さっちゃん 空を飛ぶ

認知症で要介護5の妻との楽しい日常を 日記に書き留めたいと思います

さっちゃんは庭先の花を見て「綺麗ね」と言うことが時々あります

2020-11-28 23:55:51 | 些細なことだけど
さっちゃんは言葉が不自由で何を喋っているのか分かりません。
怒っている、喜んでいる、不機嫌、心が沈んでいる、、、とかの感情はだいたい分かります。
とはいえ、微妙な感情は分かりませんし、さっちゃんに繊細な感受性があるのかどうか、僕には理解不能です。

ただ、さっちゃんなりの美意識は残っているみたいです。
それは道を歩いていて、何かを指差しながら、時々「綺麗ね」と言うからです。
僕は「そうだね。綺麗だね。菊の花じゃないかな」とか応じます。

2年くらい前だったでしょうか?
さっちゃんはその頃も「綺麗ね」とよく言ってました。
でも、それは自動車や家の壁を指差してのことでした。
僕は返答に困りましたね。
一応「そうだね」と言ってはおくんですが、何故わざわざ「綺麗ね」と言うほどのことなのか分からなかったんです。
確かに、「綺麗ね」と言われた車に共通していることは、よく洗われていてピカピカだったこと。
壁も洗った直後のようにピカピカな雰囲気がありましたね。

さっちゃんの美意識が変わっちゃったんだろうか? と当時は不思議に感じていました。
さっちゃんは車とかには興味はなかったはずですから。
しかも、車には「綺麗ね」と言うことがあっても、お花とかには言うことはあまりなかったんです。
その後、車に対しては「綺麗ね」と言うことがなくなりました。

それが今年になると、変わって来ました。
お花に対して「綺麗ね」と言うことが増えたんです。
とりわけ、今年の初夏くらいからだったでしょうか。

駅やスーパーに行く時、家を出てすぐに通る細い路地があります。
その路地の舗装した路面とブロック塀の境目に、一見すると雑草のような紫色の花が咲いていました。
さっちゃんはそこを通るたびに、その花に目をやって「綺麗ね」って言うんです。
ほぼ毎回、その紫色の小さな花に気付いて「綺麗ね」と言うんです。
認知症ですから、そこにその花が咲いていることを記憶できているはずがありません。
毎回毎回、新鮮な気分でその花にハッと気付いて、綺麗だなぁと感じているんでしょうね。

人の家の庭先に咲いている花で、同じように毎度毎度「綺麗ね」と言うお花が他にも3、4ヶ所ありました。
黄色いキク科の花だったり、少しだけ変わっている青いアジサイの花だったり、薄紫色の唇形の花だったりしました。
そこを通るたびに必ず「綺麗ね」と発するのは不思議でもありました。

もちろん、違う所を通った時に、別の花に「綺麗ね」と言うことだってあります。
僕が先に「綺麗だね」と言って、それに同意してくれる時もあります。

さっちゃんが「綺麗ね」と言う花に共通していることがありました。
こんもりとたくさんのお花が咲いていることです。
ただ、最初に例に上げた道端の紫色の花は例外でしたね。
さっちゃんは昔は小さくて可憐な花が好みでした。
そういうお花を美しいと感じる精神性は、ちょっと複雑な美意識が作用しているのでしょうね。
今は、そんなタイプの花が咲いていても、あまり注目することは少ないようです。

お花に対して「綺麗ね」と言ったりする心を僕はとっても愛おしく感じます。
いつまでもそんなことがあって欲しいと思っています。
散歩などで歩きながら、綺麗な花、可愛いい猫、元気な子犬、美しい夕焼け空や夕焼け雲、塒へ急ぐカラスの群れ、
飛んでいくアオサギやシラサギ、水路の鯉、水路の鴨、空に浮かぶ三日月や上弦の月や満月、宵の明星、・・・・
その瞬間に僕自身が美しいな可愛いな珍しいな、などと感じたものをさっちゃんにも指差して語りかけるんです。
さっちゃんはいい反応をすることもあれば、まったく無視することも、僕を急かして、そんなことを言う僕を怒ったりもします。

言葉での意思疎通が困難なさっちゃんですが、身の回りの世界の姿に心動かされる感受性が少しはあることが僕にとっては本当に救いです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする