今日もデイサービスから帰って来たさっちゃんとそのまま散歩に出かけました。
4時25分でした。
200mほど歩くと、多摩川土手に向かう入口の坂道になります。
そのすぐ手前あたりには野良ネコが1、2匹たむろしていることが多いんです。
いつもそこで餌をあげている人がいるので、なかなかそこを離れられないようなんですね。
でも多分、本当の野良ネコは2匹くらいだと思います。
あとの2匹ほどは飼いネコではないでしょうか?
車道を渡って反対側のアパートと行き来する姿をよく見かけますから。
おそらく野良の1匹に茶虎模様のネコがいます。
見た目が可愛らしくて、表情はさほどないとは言え、人懐っこそうな雰囲気のネコです。
人を極端には警戒してなくて、手を伸ばせば撫でられそうな距離までは接近を赦してくれるのですが、実際に触ろうとすると離れて行きます。
それもそんなに遠くまでは逃げて行かずに、せいぜい2、3mといった感じ。
警戒心が緩む時もあるようで、何度か撫でさせてもらえた時もあるんです。
ですから、散歩の際いつもその辺りを通る時にはネコの姿を探すという訳。
今日もいつもと同様に何となくネコの姿を探しながら歩いていました。
ネコがよくいるエリアの最初の辺りでした。
さっちゃんが「ネコ!」と、僕に言うんです。
繋いでいる僕の手も引きます。
いつもの茶虎のネコが僕の1mほど左後方にいました。
僕が気付かず、さっちゃんの方が先に気付くのも珍しいんですが、それ以上に驚いたのは、さっちゃんが「ネコ」と発語したこと。
僕に、「そこにネコがいるよ」と知らせてあげようと、「ネコ!」と言ったのです。
前日の言語リハビリでもネコのカードは出て来ました。
さっちゃんはネコの絵を見ただけでは「ネコ」と発語しません。
ネコと書かれた名札を見てのみ「ネコ」と発語できるんです。
言語リハビリではそうなのに、今日はネコの実物を見て、「ネコ」と発語しました。
ネコの絵か実物かの印象の違いがそれほど大きなものとは僕には思えません。
おそらく、さっちゃんが僕に「ネコがここにいるよ」と知らせたい気持ちがとても強くて発語につながったんだと思います。
さっちゃんが自らモノの名前(今回は動物の名前)を発語するのはどれだけ振りでしょうか?
今日の場合は僕に知らせたいという強い気持ちだったのでしょうが、意思があれば発語も可能なんですね。
さっちゃんは57歳のときに脛骨最上部(膝のところ)を粉砕骨折しました。
2度の手術とトータル9ヶ月の入院、そして長期のリハビリを経験しています。
僕は内心、これまでと同じような生活が出来るのだろうかと心配していました。
でも、さっちゃんは再び登山が出来るようになりたいと、痛いリハビリを頑張り続けたのです。
多摩川河川敷の公園まで初めて歩いて、お昼のお弁当を一緒に食べた時は僕は本当に嬉しかったものです。
近所の標高192mの山に登ったのが怪我後初の登山でした。
両松葉杖に装具付きで歩きました。
その後しばらくは、ケーブルカーのある奥多摩御岳山や高尾山周辺を歩き回りました。
膝に負担がかかる下りをケーブルカーで下っていたんです。
ゆっくりと少しずつレベルを上げ、岩登りの練習も再開、沢登りも出来るようになりました。
怪我をして数年後には、夏の剱岳・源次郎尾根にも登りました。
さっちゃんとしては2回目です。
あの時のさっちゃんには強烈な意思がありました。
直ってやるぞ!
もう一度、山に復帰するぞ!
その強い意志があってこそ、リハビリを耐え、頑張り、大地を踏みしめて歩けるようになったんだと思います。
でも、今はそれが感じられません。
認知症だから仕方がないのかもしれません。
でも、意思があれば言葉が出るんだと、そう感じられた今日の出来事でした。
さっちゃの「伝えよう」という意思はどうやれば生じるんでしょう?
