハビリ頑張ってる~?」
「さっちゃ~ん 自分で立てるの~?」

いろんなことを聞きます。
でも、返事はありません。


▲14:19。目を開ける時間が短いので、目が開いた写真は撮ることが出来ませんでした。髪が綺麗に梳かれていますね。

さっちゃんはリモート面会用の画面の存在を意識できていないんだと、僕は感じています。
その画面自体を注視することがないんだと思っています。
ですから、15分間の間ずうっと声を掛け続けるんです。
さっちゃんはその呼びかけにも意識が向いていないように思います。
でも、根気強く続けるしかありません。
前回のように、「はい」と返事をしてくれることがあるかもしれません。
画面に意識が向いて、誰だか男の人が映ってるなと思う瞬間があるかもしれません。
声に気付いて「さっちゃ~ん」と何度も言ってることに気付くかもしれません。
「さっちゃ~ん」が自分の名前だとは思わないかもしれませんが。

15分間で、目を開けていたのはトータルで20~30秒くらいだったと思います。
口をもにゃもにゃと動かして、何か喋っていたようなこともありましたが、これもトータルで10秒くらいだったでしょうか。
こんな感じで今日のリモート面会は終了しました。
後半にはさっちゃんのそばに居るリモート面会担当の女性が、さっちゃんの肩をポンポンと叩いたり擦ったりしてくださいました。
余りにも目を開けず、画面を見ず、僕に反応しないさっちゃんを起こして気持ちを僕に向けさせようとしてくださったのでしょう。
でも、そんなことくらいではさっちゃんは変わりません。


この日、リモート面会終了後、担当看護師が僕と話がしたいということで、面会室の外で待っていました。
男性看護師が来て、「さっちゃんの上の入れ歯が下顎の歯茎にぶつかって出血することがあるので、
歯医者に診てもらいたいのですが、いいでしょうか?」
と聞かれました。
当然、返答は「イエス」ですよね。
A病院の中には歯科もあるんだそうです。

僕はこの機会を利用して、さっちゃんのリハビリの様子について聞こうとしました。
でも、看護師さんは「私は看護師ですから」と、分からないとだけ言います。
それでもいろいろ聞くと、まだ自力では立てないようですね。
手を取ってなら立つことが出来るのでしょう。
僕がさっちゃんのリハビリの手伝いが出来ればどれだけ嬉しいでしょう!
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リモート面会の規則が変わりました! 月1回だったのが2回になりました。それでも辛いことには変わりありませんが、一歩前進です

2021-12-22 22:12:16 | 大腿骨転子部骨折
今日の11時55分、A病院から電話が入りました。
先日、リモート面会について意見を交わした男性職員からです。
医師や看護師ではありませんから、不安感は抱きませんでしたが、「いったい何だろう?」と思いました。
ひょっとしたらリモート面会についてかな? とチラッと期待が過ぎりました。

その期待は的中し、「リモート面会が月2回まで許されることになりました」と言います。
それで、「今週の金曜日にまだ1枠空いているので、予約しますか?」と聞くんです。
僕は一瞬、困ってしまいました。
金曜日はY山さんの計画で天覧山で岩トレすることになっていたからです。
「金曜日は所用が入っていまして、自分で自由にならないものですから。
その次の週の31日の金曜日はどうなんですか?」
と答えました。
男性職員は「31日は病院がお休みなんですよ」と、残念そうに言います。

この電話で、来月1月7日のリモート面会の予約もしました。
その後もリモート面会の更なる改正案などを話して、10分余電話で話していました。
最後に「月2回でもまだまだですけれど、増やしてくださって有難うございます」と言って、電話を切りました。

電話を切った瞬間から、僕は
「え~え! 金曜日、面会できないの!」
「Y山さんとの約束だから、やっぱり面会には行けないよな」
「でも、せっかく会えるチャンスなのに会わないってないよな!」

などと、心の中で叫びまくっていました。

続いて、少し冷静になって考えると、「そうだ。岩トレの日を変更してもらえばいいんだ」と気付きます。
Y山さんにメールしました。
「もし可能ならばでいいのですが、金曜日の岩トレを
23日(木)、25日(土)、26日(日)、27日(月)、28日(火)とかのどれかに変更できませんか?」

Y山さんは上記の日には予定が入っているそうです。
そして、このように言ってくださいました。
「中止でも大丈夫ですよ。遠慮なく言ってください」と。
僕の方の事情はまだ教えていなかったのに、ここまで言ってくれたY山さんに感謝ですね。
金曜日の天覧山は中止にしてもらって、24日にリモート面会の予約を入れることにしました。

12時29分に電話すると、男性職員は外出中でした。
1時2分、その男性職員から電話が入り、24日の予約が正式に取れました。
嬉しい!

僕は病院側がリモート面会の規則変更について考えてくれていることには疑いを抱いていました。
まあ、ちょっとぐらいは議題に上がったのかもしれないけれど、規則変更に踏み切るころにはコロナ禍も終焉してるんだろうなと、皮肉っぽく考えていました。
でも、患者の家族の気持ちに心寄せて考えてくださっていたんですね。
感謝です。
もちろん、月に1回が2回になっただけです。
患者や家族にとって残酷・非情な状況であることには変わりありません。
ただ、1回が2回になった、そんな些細な前進が今日はとっても嬉しく思えて仕方がないのです。
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担当医師から電話があって、さっちゃんの現況説明がありました

2021-12-21 19:00:58 | 大腿骨転子部骨折
本来ならこの記録は昨日の夜書くはずでした。
でも夕食後、ちょっとだけと思って布団に横になると、そのまま眠り込んでしまいました。
日曜日の山歩きの疲れが残っていたのでしょう。
目が覚めたら、夜中の1時を過ぎていました。

