サモワールを囲んで

日本ユーラシア協会愛知県連ブログ

第7回新春サモワールお茶会 報告 その2

2020年01月28日 | サモワールお茶会
日本ではほとんど知られてない「ウリヤノフスク」です。でもロシアでも
もう知らない人たちがいて、それはともかく、ロシアで若い人たちは
レーニンも?? なんて、、、へえーっと驚く参加者のみなさんでした。
そう言えば「ソ連」という言葉も聞かなくなりましたけどね。

スピーチが終わったところで いよいよお茶の時間です。
が、肝心のサモワールが起動せず、、大変申し訳ないことになりました。
このかわいいサモワールでお茶を飲むはずだったのに、、


しかたなく、サモワールでのお茶の入れ方の説明だけして、日本製の
ポットでお湯を沸かしてお茶にしました。

ヴィネグレット(ロシア料理の定番のビーツとジャガイモのサラダ)と
シャルロトカ(りんごがたっぷりのケーキ)です。


タルトレット2種類とライ麦パン。
タルトレットにはハーブ入りのサワークリームとサバの酢締め、
(ロシアでは普通はニシンですが、、)、もう一種類はサワークリーム
にゆで卵ときゅうりのピクルスのマヨネーズあえが入っています。

この塗り物の器はロシアの名産品 ホフロマ塗りです。
お皿にパイやケーキを載せて


オリガさんがすばらしく日本語がお上手なのでついつい日本語ばかりに
なりながらいろいろとおしゃべりしました。

6歳と3歳のお子さんたちはロシア語も日本語も話せます。
今は夏休みに2-3か月ロシアにお里帰りされるそうで、その間に
子どもたちはロシア語に囲まれてロシア語が上手になるけれど
日本に戻ると周りは日本語ばかりで、もちろんパパとも日本語
なので 意識して教えないとロシア語が使えなくなりかねない、
とご苦労をうかがいました。

参加者のみなさんにも簡単な自己紹介をしていただきました。
現講習生が2名、かつての講習生が2名、去年の特別講座に
参加された方が1名の他に 添乗員として世界を旅行したが
ロシアだけは行ったことがないと言う方や参加者のお友達の
オレゴン州から来たアメリカ人の青年も(日本語勉強中だそう
です)。
それで英語、日本語、ロシア語に関する話もいろいろと出ました。
オレゴン州ではロシア系の移民はみかけない、メキシコからの
人が多いのでスペイン語はよく耳にする、とのことでした。

ロシアではビールやハムなど肉の加工品がおいしいなど食べ物
の話もいろいろと出て、あっという間に4時近くなり最後に記念撮影を。


またこうして気軽におしゃべりできる集まりができるといいですね!
オリガさん、参加者のみなさま、ありがとうございました。




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第7回新春サモワールお茶会報告

2020年01月28日 | サモワールお茶会
1月26日(日)午後2時からロシア語教室で2年ぶりの「新春サモワールお茶会」が 開かれました。

今回のゲストはウリヤノフスク出身のロシア人鈴木オリガさん。
留学生として来日され日本人と結婚して在住15年、ヨガやズンバ
など体を動かすことが大好きという方です。旦那様と二人のかわいい
お嬢さんといっしょに来てくださいました。

まず最初にロシア語でふるさと「ウリヤノフスク」についてお話していただい
ました。

ウリヤノフスクはヴォルガ川の岸辺にある町で人口は約65万人です。
ヴォルガは世界有数の大河であり、ヨーロッパでは一番長く、水量の多い川
です。ウリヤノフスクのあたりではその川幅は3キロにもなり、対岸が見えま
せん。まるで海のようです。子供のころの夏の楽しみはボルガの岸辺で
遊ぶことでした。まずバスに長時間バスに乗って行き、その後は藪や
小道をまた長い間歩いて行かないと岸辺には行けないのですが、それ
がまた冒険のようでとても楽しかったのです。
今では直接岸辺までバスで行くことができ、またケーブルカーもあって
ヴォルガを見下ろすすばらしい眺望も楽しめます。

ウリヤノフスクは世界的なプロレタリアートの指導者であったレーニン
のふるさとです。レーニンというのはペンネームで 本名はウラジーミル・
イリイチ・ウリヤノフというのです。彼を記念して1924年にこの町は
ウリヤノフスクという名前になりました。それまでは「シンビールスク」とい
呼ばれていました。現在はこの二つの名前が公式に使われています。

私が子どもだったソ連時代はソ連人ならだれでもウリヤノフスクの
名前の由来やどこにあるのかを知っていました。でも今ではレーニン
や革命のことは歴史の授業でほんの少ししか教えられないので
若い人たち、特に30歳以下の人たちはレーニンって誰か、ウリヤノフスクは
なにで有名なのか、思い出せない人が多いのです。

私自身はソ連時代に子ども時代を過ごしたので 小学校低学年
の時にはオクチャブリャータという子供の組織に属し、中学になると
ピオネールという組織に入団しました。ピオネールになると赤いネクタイ
をしめ、レーニンの肖像のついたバッジをつけました。優等生はほかの
子どもよりも早くピオネールに入団することができ、それはとても誇らしい
ことでした。入団式ではワクワクし、とても誇らしく思ったことは今でも
よく覚えています。

ウリヤノフスクにはロシア最大の民間航空機工場があります。
「ヴォルジャンカ」という名前のお菓子の工場もあり、ロシアだけ
でなくヨーロッパでも人気があります。同じ名前のミネラル
ウォーターもあります。
ウリヤノフスクはまた多民族の人たちが住んでいることも
特徴のひとつです。80以上の民族の人たちがいて、さまざまな
文化や言葉や宗教が共生している町です。私の子供のころ
からの親友もタタール人でイスラム教徒なんです。

ウリヤノフスクを思い出す時、私の心の中に浮かんでくるのは
松やモミの森、白樺の林、そして広大なヴォルガを見下ろす風景
です。緑豊かで川や湖のあるウリヤノフスクで育ったおかげで
自然を愛し大切にするようになったと思います。

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