4時25分でした。
200mほど歩くと、多摩川土手に向かう入口の坂道になります。
そのすぐ手前あたりには野良ネコが1、2匹たむろしていることが多いんです。
いつもそこで餌をあげている人がいるので、なかなかそこを離れられないようなんですね。
でも多分、本当の野良ネコは2匹くらいだと思います。
あとの2匹ほどは飼いネコではないでしょうか?
車道を渡って反対側のアパートと行き来する姿をよく見かけますから。
おそらく野良の1匹に茶虎模様のネコがいます。
見た目が可愛らしくて、表情はさほどないとは言え、人懐っこそうな雰囲気のネコです。
人を極端には警戒してなくて、手を伸ばせば撫でられそうな距離までは接近を赦してくれるのですが、実際に触ろうとすると離れて行きます。
それもそんなに遠くまでは逃げて行かずに、せいぜい2、3mといった感じ。
警戒心が緩む時もあるようで、何度か撫でさせてもらえた時もあるんです。
ですから、散歩の際いつもその辺りを通る時にはネコの姿を探すという訳。
今日もいつもと同様に何となくネコの姿を探しながら歩いていました。
ネコがよくいるエリアの最初の辺りでした。
さっちゃんが「ネコ!」と、僕に言うんです。
繋いでいる僕の手も引きます。
いつもの茶虎のネコが僕の1mほど左後方にいました。
僕が気付かず、さっちゃんの方が先に気付くのも珍しいんですが、それ以上に驚いたのは、さっちゃんが「ネコ」と発語したこと。
僕に、「そこにネコがいるよ」と知らせてあげようと、「ネコ!」と言ったのです。
前日の言語リハビリでもネコのカードは出て来ました。
さっちゃんはネコの絵を見ただけでは「ネコ」と発語しません。
ネコと書かれた名札を見てのみ「ネコ」と発語できるんです。
言語リハビリではそうなのに、今日はネコの実物を見て、「ネコ」と発語しました。
ネコの絵か実物かの印象の違いがそれほど大きなものとは僕には思えません。
おそらく、さっちゃんが僕に「ネコがここにいるよ」と知らせたい気持ちがとても強くて発語につながったんだと思います。
さっちゃんが自らモノの名前(今回は動物の名前)を発語するのはどれだけ振りでしょうか?
今日の場合は僕に知らせたいという強い気持ちだったのでしょうが、意思があれば発語も可能なんですね。
さっちゃんは57歳のときに脛骨最上部(膝のところ)を粉砕骨折しました。
2度の手術とトータル9ヶ月の入院、そして長期のリハビリを経験しています。
僕は内心、これまでと同じような生活が出来るのだろうかと心配していました。
でも、さっちゃんは再び登山が出来るようになりたいと、痛いリハビリを頑張り続けたのです。
多摩川河川敷の公園まで初めて歩いて、お昼のお弁当を一緒に食べた時は僕は本当に嬉しかったものです。
近所の標高192mの山に登ったのが怪我後初の登山でした。
両松葉杖に装具付きで歩きました。
その後しばらくは、ケーブルカーのある奥多摩御岳山や高尾山周辺を歩き回りました。
膝に負担がかかる下りをケーブルカーで下っていたんです。
ゆっくりと少しずつレベルを上げ、岩登りの練習も再開、沢登りも出来るようになりました。
怪我をして数年後には、夏の剱岳・源次郎尾根にも登りました。
さっちゃんとしては2回目です。
あの時のさっちゃんには強烈な意思がありました。
直ってやるぞ!
もう一度、山に復帰するぞ!
その強い意志があってこそ、リハビリを耐え、頑張り、大地を踏みしめて歩けるようになったんだと思います。
でも、今はそれが感じられません。
認知症だから仕方がないのかもしれません。
でも、意思があれば言葉が出るんだと、そう感じられた今日の出来事でした。
さっちゃの「伝えよう」という意思はどうやれば生じるんでしょう?