月曜日の2時15分、「A病院の医師Bですけれど、さっちゃんの旦那さんですか?」と、電話がかかって来ました。
一瞬、僕は嫌な想像を巡らせました。
ただ、B医師は淡々と「手術から2週間経過しましたので、さっちゃんの病状などを説明します」と続けます。
すぐに僕はホッとしました。
(後で入院診療計画書を確認すると、手術後2週間目「医師よりご家族へ病状、退院のめどの説明をします」とありました)

以下、B医師の説明です。
・体調は問題ありません。特に熱を出したりとかも。
・食事にムラがありますね。まったく食べない日もあれば、8割以上食べる日もあります。
・水分補給のために点滴をしていたことはありますが、最近はしていません。
・抜糸もしました。レントゲン検査でも順調です。貧血もありませんし。
・血液検査でも問題はありません。
・ただ炎症が少しあるようです。女性ならではの尿路〇〇(聞き取れず)かもしれません。(検査中のようです)
・リハビリですが、まだ自力では立てません。平行棒を使って立ったり、ベッドサイドに座ったり。
・怪我する前はしっかりと歩かれていたようですから、リハビリの目標もそのことを考慮しなければ。
・日常に関して、目をつむっていることが多いですね。
・リハビリ病棟のベッドが空き次第、そちらへ移る予定です。
・退院の目途についてですが、個人によって目標も違いますし、今後の動向も不明ですから、現段階ではまったく分かりません。


とのことでした。
7分間の説明でした。
リハビリに関して、「手を取ってでもどんどん立たせて、歩かせてやってください」と僕がお願いすると、
B医師は、ちょっと冷ややかな感じで「皆さんそう言われるんですよね」とおっしゃいます。
まあ、家族の願い通りにはなかなかいかないということは理解できますけれど、そんなにシニックに返事しなくてもいいのに。
「そうですね。リハビリ頑張って欲しいですね」くらい言ってくれてもいいのにな、と思いました。


さっちゃんが入院する前は、何かと用事があって、日々忙しく過ごしていました。
さっちゃんが家に居なくなると、実に暇です。
もちろん、暇と言ってもやることはたくさんあるのですが、気分的には本当に暇です。
何か仕事を見つけて働こうかなとも考えますが、さっちゃんの今後の予定が立ちませんから、それも出来ません。
家事の他には、さっちゃんと二人でいつも歩いていた散歩を一人になっても続けています。
昨日も散歩しました。


▲16:05。今は日没が16時半くらいです。この時刻になると、近くの丘陵に陽が沈んでいきます。


▲16:11。基本周回コースのここが道が河川敷に入る箇所です。ちょっとだけ河川敷の中を通って、左の土手の道に出て来るんです。

今日もまだ明るい時間帯に散歩しました。
基本周回コースを30分かけて歩きました。
さっちゃんとなら40分かかっていましたね。
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リモート面会が月に1回のみ、たったの15分間というのはあまりにも残酷

2021-12-18 22:31:59 | 大腿骨転子部骨折
コロナ禍ですから、さっちゃんとの面会は出来ません。
それは仕方ありません。
携帯電話に関しては各階に携帯電話コーナーを設けているということですから、利用できるようです。
インターネット接続環境は整えていないとのことですが、病室でメールやインターネットを利用しても構わないとされています。
つまり、スマホを使える患者さんなら電話もメールも、テレビ電話ですら可能だということのようです。
いま時ですから、多くの方がそのような方法で面会不可能な入院生活の寂しさを回避されているのでしょう。

でも、そういうことが出来る方ばかりではありません。
高齢者でスマホ等を扱えない方もおられますよね。
認知症の方なら尚更でしょう。
さっちゃんも当然使うことなんて出来っこありません。
病院側でもそういう方のためにリモート面会という方策を用意してくださっています。
12月3日に僕は初めてリモート面会してきました。
その時の様子は当日のブログに書いています。
今日、A病院で初めてのリモート面会をして来ました


この時は前日の木曜日に天覧山から電話をして予約を取りました。
何故なら、病院の方と電話でだか直接だったかは忘れましたが、
「前日の2時ころに電話をして、まだ予約枠が残っていれば面会できますよ」と聞いたからです。
さっちゃんの病棟のリモート面会の枠は金曜日に4枠あって、予約は木曜日の3時までと言うことになっているからです。
前日の予約締切ギリギリに電話して、枠が空いていれば大丈夫なんだ、そんな意識が強過ぎて、わざわざ天覧山から電話をしたんです。
冷静に考えれば、12月には1度もリモート面会していないわけですから、もっと早く家から予約の電話を入れても良かったんですよね。
しかも、天覧山から「予約枠はあと幾つ残っていますか?」とまで聞いています。
その時は4枠中2枠残っていました。

ところが、12月9日の木曜日、午後2時22分に電話すると、
「申し訳ございませんが、すでに1回リモート面会されていますよね」と言われました。
僕は「はい、先週させていただきました。
ただ、病院の方から、面会の枠が空いていれば大丈夫ですよ、と言われたものですから」
と伝えます。
「それは誰に言われました?」と聞かれましたが、僕にそんなことは分かりませんよね。
僕は言いました。
「妻は認知症で、スマホも持っていませんし、使えません。失語症でもありますから、話すことも出来ません」
「せめて画面ごしにでも、妻の顔を見て、妻に僕の顔を見てもらって、それだけが出来ることなんです」


