広島に原爆が落とされてから、今年で66年が経ちました。
小学校の図書室にあった『はだしのゲン』は、臙脂色の表紙に有刺鉄線が描かれてありました。
その色と、その絵が怖くて、触ることさえできませんでした。
中学校の図書室で、初めて開いた『はだしのゲン』は、目を背けてしまうほどの絵が絶えることなく描かれてありました。
内容より、その絵が怖くて、思わず閉じて返却しました。
そのまま私は大人になって、原爆という歴史に直接触れることもなく、思わず本を閉じてしまったあの頃と同じように、目を背け続けているような気がします。
数年前にドラマ化された『はだしのゲン』。
原爆の爆風で崩れた家屋の下敷きになった父親と弟。
身動きが取れずに、迫り来る炎にのまれる家族を、救えずに泣き叫ぶゲンと母親。
そのドラマの光景を見たとき、阪神淡路大震災を思い出しました。
大きく報道されることはなかったようですが、家屋の下敷きになったまま、迫る炎から逃れることができずに、生きながらにして死の恐怖を突きつけられた方々は少なくなかったといいます。
それは、想像の域になかったこと。
いや、想像したくなかったこと。
そうやって、目を背け、考えようとしなかった多くの出来事には、量り知れない絶望の涙が、常に流されてきたのだろうと、今になって考えます。
怖いからと、閉じることができるのは本だけで…。
現実を前にして、目を閉じ背け続けることは、誰かの苦しみを素通りしているということなのでしょう。
「忘れないで」
目を見開き、耳を澄ませれば、命を賭けた叫び声が世界中から聞こえてきます。
…忘れません。