マタイの福音書16:24
『それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。』
初代教会でイエス様を信じるためには、いのちを懸けなければなりませんでした。
今、世界でも迫害がある所でキリストを信じるためには同じくいのちを懸けなければなりません。
北朝鮮でキリストを信じることは、強制収容所に行くことを覚悟しなければなりませんし、そこから出ることは出来ないです。
殺されたりもします。
主は最初から、弟子になるためにはその覚悟が必要であると語って下さいました。
大勢の群衆がイエス様の所に集まりましたが、その時だけの恵みに満足して帰りました。
弟子になった人は少なかったです。
群衆は自分に利益があれば集まります。
利益になるものがあれば信じます。
このように計算的です。
教会もそのような信徒ばかりならば、教会は事業団体に過ぎないです。
イエス様はたくさん集まる群衆ではなく、いのちを懸ける弟子を捜しています。
【祈り】
主よ。主の弟子として生きる道を選びます。
【聖句をノートに書きましょう】
-弟子-
- マタイの福音書12:49-50
- ルカの福音書14:26
- ヨハネの福音書8:31-32
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