応対してくださった男性職員の方は「そのお気持ちは重々お察し出来るのですが、なにぶん規則なものですから」と言います。
「規則が必要なことは理解できます。でも、リモート面会制度を作ってくださった病院側のお気持ちを推測するに、
せめて4枠分は面会可能にしてくださっても」
と、僕は言いました。
「リモート面会の埋まらなかった枠の時間は、別の仕事が職員には出来ますし」と男性職員は続けます。
「確かにそうでしょう。お忙しいのは分かります。
でも、この制度を決めた際に4枠分が埋まって、担当者がその仕事をするということであったはずです。
ですから、マンパワー的には4枠埋まっても大丈夫なように考えておられたはずでしょう?」

「う~ん。そうなんですけどね。規則ですから」と言います。
「では、その規則変更を検討してくださいませんか?」と僕は言いました。

文字に起こして書くと、二人が喧嘩をしているような、激しくぶつかっているような印象になりますけれど、決してそんなんじゃありません。
僕も出来る限り柔らかな口調で喋ってますし、男性職員の方も僕の気持ちはよく理解してくださっているのです。
彼としても、心情的には辛いけれど、「規則だから」と言わざるを得ないのでしょう。
男性職員の方は「病院としてどう対応するか検討してみます」と、おっしゃってはくれました。
14分間の長電話でした。

そして、一昨日の12月16日の木曜日、天覧山から早く帰って来た僕は2時43分にA病院に電話しました。
もちろん、翌日金曜日のリモート面会予約のためです。
リモート面会予約担当の部署の方とひと通り話をし、予約できそうな雰囲気で進行しました。
4枠ある内のどの時間枠にするかを決める際に、「明日は何枠決まっているのですか?」と聞くと、1枠だけのようです。
僕はその予約されている方がどの時間枠なのかを確認して、最後の時間の枠でしたから、その直前の枠をお願いしました。
リモート面会を担当される方がバラバラよりも2枠続けてあった方がいいだろうと思ったからです。

僕は内心、「気付かれずにうまくいきそうだな」と思っていました。
でも、電話している担当者の方が「ちょっと待ってくださいよ」と席を外し、何やら調べに行ったようで、不安になりました。
予感は的中し、「今月1度面会されていますよね」と言われました。
また、前の週と同じことの繰り返しです。
金曜日の4枠が1枠しか埋まっていないのに断られるなんて、なんて残酷な仕打ちなんでしょうか!

僕は訴えました。
「コロナ禍でなければ、毎日でも面会に行ってると思います。
それが月に1回、しかも画面越しでたったの15分間だけなんて、こんな状況、苦痛でしかありません」

二人で電話越しの話をするうちに、互いに話している相手が前の週の相手と同じだということが分かって来ました。
それで、その男性職員は「病院でもその件は検討を進めていますから」と言うのですが、まだ情報を集めている段階のようです。
僕としては、そんなにのんびりと構えられても困ります。
そんなにきついことは言いませんでしたけれど、僕からのお願いはしっかりと伝えました。
「何か決まったら連絡を差し上げますから」と言ってはくださるのですが、どうでしょうね。
何か前向きな方向で決まるでしょうかね?

何時まで話し合っても、ずっと並行線のまま。
僕があらゆる言葉で、「リモートは月に1回、たったの15分間の面会」とその非情さを訴えても、規則の前には無力です。
その規則変更を検討しますとは言ってくれるのですが、何時になることやら。
今月中にでも至急に規則変更して欲しいのに。

電話の最後で、その男性職員はさっちゃんの病棟に電話を繋げてくれました。
ナースステーションに繋げてくれたんだと思います。
さっちゃんを担当してくださっている看護師さんが応対してくれました。
病状について問うことは禁止されていますから、少しだけ質問しました。
「リハビリは始めていると思いますけれど、もう立つことは出来ましたか?」
まだ立てないようですね。
寝たままの状態で、脚を動かしたりしているのでしょう。
「笑顔を浮かべたりすることありますか?」
こんな質問には「あまり話されないので・・・・」との返答。
笑顔を浮かべることと話す話さないこととは別なんですけれどね。
これくらいしか聞けませんでした。
リハビリは順調なんでしょうかね?
リハビリが進むと、今いる病棟からリハビリ病棟へ移るんだそうです。
早くそうなって欲しいものです。
ここまでで27分間も電話していました。


今日、テレビでAIが「ハピネス」を唄っていました。
僕もどこかで聞き覚えのあるメロディーでした。
その曲を聞きながら涙ぐんでしまいました。
本当に最近は涙腺が緩い。
「君が笑えば この世界中に もっと もっと 幸せが広がる」という歌詞が繰り返し現われます。
さっちゃんの笑顔を思い浮かべながら歌を聞いていました。
リモート面会だって、さっちゃんの笑顔が見たいだけなのに・・・・
こんなこと書きながら、涙が溢れ、鼻水も流れます。
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さっちゃんの手術は無事終了しました。そして術後、15分間の面会を病室のベッドで許されました

2021-12-06 23:00:03 | 大腿骨転子部骨折
今日10時49分、僕はA病院に電話を入れました。
さっちゃんの今日の手術が予定通り行なわれるかどうかを確認するためです。
日曜日の血液検査の結果が芳しいものでなかったら、延期される可能性もあったからです。
結果は予定通りの実施。

手術は1時半からの予定ですから、病院へは1時くらいに着きたいなと思っていました。
ただ、先週確認したところ、「そんなに早く来なくても、ギリギリでも大丈夫」と言われました。
ですから、1時15分ころに病院に到着するようにしました。
午後にはにわか雨が降る可能性もあるとのことで、自転車ではなく電車で行くことにしたのです。

病院の裏側の副玄関から入り、防災センターで手の消毒と体温測定をします。
僕の顔を覚えられていたせいなのか、何の書類も書かずに通してくれました。
(その書類はナースステーションで書くことになりましたが)
4階のナースステーションの前で待ちます。

