ピリピ3:8
『それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。』
使徒パウロは、イエス・キリスト以外のものをちりあくたと思いました。
世が与える喜びや楽しみ、報いは一つも願いませんでした。
なぜでしょうか。
彼には出来て私たちには出来ないのは何が違うでしょうか?
私たちの場合、ほとんどが楽な道を選ぶからです。
狭くて険しい、苦しみのある道を歩みたいと思わないからです。
険しい苦難の道の先にある信じられないほどの栄光と素晴らしい報いがあることを、パウロは信じていました。
私たちも知ってはいますが、それに対するビジョンも信仰も主への思いも足りないのが問題ではないでしょうか。
第2コリント4:17-18
『今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。
私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。』
【祈り】
主よ。滅びていく者を救い出して下さった主の恵みに感謝して主を一番にします。
【聖句をノートに書きましょう】
-キリスト-
- ヨハネの福音書3:16
- ピリピ2:5-7
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