6月25~26日、八ヶ岳の小同心クラックを登攀しました。
実に9年ぶりの岩登り本番です。
2018年まではYYDのメンバーと沢登りする計画も立てていましたが、2019年以降はさっちゃんとしか歩いていません。
さっちゃんが留守番を出来なくなったからです。
2019年と2020年はさっちゃんと奥多摩の低山をハイキングしていました。
2021年はそんな低山ハイクもさっちゃんには歩けなくなり、僕もどこへも行かなくなりました。
せめてもと2020年10月から、さっちゃんがデイサービスへ行っているわずかな時間に天覧山ひとり岩トレだけは実践し続けました。
クライミング能力はかろうじて最低限は維持し続けられたのですが、山体力は悲惨なレベルにまで衰えてしまいました。
さっちゃんが大腿骨骨折で入院し、面接にも行けず、何も出来ない僕は、自分の山体力復活作戦を行なうことにしたのです。
幸か不幸か(絶対的に不幸です!)、さっちゃんが自宅に戻れる状況が訪れません。
2021年11月からスタートしたその作戦は半年間を経過したころから少しずつ効果を現わし始めました。
標準コースタイムとほぼ同じ時間で歩くことが出来るようになり、徐々に長い距離も歩くことが出来るようになって来ました。
YYDのメンバーとも沢登りをすることが出来るようになって来ました。
さっちゃんは今I老健に入所しています。
当初は7月にも退所できるものと僕は予想していました。
でも、その予想は甘かったようで、8月、否、9月や10月に退所がずれこむかもしれません。
どちらにせよ、さっちゃんが戻って来るまでの短い期間、僕はYYDへ少しでも貢献したいと思いました。
僕にできる貢献は僕の山でのこれまでの体験を共に味わってもらうことです。
今回の小同心クラックにもそのような意味があります。
もちろん、自分自身がこれからももっと楽しみたい、登山を充実させたいということもあります。
自分の年齢を忘れるくらいに楽しみたい、そう思っています。
詳しくは、『ザイルと焚火と焼酎と』を読んでみてください。
9年ぶりの岩登り本番は、10年ぶりの小同心クラック。これからもまた登攀できるでしょうか?
▲10:45。小同心クラックの3ピッチを終え、横岳直下の岩場の最終ピッチを前に、コンテで歩いているところ。僕はウルップソウを撮っています。向こうにはS﨑君。
僕にはこの小同心クラックの山行を余裕を持ってこなせるほどの体力は備わっていませんでした。
10日間ほど経った今でも、僕の肉体にはその時のダメージが残って、疲労感を感じています。
前回の日陰名栗沢でやっと長めの距離を歩き始めたのですから、いきなりのステップアップが大変なのは当然です。
ただ、山行後にダメージがなかなか消えないだけで、山行自体は問題なくこなすことが出来ました。
ちょっと強度のある山行を時々実践することで、肉体もそれにゆっくりと慣れて行くことと思います。