1時半、さっちゃんがベッドに乗って病室から出て来ました。
僕はまだそばに寄ることは出来ません。
さっちゃんの運ばれて行くベッドから10mほど離れた場所で見送りました。
看護師さんが「さっちゃん、目を開けて。ご主人が来てくれてるよ」と言ってくれます。
さっちゃんの頭の位置が何となく分かる程度ですが、僕はさっちゃんに向かって呼びかけ、手を振ります。
でも、さっちゃんは目をつむったままのようです。

さっちゃんは2階の手術室へ行き、僕は4階のフロアで待つことになりました。
2時50分、看護師さんから呼ばれて、僕は2階の手術室隣りの待合室に案内されました。
そこで、医師からレントゲン写真を見せられ、手術が予定通り無事に終了したことを告げられました。

しばらくその待合室で待っていると、3時3分、さっちゃんのベッドが手術室から出て来ました。
さっちゃんは静かに目を閉じていました。
さっちゃんと僕とはそれぞれ別のエレベーターで4階に行きます。
4階のフロアで少し待っていると、看護師さんが僕を呼び、さっちゃんの病室まで連れて行ってくれました。
4人部屋の窓側のベッドです。

看護師さんは僕を案内してくれると、すぐにその場から離れて行きました。
1週間ぶりの僕とさっちゃん、二人だけの空間です。
僕はさっちゃんの額から髪の毛へと何度も何度も撫ぜてあげます。
「さっちゃん、僕だよ」
そう言っても、さっちゃんは目を閉じて静かなまま。
「さっちゃん、よく頑張ったね。大丈夫?」
頭をずっと撫ぜ続け、同じ言葉を繰り返しさっちゃんに投げかけ続けます。
すると、さっちゃんは少しずつ反応してくれるようになりました。
小さな声で、何やら喋ってくれます。
そして、目も開けてくれました。
でも、またすぐに閉じてしまいます。
ちょっとだけ薄っすらと目を開けてくれます。
「さっちゃん、よく食べるんだよ」
「さっちゃん、よく寝なさいね」
「さっちゃん、明日からリハビリ頑張ってね」
「さっちゃん、どこか痛くはないの?」

僕はさっちゃんにいろんな言葉を投げかけます。


▲15:15。さっちゃんは目を開けてもすぐに閉じてしまいます。眠たいのでしょうか? 疲れているのでしょうか? 目は閉じていても、何やら小声で喋り続けていました。(いつもは目鼻を消すのですが、この写真では、せっかく目を開けてくれたので)

15分間の面会時間はすぐに終了してしまいます。
毎日、15分間だけでもいいので、こんな風に会わせてくれればいいのに、と思ってしまいます。
さっちゃんは僕のことが分かっていたんでしょうか?

面会終了を告げに来た看護師さんが僕に「マスクはしてくださいね」と言います。
僕はさっちゃんに僕の顔を見せようとマスクを外していたのです。
僕は看護師さんに微笑みながら言いました。
「僕の顔を忘れられたら嫌ですからね」
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さっちゃんの担当医師の先生から話を伺って来ました

2021-12-04 23:18:01 | 大腿骨転子部骨折
幾日前だったか、病院から電話があって、「土曜日の夕方5時に来てください。医師からのお話があります」との連絡を受けました。
明るい時間帯なら自転車で行くのですが、5時からです、日没後です。
自転車では帰りが真っ暗。
多摩川の土手を対抗自転車だけを気にしながらのんびり帰りたいので、自転車では危険です。
土手には街灯が一切ありませんから、新月の今宵は本当の暗黒ですからね。

ですから電車で行きました。
自転車は33分かかりましたが、電車では家から病院まで40分くらいかかりました。

病院のさっちゃんが居る病室のあるフロアに行きました。
ナースステーションで用事を告げ、しばらくするとさっちゃんの担当医師の先生が来られます。
4人掛けのテーブルのある面談室に通され、PC画面を使いながらさっちゃんの状況説明が始まりました。

大雑把に言って、さっちゃんの健康状態にはさほど問題はないようです。
体温は時折37度を越えることはあっても、問題になるほど高熱は発しません。
ただ、血液検査の項目の中でひとつだけ異常に高い数値のがあったそうです。
脱水や骨折によるショックの影響なのか、ある数値(何の数値だかは忘れました)が4桁になっていました。
正常値は2桁なんです。
これは徐々に下がって来ていて、最新の数値では3桁の前半になって来ているそうです。
「順調に下がるでしょう」と言います。

ただ、「肝臓に関する数値が急に上がって、驚いている」と言われました。
あまりにも高い数値なので、明日もう一度血液検査をして、その値を最終確認するそうです。

そして、核心の骨折状況や手術方法の説明です。
骨折名は左大腿骨転子部骨折なんだそうです。
3D映像を見せてもらった時、前の方だけに骨折部が見えていましたから、後ろの方はどうなっているのかも聞いてみました。
すると、「後ろも折れています。のめり込んでいるので、見えないだけです」と言われました。
転子部で大腿骨が上下に折れて分断されているんですね。

手術の方法ですが、2本の金属棒を入れます。
それぞれ2~3cmほど皮膚を切り開けて、骨に穴を開け、金属棒を骨の髄部分に入れるんだそうです。
金属棒の1本は縦に、もう1本は骨折に対して垂直に入れます。
金属棒同士をネジで止めたり、金属棒と骨とを固定したりするわけです。
そして、一部には人工骨も使うようですね。
看護師さんからは骨折に対して垂直に入れる金属棒は2本だと言われたのですが、さっちゃんの場合1本でいいそうです。
2本入れる場合は、骨折がもっと複雑だった場合などなんだとか。

麻酔ですが、てっきり全身麻酔かと思っていましたが、下半身だけのようですね。
麻酔の危険性もあるのは確かですが、自分の左足に何かをされていると感じながら、さっちゃんは平静でおられるでしょうかね?

