毎朝さっちゃんと一緒に朝食の準備をします。
それぞれに担当する仕事があります。
おおまかに言って、コーヒーは二人で、パンは僕が、ベーコンエッグと野菜はさっちゃんの担当。
トマトを一口サイズに切るんですが、
さっちゃんはいつも包丁の置いてある場所を忘れています。
僕が指差しなどして教えてあげます。
指で差している方角を理解するのもさっちゃんは苦手なんですが、
何度かの試行錯誤ののち、包丁のしまってある場所に行きつきます。
でも、今朝は包丁の置いてある場所から鍋を手に取りました。
さっちゃん「これ?」って聞きます。
僕は「違うよ。それはね、鍋」「包丁がそこにあるでしょ?」と答えます。
“包丁”という言葉と“包丁”の実物があまり強く結びついていないようなんです。
レンジとポットを間違えたり、フライパンと大皿を間違えたり、
シャンプーと石鹸もよく間違えますね。
そんなことは数え切れません。
脳の言語野が認知症の影響を受けてるんでしょうね。
まあ、そんなことは生活の中で笑える楽しいひと幕だと思った方がいいですよね。
それぞれに担当する仕事があります。
おおまかに言って、コーヒーは二人で、パンは僕が、ベーコンエッグと野菜はさっちゃんの担当。
トマトを一口サイズに切るんですが、
さっちゃんはいつも包丁の置いてある場所を忘れています。
僕が指差しなどして教えてあげます。
指で差している方角を理解するのもさっちゃんは苦手なんですが、
何度かの試行錯誤ののち、包丁のしまってある場所に行きつきます。
でも、今朝は包丁の置いてある場所から鍋を手に取りました。
さっちゃん「これ?」って聞きます。
僕は「違うよ。それはね、鍋」「包丁がそこにあるでしょ?」と答えます。
“包丁”という言葉と“包丁”の実物があまり強く結びついていないようなんです。
レンジとポットを間違えたり、フライパンと大皿を間違えたり、
シャンプーと石鹸もよく間違えますね。
そんなことは数え切れません。
脳の言語野が認知症の影響を受けてるんでしょうね。
まあ、そんなことは生活の中で笑える楽しいひと幕だと思った方がいいですよね。