11月12日(月)午後10時からNHK総合テレビで「ファミリーヒストリー ”小塚崇彦~五輪の夢・小塚家3代の挑戦~”」が放映されます。
小塚崇彦選手は日本のフィギュアスケート界若手のホープで、父はフィギュアスケートのオリンピック代表、母もアイスダンスの選手だったというスケート一家の出身であることは知られています。今回の放送ではさらに彼の祖父の小塚光彦氏のことがとりあげられるとのことで、日本ユーラシア協会愛知県連もこの取材に協力しました。
実はこの小塚光彦さんは日本ユーラシア協会の前身である日ソ協会の会員で愛知県連のロシア語講座に通って勉強されたこともあるそうなんです。ちなみに当時彼にロシア語を教えたのは難波先生! 難波先生のお話では 当時の小塚さんはもう若くはなく、ロシア語はどこか(満州?)で覚えられたもので、それを忘れないように、そしてフィギュアスケートを通じてのソ連(当時)との交流をするためにロシア語教室に通っておられたとのことです。
小塚光彦氏(1916年 - 2011年)は旧満州のフィギュアスケートチャンピオン。オリンピック出場を目指したそうですが 戦争のため夢は果たせませんでした。戦後愛知県スケート連盟を設立、愛知県のスケート界に貢献しました。息子の嗣彦氏はグルノーブルオリンピックに出場、コーチとして有名な山田満知子さんも門下生だそうです。
1974年、モスクワ・国際フィギュアスケート選手権大会に日本チーム監督、国際審判員として参加されました。愛知県連の講座でロシア語を勉強されたのはこのころのことでしょう。
今回は市川先生のロシア語教室の様子も取材されたとか。(放映されるかどうかわかりませんが)
ぜひ この番組をご覧になってください。
小塚崇彦選手は日本のフィギュアスケート界若手のホープで、父はフィギュアスケートのオリンピック代表、母もアイスダンスの選手だったというスケート一家の出身であることは知られています。今回の放送ではさらに彼の祖父の小塚光彦氏のことがとりあげられるとのことで、日本ユーラシア協会愛知県連もこの取材に協力しました。
実はこの小塚光彦さんは日本ユーラシア協会の前身である日ソ協会の会員で愛知県連のロシア語講座に通って勉強されたこともあるそうなんです。ちなみに当時彼にロシア語を教えたのは難波先生! 難波先生のお話では 当時の小塚さんはもう若くはなく、ロシア語はどこか(満州?)で覚えられたもので、それを忘れないように、そしてフィギュアスケートを通じてのソ連(当時)との交流をするためにロシア語教室に通っておられたとのことです。
小塚光彦氏(1916年 - 2011年)は旧満州のフィギュアスケートチャンピオン。オリンピック出場を目指したそうですが 戦争のため夢は果たせませんでした。戦後愛知県スケート連盟を設立、愛知県のスケート界に貢献しました。息子の嗣彦氏はグルノーブルオリンピックに出場、コーチとして有名な山田満知子さんも門下生だそうです。
1974年、モスクワ・国際フィギュアスケート選手権大会に日本チーム監督、国際審判員として参加されました。愛知県連の講座でロシア語を勉強されたのはこのころのことでしょう。
今回は市川先生のロシア語教室の様子も取材されたとか。(放映されるかどうかわかりませんが)
ぜひ この番組をご覧になってください。
そして「ファミリーヒストリー」の番組を見ての感想にこちらの記事へのリンクをはらせていただきました。
事後承諾になってしまい申し訳ありません。
ご不快のようでしたら訂正いたします。
コメントをありがとうございました。
愛知県はフィギュアスケート王国と言われていますが、小塚光彦さんの功績は大きかったですね。彼がどこでロシア語の初歩を習ったのか、どの程度の実力だったかはわかりませんが、あの番組の中では彼のロシア語の演説がソ連側を感動させ、ソ連の選手たちの来日が許可されたということでした。
現在もロシアのフィギュアスケート選手のファンでロシア語でファンレターを書きたいと思ってロシア語の勉強に来られる方があります。