日曜日の血液検査の結果にもよるんですが、今のところ手術は月曜日の午後1時半からと言うことです。
「手術日には直接面会できると聞いたんですけど」と話しを向けると、
「そうなんですよ。感染状況が落ち着いて来ているので先週(?)から出来るようになったんですよ」とのこと。
後で看護師さんに詳しく聞きしたが、手術前は接触は出来ませんが、すぐ近くから見送れるそうです。
手術後は手も握っていいし、病室にも入れるんだそうです。
本当かな?

まあ、日曜日の血液検査の結果が悪いと、手術予定が先になるかもしれません。
月曜日の昼前に電話して、確認することにしました。
予定通りなら、1時ころに病院へ行って、手術前と後に会えるでしょう。


電車に乗って帰宅すると、夕食の準備です。
準備と言っても今日は温めるだけ。
昨日、ネパール風チキンカレーをたくさん作って、残りをフライパンごと冷蔵庫に入れておいたんです。
カレーライスではなくてカレーなんですが、味が馴染んで来て、昨日よりも美味しく感じました。
フライパンを弱火で熱しながら、クミンシードと鷹の爪をオリーブオイルに溶け込ませるのですが、久し振りに鷹の爪は2本入れてみました。
さっちゃんは辛いのが苦手になっていましたから、せいぜい1本だけで、それも最後にチャツネで甘みを付けたんです。
薄切りにしたタマネギ2個をゆっくりとキツネ色になるまで炒め、
後はニンニク、ショウガ、コリアンダー、カルダモン、ターメリックのそれぞれパウダーをたっぷりと入れます。
続いて、ヨーグルト200gほどをぐるぐる掻き回して液状にし、それも加えます。
ヨーグルトの水分が飛んでしまうまで熱します。
それから、昨日は手羽元800gを投入しました。
さっちゃんがいると、骨付きは面倒なので、使わなかったのです。
その際、塩と胡椒も入れておきます。
エリンギとセロリも一緒に炒めました。
手羽元にある程度熱が入ったら、トマト缶(ホール)を全部入れます。
水は空のトマト缶を洗うのも兼ねて数10cc入れただけ。
昨日はそこへカリフラワー、ジャガイモ、オクラを入れて煮ました。
本だしも少し入れ、最後あたりではガラムマサラも入れてみました。

まあ、全部適当なんですけどね。

というわけで、今日の夕食はネパール風チキンカレーと湯がいたブロッコリーとご飯でした。
そして、スペイン産の赤ワイン。
800円くらいの安ワインなんですけどね。
価格のわりには美味しいんです。
残ったチキンカレーは冷凍することに。


では、今日のことではなく、今週の水曜日のことですが、散歩の写真を載せておきます。
今週の月曜日は救急車や入院でバタバタしていました。
火曜日は病院への往復を自転車で1時間以上漕ぎました。
木曜日は天覧山で、金曜日はリモート面会のため自転車で往復しました。
水曜日は何の運動もしなかったので、夕方、思い立って散歩に行ったのです。
いつもの基本周回コースを歩いて来ました。
さっちゃんは40分くらいで歩きますが、さて僕は。
35分でした。
と言うことは、さっちゃんはけっこぅいいペースで歩いていたんですね。


▲16:19。雲の色合いの美しさや宙に浮かぶ存在感など、写真ではほとんど伝えられませんね。
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今日、A病院で初めてのリモート面会をして来ました

2021-12-03 23:08:04 | 大腿骨転子部骨折
昨日、天覧山からリモート面会の予約を入れました。
さっちゃんが入院している病棟のリモート面会枠は金曜日に4枠あるだけなんです。
天気も良かったですし、僕は自転車でA病院へ向かいました。
30分くらいはかかるだろうと思いましたから、13時37分スタート。
普通に漕いで、14時10分に病院に到着しました。
33分かかるんですね。
電車で行くよりはちょっと早く着きます。

正面玄関からではなく、裏門のような副玄関から入ります。
入るとすぐ右に防災センター、電話でもまずここに寄ってください、と言われました。
そこにいる女性がリモート面会室へ案内してくれました。
と言っても、すぐ隣りなんですけどね。
リモート面会室の前に置かれた椅子に座って待ちます。
面会時間は14時20分からの15分間。

すぐにその時刻になり、事務机の前の椅子に座るよう言われました。
僕のノートパソコンより少し小さく感じるサイズの画面のタブレットのようなのが置かれています。
年配の男性がそれをセットしてくれると、画面にはさっちゃんの顔が映し出されました。

「さ~っちゃ~ん!」と僕は呼びかけます。
画面のさっちゃんは目をつむって寝ているようです。
「さ~っちゃ~ん! 目を開けてごらん」と何度も何度も呼びかけます。
画面からは「さっきは起きていたのにね」と話す女性の声が聞こえます。
僕は間を置かず、「さ~っちゃ~ん! 起きて」「ご飯食べたの?」「元気にしてた?」などと呼びかけ続けます。

口も目も、顔の表情がピクリとも動かなかったさっちゃんですが、途中から口元が動き始めました。
15分間の面会時間の真ん中らへんでは、何やら喋り始め、目も時々開くようになりました。
僕は嬉しくなって、「さ~っちゃ~ん! 目が開いたね。僕だよ。見えてる?」と次々と話しかけます。
そのうち、「元気にしてた?」とか僕が聞くと、「はい」と答えてくれました。
「よく寝てる?」とか「ちゃんと食べてる?」とか「寂しいでしょ?」とかの僕の問いかけに、「はい」と数回答えてくれました。


