おしゃべりピアノの今日の一言♪

考えたこと感じたことを 気ままに徒然に〜

50周年・最終コンサート

2008年07月29日 | Weblog
今日、私の中学生時代からの恩師の毎年行われる発表会のプログラムが届いた…
「50周年・最終コンサート」
「えっ?!なぜ?最終???」
なんだか、突然のその文字に驚いた。なんで、最終なの?

その会は、私が中学1年で門下生となった時に、既に存在していた。
高校、大学と先生の門下生でいながら、時に反発し、会そのものに対して疑問を抱いたり、学生時代の私は、本当に1秒たりとも安穏に生活した記憶がないほど心はいつも波立っていた。

その先生の会に一度は復帰したものの、また去年抜け出してしまった。
やっぱり私には合わないなぁ…と。1匹狼が似合ってるかな、と。

でも、こうしてプログラムが送られてきて、先生の最終発表会、ということを客観的にしろ考えるとき、何か心がざわめく…人生の重み…を感じる。

この先、40年も私は先生のように教えられるだろうか…しかも、先生は芸大をはじめ、有名私立大学にたくさんの生徒を合格させている…それは、きっと1mmたりともおろそかにすることはない楽譜の読み方や、曲に対する研究のたゆまぬ努力、生真面目ともいえるほどの真面目な教えかたによるものなのかもしれない…とても私の及ぶところではない気がする。
音楽性がないとか、日本人っぽすぎるなんて、それは先生に頼るのではなく、自分自身が開拓して抜け出せばいいことだったりするのに、その時の私は気づかなかった…

先生もいつしか70を超えられたのかな。
いつまでも「最終~」にはなってほしくないけど、もしこれが本当に最終なのだったら私も行くしかないな、と思った

伝えること…

2008年07月29日 | Weblog
昨日、アップライトピアノが家を出た。いいえ、家出をしたのではありません。
習い始めたばかりの生徒さんの家にお引越し…
そして、8月半ばには調律師さんお薦めの1台が仲間入りします

で、昨日は調律師さんとお手伝いの方が2人でみえましたが、たった2人でピアノを移動するのは大騒動
グランドのほうは、ずず~っと簡単に引っ張って移動しちゃいましたが、問題はアップライト。持ち上げて移動するたびに、うぅ~んと苦しそう…しかも、トラックの荷台が電動で上下する型ではなく、人の力で「よっこらしょ!」と積み上げるタイプのものだったので、これが怖くて見てられないほどで…荷台の上から、一人は引き上げ、もう一人は下から全身の力を使って持ち上げ…
一歩まちがえば、骨の1本2本、平気で折れそうな…しかし、さすがにひとりで下から持ち上げるというのは重量挙げの選手でもないかぎり難しかったとみえ、ようやく二人で、荷台へ…でも、これもどちらかに傾いたらピアノがギョワ~ンという不気味が唸り声をあげて、お陀仏になりかねない…なんて想像をしながら顔を強ばらせて見ているうちに、無事終了。本当にホッとした

ふつうの調律師さんだったら、調律だけを専門にして、力仕事は他の方に任せて~ということが多いのかもしれないけど、うちの調律師さんは、どこまでも、どんな仕事内容でも全てひとりで責任をもってやっていただけるので、この私も数えてみると、もうかれこれ25年以上もお世話になっている…結局、大手の企業のように、任されたことを部品のようにこなしていくのとは違い、自分独りが、それぞれ大きな責任を伴うので、途中で投げ出すことはおろか、生活の全てが「ピアノ」になって、その歴史を築いているのかもしれない…

先代の社長さんの時代に、ピアノに対しての礼儀作法、真摯な気持ちについて私はいろいろと教えていただいた。(これは、1年ほど前のブログにたくさん書きましたが…)
そして、今の社長さんになって、また新しい発見、何かに取り組むときに常に全力投球する心意気を学んでいる…日本にはまだ数人しかいない国際的な調律師の免許を取得されただけでなく、また新たな目標のために、多忙なお仕事の合間には、大学で研究もされている…

こんな凄い方たちに出会えたおかげで、私も音楽の道に迷い込めた?!わけだけど、当初(というより大学を卒業するまで)は、どうして、こんな私が、お嬢様だらけの別世界で生きなきゃいけないのか、非常に反発してもっと雑草でも生きられるスポーティな道へチェンジしたくなったこともあった。でも、今考えると、いろんな人たちとの良い出会い、支えがあったからこそ、ここまで続けられたのだし、また私に伝えられたことは、後世の人たちにも伝える義務がある…なんて、最近では思うようになった。でも、伝えることって難しいけど…ね

※おまけ…階下の床補強工事の音におびえてパソコンデスクの下にもぐる櫻