先日、誕生日を迎えた住職(父)に焼酎を贈りました。
坊主にお酒…。
今では当たり前のように見られる光景で、特にクレームは耳にしませんが、やはり心の中では「生臭坊主」という目で見られていたりするのかもしれません。
確かに、飲酒は仏教の戒律で禁止されているもの。
それをグビグビ飲んでいては、いくら有り難いお話をしていたとしても、有難みが薄れるというものです。
さて、飲酒を禁止している戒律は、お釈迦さまが定められたとする「五戒」にあります。
この5つの戒律は、出家在家問わず、すべての仏教徒が守らなくてはならない戒律でもあります。
一、不殺生戒 (ふせっしょうかい) 私は故意に生き物を殺しません
二、不偸盗戒 (ふちゅうとうかい) 私はどのようなものも盗みません
三、不邪淫戒 (ふじゃいんかい) 私は夫婦以外の性的関係を持ちません
四、不妄語戒 (ふもうごかい) 私は嘘いつわりは語りません
五、不飲酒戒 (ふおんじゅかい) 私は酒を摂取しません
そして、飲酒を禁じたお釈迦さまは、禁じた理由をこう述べられたそうです。
酔う飲み物を嗜まないように。
この教えを喜ぶ在家の者は、飲酒は『狂気の果てにあるもの』と知る者であるから、他者に酒を飲ませないように。
また飲んでいる者を認めないように。
なぜなら、愚者たちは酒による驕りから、あらゆる悪をなし、さらにまた他者に対して、あらゆる怠りのある行為をするようになってしまうからです。
愚者たちに欲せられ、世の人びとを狂気と迷妄へと誘う、この善からぬ領域を避けるように。
(『スッタニパータ』より意訳)
なかなかシビアなお言葉です。
しかし、幾多の事件の発端を省みると、「飲酒」によるものが多々あることも事実です。
また、不飲酒戒を抜かした五戒の罪を犯す原因にもなりえます。
「あの時、お酒を飲まなければ…」、起こらなかった事件は山のようにあることでしょう。
このように、不飲酒は自己破壊を防ぐ戒とも言われ、それゆえ他者に勧めることも禁止しているのです。
さて浄土真宗では、不飲酒などの戒律を守ると誓った人に授けられる『戒名』ではなく、仏弟子としての名乗りである『法名』を授かります。
そこには、戒律を守ろうとしても守り通すことのできない自分の愚かさを見つめた先にある、阿弥陀如来の救いを喜ぶ心が込められているのです。
浄土真宗には、あえて飲酒を禁じる教えはありません。
しかし、だからといって飲酒を勧めているわけでもありません。
流されるままに飲酒をしている自身の有り様を省みて、その先の狂気の領域へと向かう歯止めとするのが、仏教徒としての最大の譲歩と言えるのかもしれませんね。
さてさて、住職を狂気と迷妄へと誘うプレゼントは、私にとっては清水の舞台から飛び降りて、全身粉砕骨折したくらいの額になりました。 (この記事のタイトルのお酒)
そのことで、ふだん私が住職にかけている苦労の程を察していただけると幸いです。(汗)