ここのところ、ずっと考え続けていたコラムをようやく投稿しました。
コラムは月一で書いているのですが、難なく書けるときと、さっぱり書けないときとがあります。
今回は、さっぱり書けないとき。
そういうときは、無駄に文章が長くなります。
そして、短くしようとすると、思考の樹海に入ってしまい、光を見出せないままグルグル出口を探す羽目に…。
この状態になると、日常生活に支障をきたすことになるので、今回は樹海に入るのを回避したため、とてつもなく長い文章のまま手放してしまいました。
とりあえず収拾は付いていると思うので、よろしかったらご覧下さい。
『「母」という性(さが)』
http://merry-shaka.com/?eid=745#sequel
今日は朝からあいにくの天気。
テレビではどのチャンネルも金環日食の話題一色になっていましたが、肝心の太陽は薄雲に覆われた状態でした。
日食も月食も、数年おきに聞いているような気がしていたので、恥ずかしながら今回もそういうものだと思っていた。
でも、東京地方で金環日食が観測されるのは、実に173年ぶりとのこと。
小さい頃に見たような記憶があったのですが、まだ173年も生きていないので、どうやら過去を捏造していたようです。(笑)
そもそも日食とは、太陽が月によって覆われる現象で、金環日食は月の視直径が太陽よりも小さい場合に起こり、月の外側に光輪状の太陽光がはみ出して見える状態を言います。
反対に皆既日食は、月の視直径が太陽よりも大きく、月が太陽を覆い尽くすので、地上から太陽が消えた状態に見えるものを言います。
きっと、どちらも昔の日本では天変地異だったことでしょう。
平安時代の皆既日食のときは、天下に大赦を発布して、死刑執行直前の大罪人まで釈放したそうです。
そういう時代の5月21日にお生まれになられた親鸞聖人のご遺徳を、天文ショーへと昇華した日食の映像を見ながら改めて感じ入りました。
ネットにも、さまざまな金環日食の画像がありましたが、その中で一番感じ入った画像を貼り付けておきます。
そういや来月は、わたしたちの結婚記念日だったような…。
なんだか植物紹介が続いています。(笑)
今回はコチラの植物。
シャクナゲです。
正面の階段を上がって、山門右前にあります。
大きな花のようにも見えますが、よく見るとツツジのような花が幾つも集って咲いているのが分かります。
正確には「ツツジ目ツツジ科ツツジ属無鱗片シャクナゲ亜属」……、たぶんツツジなのでしょう。(ザックリ)
シャクナゲは、漢字で「石南花(石楠花)」と書きます。
この「石南花」を呉音読みした「しゃくなんげ」が転じて、「しゃくなげ」になったといわれています。
シャクナゲというと思い出すのは、中学生の時に歌った『夏の思い出』という唱歌。
同じ時期に行った林間学校での散策先が、尾瀬の自然公園だったこともあり、歌詞にあった水芭蕉も実物で見ることができました。
でも、「石楠花色に たそがれる」という歌詞が、そのときはどんな色のことをいっているのか分かりませんでした。
そして20年経った今も、白・赤系・黄色などの色があることは分かっても、歌詞の意味は分からないまま……どなたか分かりますか?
さて、前回のカルミア同様、シャクナゲもいろいろ調べました。
すると、シャクナゲの葉には吐き気・下痢・呼吸困難を引き起こすケイレン毒が含まれているので、有毒植物であるとのこと。
やっぱり毒ーーーーーっ!!(泣)
客殿の前に咲くカルミアの花。
もともとは違う場所に植えられていたカルミアの木を、庫裏客殿の改築に伴って、この場所に移し変えました。
低木の種ですが、日当たりが良くなったことでスクスクと育ち、今では大きく見上げるほどの高さに。
わたしは、この可愛らしい花を咲かせる木が好きで、玄関から出てすぐ目に映る光景にいつも癒されています。
カルミアはツツジ科の木で、原産国は北アメリカ。
日本に渡ってきたのは1915年とされています。
スウェーデンの植物学者「カムル」の名前にちなんだ命名とのことですが、アメリカ先住民がこの木でスプーンを作ったことから「スプーンの木」とも呼ばれるそうです。
「カルミア」という名前の響きは、なんだか甘い飲み物みたいな印象を受けるので好きなのですが、「スプーンの木」も「カルミア」からは窺い知れない歴史を感じさせる響きに聞こえて、今年はこちらの名前を秘かに呼ぶようになりました。
見ているだけで、ほのぼのしてくる花木。
でも調べてみたら、葉には毒があるとのこと。
特に羊が中毒にかかりやすく、種の中には「Lambkill」と呼ばれるものもあるそうです。
「Lambkill」 → 「lamb」(子羊) + 「kill」(殺す) = 【羊殺し】
ひぃぃぃぃぃっ!!!
可愛くなーーーーーーーいっ!!!!(泣)
境内をウロウロしていると、住職がきて上を指差しました。
ソメイヨシノの幹をよく見ると…
穴が開いています。
これはキツツキが開けた穴です。
住職が言うには、この穴は古いもので、今はもっと上のほうを穴だらけにしているそうです。
キツツキは「啄木鳥」と書きます。
「木を啄ばむ(ついばむ)鳥」と読みますが、この穴を見ると啄ばむなんてカワイイもんじゃありませんよねぇ。
そういえば、以前どこかで聞いたご法話に、キツツキの例えがありました。
キツツキは、木に穴を開けられるほど頑丈なクチバシがあるから、強そうなイメージがある。
カラスも、ビニールを破ってゴミの中からエサを見つけるから、賢そうなイメージがある。
でも、どんなに強そうでも、どんなに賢そうでも、自分が網に引っ掛かってしまうと、そこから脱出することはできない。
人間も同じで、他者の愚かさを蔑み、自らの賢さを疑わずに断じるが、実際には自分の無知に気づかないという、どうしようもない存在なのだ。
私たちは皆、無知の網に引っ掛かっている。
脱することはできなくても、無知という網にとらわれているということを、自覚するのは大事なこと。
無知とは目が閉じているような状態です。
だからこそ、目を閉じていても感じることのできる光の大切さを思います。
そして、それが阿弥陀さまの光であり、その光が照らす進むべき方向へと足を踏み出していきたいものです。