幼すぎて、事の重大さ、深刻さ、悲惨さ、そういったものが理解できないでいたことがありました。
そのときは、テレビに映る光景と、家族の慟哭がただただ恐かったという印象だけが強く残ります。
けれど、年を重ねるにつれて、その概要を少しずつ理解していきます。
26年前の御巣鷹山の日航機墜落事故もその一つ。
リアルタイムで理解できなかったことが、だんだんと事の重大さ、深刻さ、悲惨さが理解できるようになっていったと同時に、恐かっただけの光景や慟哭の意味も分かってきました。
しかし、状況を受け止めることができなかったときから今まで、その悲しみを上塗りするかのように、次から次へと事件や事故や災害が起こります。
どんどんどんどん上塗りされ、なんとか把握できた最初の悲しみが、遠い感情へと薄れてゆき、忘れてゆく。
悲しみとは上塗りされるものではないのだと。
それぞれが、それぞれの悲しみであるのだということを。
頭では分かっていても、古い悲しみは新たな悲しみによって消えていく。
それが、そのことに関わっていない者の時間の流れ方なのかもしれません。
関わっていた者の時間は、時を止め、新たな悲しみで上塗りされることなどありえないのに…。
朝、「いってらっしゃい」と見送った後ろ姿が最期になるなど、誰が想像するでしょう。
8月12日のあの日、少なくとも520人分の不条理がありました。
なぜあの人が…。
その問いに答える言葉を、私は持ち合わせてはいません。
それも縁だと、そうであっても私の口から言葉にすることなどできません。
「怖い怖い怖い、助けて」
「死にたくない」
その恐怖と絶望の極限で書き残した悲痛な叫び声に、26年経った今も心乱され、涙が滲む自分がいます。
そしてこの痛みを26年絶えず抱えて、これからも抱え続ける人がいることに、また胸が締め付けられます。
そんな不条理の悲しみが、26年前の520人が一度に亡くなる大惨事で終わったのではなく、絶えず誰かにとっての不条理が増えいく・・・昨日、5ヶ月が経過した東日本大震災という不条理のように。
けれど、それが私にとっての不条理でない限り、悲しみが上塗りされていくことを止めることができません。
そして、私にとっての不条理が、他の人の時を止めることはないのだということを思い知らされます。
向き合うことの難しさ。
向き合えない自分であることを受け入れる難しさ。
そういうことを知る痛みもあるのだと思います。
理不尽な出来事に、つらい悲しみに暮れる。
生死の苦はあるのだと、打ち伏し泣き崩れる私たちを、仏となられた方々が、見捨てることなどできないんだということを。
私たちのことが、心配で心配でならないんだということを。
その苦しみから、救いたいんだということを。
そういう想いがあることを、言葉にできたらと思います。
「苦」という現実と向き合うために。
現実は不条理の溢れる「苦」であるということを忘れないために。
私たち僧侶は、言葉にしていくことを止めてはなりません。