週刊 最乗寺だより

小田原のほうではなく、横浜市都筑区にある浄土真宗本願寺派のお寺です。

勝田山 最乗寺
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子煩悩

2012-03-25 00:21:38 | 法話のようなもの

           

先日、龍くんが遊んでいる姿を若住職と見ながら、「私たちって子煩悩だね」と話していました。

子煩悩」というと、何となくほのぼのとしたイメージがあり、一般に「我が子をとっても可愛がる親」という意味で使われています。
だから何となく自画自賛のようなつもりで言ったのですが、ふと「煩悩」は決して褒め言葉ではないなぁと、互いに思い直しました。

煩悩の語源は「苦しめるもの」。
それは、人間が人間として生まれ生きる限りは、決して捨て去ることのできない毒のようなものです。

とどまることを知らない欲望、自分の正しさを疑わずに抱く怒り、我が身を省みることなく愚痴をいう愚かさ。
自分の中に巣食う毒。
その毒が苦しみを生み、執着を生み、偏りを生み、ものごとをあるがままに明らかに見る悟りの境地への道を阻みます。

それが煩悩であるのだから、そもそも「子煩悩」とはどういう意味なのかが気になりました。

すると答えは、「子という煩悩」「子は煩悩である」というものでした。
つまり、子供は親を苦しめるものということ。

我が子という存在は、あらゆるものへの執着を生みます
我が子への愛情は、あらゆるものへの偏見を生みます。

お釈迦さまは我が子が生まれたとき、「ラーフラ(障り)」と叫びました。
大河ドラマで登場した藤木直人演じる西行は、自分にまとわりつく幼い娘を足蹴にして、その足で出家しました。

愛情という言葉はとても素敵な響きを与えてくれますが、すべてに愛情を注ぐことのできない凡夫にとっては、それもまた煩悩であり、執着です。
そして、我が子から生じた執着を離れ、捨て去るところに、偏ることのない悟りへの第一歩がありました。

けれど私は、子という煩悩を味わうことのできたご縁を、大切にしたいと思います。
捨て去りたくない煩悩を抱えたまま救われていく道の前に、私はいるのですから。

だからせめて、生きとし生ける全ての人々が、親に愛情という煩悩を生じさせた存在であるということを忘れないでいたい…。
忘れないでいられたら、きっと私はもう少し優しくなれると思うから(笑)