▲14:29。喋ったり、目を開けたりするだけじゃなく、ときおり笑顔も見せてくれました。

さっちゃんにはどんなふうに僕のことが見えてるんだろうと思いました。
さっちゃんとはほとんど視線を合わせることは出来ません。
時々、さっちゃんは左側を見るので、さっちゃんの隣りにいる係の女性に聞いてみました。
「さっちゃんが時々左側を見るんですが、窓の外をながめてるんですか?」と。
さっちゃんのベッドは窓側だと教えてもらっていましたから。
すると、「済みません。私が左側に居るものですから」との返事。

それをきっかけにして、僕はその係の女性と話し始めました。
「さっちゃんは意味性認知症で失語症ですから、会話が出来ません。
病状についての質問は禁止されていると知っていますけれど、入院生活のことについて聞くことは出来ませんか?」

すると、係の女性は「私は看護師ではないので分からないんですよ」との返答。
「排便はあったんでしょうかね?」と聞いても、
「私は看護師ではないので、分からないのですよ」
と答えます。
「1分でも2分でもいいので、生活状況などについて話してくださる看護師さんは今おられないのですか?」と聞くと、
「看護師さん達いま出払っているようですね」と言います。

係の女性と話すのはそれくらいにして、再びさっちゃんに呼びかけ始めました。
さっちゃんはまた眠っているみたいです。
でも、「さ~っちゃ~ん!」と何度も呼びかけると、何やら喋ったり、目を開いたりはしてくれます。

そろそろ終了時間だというころ、係の女性が次のように言ってくださいました。
「担当の看護師さんがこの後少しだけ下に降りて、さっちゃんのことをお話してくださるそうです」
「そうですか。有難うございます」

僕の願いは聞き入れられたみたいです。

リモート面会は終了し、部屋の外の廊下で待っていると、「さっちゃんの旦那さんですか?」と言って、看護師さんが来てくれました。
そして、入院後排便があったこと、食事を受け付けないことがあることなど、聞きました。
入院患者さんには排便が4日間なかったら、何らかの対策を取ることにしているそうなんです。
でも、さっちゃんは短くても1週間周期とかです。
そのことを伝えましたが、どうなんでしょうね。
食事についても、もともと小食なことや、食べる時と食べない時の違いは僕にも分からないこと等、伝えました。

多忙な中での短い時間でしたけれど、さっちゃんを担当してくださっている看護師さんとお話が出来て、安心しました。
感じのいい優しそうな看護師さんでした。

リモートでしたが、顔も見ることが出来て、声も聞くことが出来て、笑顔も見ましたし、看護師さんとも直接お話が聞けました。
生身のさっちゃんに会えないのはもちろん寂しいですけれど、リモート面会して、ある程度は安心を感じることが出来ました。
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さっちゃんは入院することになりました

2021-11-30 23:57:16 | 大腿骨転子部骨折
トイレの中で、僕は思わずが滲んでしまいました。
それはさっちゃんが浮かべる笑顔を思い出していたからです。
朝、目覚めた時に笑顔を見せてくれることがあります。
テレビの画面を観ていて、僕の方を振り返って笑顔を見せてくれることがあります。
さっちゃんと二人で話をしていて、笑顔を見せてくれることがあります。
僕がお道化た仕草を見せると、笑顔を見せてくれることがあります。
何故だか理由は分かりませんけど、笑顔を見せてくれることがあります。

そんなさっちゃんの笑顔が僕の心を幸せにしてくれていたんだなと思って、僕はが滲んできました。
去年の後半、何ヶ月間かの間、さっちゃんの表情から笑顔が消えた時期がありました。
デイサービスがこしらえてくださった傘寿のお祝いカードに貼り付けてある写真は笑顔の顔ではありませんでした。
その後、笑顔が復活し、どれだけ僕の心が救われたことでしょう。

今日のNHK朝の連続テレビ小説で、ヒロインの安子が赤ん坊のるいをきつく怒るシーンがありました。
その直後、安子は「ご免ね」とるいに必死に謝ります。
るいは赤ん坊ですから、きょとんとしているだけ。
そんな場面を観て、僕は泣けて来てしまいました。
安子の怒る気持ち、安子の謝る気持ちにとても共感してしまったからです。
僕とさっちゃんの姿をだぶらせて観てしまったからです。

さっちゃんと顔を合わせることも出来ない日々が長く続くと、さっちゃんとの関係は一体どうなってしまうんでしょう!?
さっちゃんのあの素晴らしい笑顔が再び消えてしまうかもしれないと思うと、泣けて来てしまいます。

僕はどちらかと言うと、理性的、合理的な人間です。
悪く言えば、冷徹な面があるかと思います。
さっちゃんの今後や、自分自身の将来を考えて、頭の中だけでは酷く打算的なことが浮かんできたりします。
考えるだけのことと、本心や実際に行動することは違うんだ、と自分で自分を弁解したりしますけれど、そんな考えが浮かぶ自分は酷い人間だとも思います。
ある人からは「〇〇さんの得意技の自己中」とまで言われたことがあります。
もちろん憤慨しましたが、こんな要素が少なからずあることも事実だと認めざるを得ません。

ここまでは11月30日の火曜日の昼に書いています。
ここからは先週の土曜日から起きた出来事を順を追って簡潔に記録しておこうと思います。

     *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

土曜日の夕方5時12分、寝室からバタ~~ンという大きな音が響きました。
何事だっ! と、僕はすぐに寝室の戸を開け、中を見ました。
すると、足元にさっちゃんが倒れて呻いています。
さっちゃんが布団から立ち上がって何かに躓いたりして転ぶことは2、3度起きたことはありました。
でも、今回のように呻いているのは初めてです。
顔中に汗を掻いていることも心配でした。
セーターなども着たまま寝ていたからだろうと、自分を納得させました。

とにかく、さっちゃんを抱きかかえて、布団に戻しました。
を打ったんだろうかと、頭を触ってみますが、たん瘤のようなものも出来ておらず、触ってもさっちゃんが痛いとは言いません。
全身を触ってみましたが、どこが痛いのか分かりませんでした。
ともかく、しばらくは布団の中で安静にしておいてもらおうと考えるしかありません。

土曜日は朝食(遅い昼食?)が凄く遅かったので、夜の8時前に寝ているさっちゃんに声掛けをして起きてもらおうとしました。
ところが、さっちゃんに起きる気配はまったくありません。
無理矢理起こすのも可哀想ですし、眠気が強い状態では食事も出来ないでしょうから、そのまま寝かせておくことにしました。

日曜日もさっちゃんはまったく起きる気配がありませんでした。
ただ、横向きで寝ているさっちゃんを仰向けに位置を変えようとすると、痛がります。
脚をあちこち触っても痛がりませんが、左膝の辺りに手を当てて、脚を開かせようとすると、痛がるんです。
さっちゃんは股関節のどこかを痛めたのだろうかと、思いました。

さっちゃんは夜になっても一向に起きる気配はありません。
ただ、これだけ長く寝ていると、パッドは多量のおしっこを吸っているはずです。
夜7時ころ、さっちゃんのパッドを取り換えることにしました。
さっちゃんに立ってもらおうとすると、立てません。
背中側から両脇の下を持って、立ち上がらせますが、左足に全然力が入っていません。
これではトイレまで歩かせることも不可能です。

僕はお風呂場からお風呂場用の椅子を持って来て、布団の上、壁側に置き、座布団を敷きました。
そして、さっちゃんを脇の下で抱えて立たせ、それからその低い椅子に座らせました。
ズボン、ズボン下を引きずるようにして脱がせました。
パッドは重くなっていましたが、許容量にはまだ余裕がありました。
土曜の夜から丸一日ほとんど水分を摂っていないからでしょう。
新しいパッドに替え、分厚いズボンは脱いでもらって、また布団の中で寝てもらいました。

この体験をして、僕はやっとさっちゃんの状態が大変なことになっていることを実感しました。
それまではどうしてもいいようにいいように考えてしまっていたんです。
救急車を呼ぶべきかもしれない、呼んだ方がいいと考えました。
また一方で、今日は日曜日だし、にもなってしまった、今病院へ行っても・・・・と思う自分もいました。
明日目が覚めると、さっちゃんは起き上がって自分で立てるようになっているかもしれない、そんな楽観的な想像もしました。
どうであるにせよ、明日の朝まで待ってみようと決めました。

水屋の中に紅茶用の急須があったので、それに白湯を入れて横向きに寝ているさっちゃんに飲んでもらいました。
白湯が注がれる様子が見えませんから、ほんの少しずつしか飲んでもらえません。
半分寝ているようなさっちゃんですけれど、白湯を少しですが飲んでくれました。
さらに8時過ぎ、少しだけ食べてもらいました。
昨晩作ったさっちゃん用の夕食です。
キウイ1個と柿半分、クリームチーズと花豆とサラダチキン。
ほんの少しですが、さっちゃんは食べてくれました。

夜、熱を計ってみました。
37.4度ありました。


11月29日の月曜日。
僕が何時に起床して、何をしていたのか、まったく記憶がありません。
メモをしている訳でもありませんから、忘れてしまっています。
ただ、朝食を摂る余裕はなかったようですね。

まず、9時前にケアマネさんに電話を入れました。
簡潔に状況を説明し、ケアマネさんの意見を求めました。
ケアマネさんはすぐに救急車を呼んだ方がいい、と言ってくれました。
僕もそうしようと思ってはいましたから、その行動を取ることに確信を持つことが出来ました。
9時3分に僕は119番通報をしました。
9時9分、「もうすぐ到着します。建物の名前を教えてください。何号棟の何号室ですか」との連絡が入りました。
玄関の外で物音がしましたから、玄関を開けると、隊員の方がすでに到着していました。
この部屋に救急隊員を迎えるのはこれで2回目ですが、どかどかと乗り込んでくる、そんなイメージは覆りませんね。
人の住まいのイメージとは明らかに異質な侵入者です。

さっちゃんの状態を調べると同時に、僕に対しても指示を出します。
「健康保険証、飲んでいる薬、お薬手帳、お金を持って来てください」
他にもあったように思いますが・・・・
「病院からすぐ戻ることもあるかもしれませんから、靴も忘れないように」
前回の場合は、さっちゃんは救急隊員を見ると状態がよくなってしまって、病院でも特に悪い箇所が見つからずに帰宅したんです。
でも、今回はそんなことは期待できそうにありません。
さっちゃんは毛布にくるまれて、玄関の外に置いてあるストレッチャーに載せられました。

向かう病院は部屋に居る時にすでに決まっていました。
僕の住む市の東の端にあるA病院です。

救急車の中でさっちゃんに関していろいろと聞かれました。
病歴、手術歴、アレルギー、身長、体重、etc.
体温を計ると、その時も37.4度でした。

A病院に入ると、整形外科の診察室前にあるストレッチャースペースに止めて、診察を待ちます。
その後、診察室へ。
10時18分、最初の診察を終えて、レントゲン室へ。
僕は診察室の前で待つことになりました。
この時から、病院での記録をメモしています。
10時58分、レントゲン撮影を終了したさっちゃんが別室で待機するとのことで、ストレッチャーを押して別室へ行きました。
先ほどまでいた救急隊員から、病院のスタッフに代わっていました。
別室は空いている言語療法室でした。
ストレッチャーも救急車のから病院のものに代わっています。
看護師さん(多分)が「念のためコロナの検査もしますね」と言います。
コロナ検査をするということは、入院なのでしょうか?
さっちゃんはずっと寝ているように見えました。

看護師さんが再び来て、PCR検査と抗原検査をしました。
PCR検査は鼻の奥深くまで綿棒を突っ込んで痛いという話は聞いていましたが、確かに深くまで突っ込むんですね。
抗原検査は唾液でするのかと思っていましたが、この時はPCR検査同様綿棒を鼻の奥深くに突っ込む検査でした。
さっちゃんは凄く嫌がっています。
痛そう。
他にも、ここで採血もしました。
細い瓶に数本の血液を採りました。
注射針を刺すときに、さっちゃんは腕を動かしますから、僕はさっちゃんの腕をしっかりと押さえておきます。
11時9分に終了。
抗原検査は20~30分後に、PCR検査は翌日に分かるそうです。

11時33分、待機していた部屋から出て、先ほどの診察室前に移動して待ちます。
11時50分ころから、診察室で医師の説明を受けました。
レントゲンの映像を見ながら先生は説明してくれます。
でも、「この線とこの線が離れていますよね」と言われてもどういうことなのかさっぱり分かりません。
看護師さんが左股関節周辺の骨の小さな模型を持って来てくれました。
さらに、骨折部分の3D映像もあって、それを見せてくれました。
それでようやくさっちゃんの左足のどこがどうなっているのかが理解できました。
左脚大腿骨の股関節に近い部分の前側が骨折しているのですね。
手術が必要とのことです。
自然には引っ付かないのですね。

手術は骨の髄部分に芯となる金属棒をいれて、それと交差するようにもう2本の金属棒で固定するんだそうです。
人工骨等は使わないそうです。
普段、血液をサラサラにする薬(エゼチミブとエパデールでしょう)を飲んでいるので、その効果が薄まるまで期間を開ける必要があるそうです。
なので、おそらく手術は翌週以降になるのだそうです。
手術後は翌日からでもリハビリを始めるそうです。

12時4分に診察は終わり、さっちゃんが入院する部屋も決まり、入院のための検査と言うことで、さっちゃんは心電図を取りに連れて行かれました。
僕は診察室の前で待つことに。

その後、看護師さん(ではないかもしれませんが)が来られて、入院に関する説明を受けました。
抗原検査の結果は陰性だったそうです。
今、コロナ禍なので基本的に面会は出来ないことを伝えられました。
ただ、手術当日は会えるかもしれないそうです。
他にもいろいろと説明を受けましたが、詳しくは忘れました。
12時半にその説明が終了。

続いて、12時40分に4階のさっちゃんが入院する病室のあるフロアへ行きました。
12時50分から、ナースステーションの前のフロアで男性看護師さんからいろいろと質問を受けました。
今後の看護や入院生活に必要な情報を僕から聞くためです。
それに、すでに入院生活は始まっていますから、そのための寝巻きや肌着、オムツなどの件も決めておかねばなりません。
特に自宅から用意するものは無いみたいですね。
さっちゃんが着ていた服は全部僕に返してくれましたから、さっちゃんはすでに病院が用意した肌着や寝巻きを着ているようですね。

いろいろ言われた中で、ひとつ気になった点がありました。
「早めに介護度変更の手続きをした方がいいですよ」と言うんです。
「術後でなくても、手術前に手続きを進めてもいいですよ」と言うんです。
確かに、後期高齢者が大腿骨骨折をすると、その後どうなるかは想像がつくかもしれません。
要介護3では出来ないことがあるんだろうか、とも思いました。
(この点に関しては、ケアマネさんが病院側に再度問い合わせてくれました。
その結果、手術後ある程度経ってからでもいいでしょう、との結論です。)


あと、「保湿剤を持って来てください」と言われました。
さっちゃんが認知症になってから保湿剤は使っていません。
痒がることもありませんでしたから、どうしようかと思案中です。
家にそれらしきクリームのようなものはありますが、そのどれなんでしょうね。
僕はその中のニベアクリームを借りて使っていますけどね。

13時17分、この男性看護師さんの聞き取りや話し合いが終わりました。
これで今日の病院での仕事はすべて終了です。
コロナ禍でなければ、これからさっちゃんの病室へ行って、しばらくはそこで一緒の時間を過ごすんでしょうが、今はそれが出来ません。
多分、夕食時まで病室にいただろうと思います。
でも、それは不可能ですから、すぐに帰らなければなりません。
コロナ禍の影響をこんな時に受けるとは、哀しいですね。
13時25分、ケアマネさんに報告の電話を入れました。
この日の言語リハビリの中止は伝えてもらっています。
さらに、デイサービスとショートステイの中止も連絡してもらうよう頼みました。

駅へ向かい、ホームで持ってきたお菓子を食べました。
この日初めての食事です。
最寄りの駅中でお弁当を買って、家で食べました。

その後、このブログの文頭のトイレでの涙、朝ドラの録画を観て涙した話になるんです。
夜は何も食べませんでした。
目の奥が痛くて、この日一日、僕は凄く緊張していたんだと思いました。
隣りにさっちゃんのいない布団でひとり横になりました。

11月30日、火曜日。

目の奥の疲れは取れていました。
朝食をしっかりと食べて、入院手続きの書類を書き込んで、持って行きました。
入院保証金5万円も持って行きます。
これは退院時に精算されます。

行き帰りを自転車で行きました。
片道30分くらいですね。
帰って来て、早めの夕食を取り、このブログを書きました。

すぐ書き終わると思っていましたが、すでに真夜中を過ぎています。
文字のレイアウトなどをすると、終了は1時過ぎでしょうかね?
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