伝道者の書6:10-12
『今あるものは、何であるか、すでにその名がつけられ、また彼がどんな人であるかも知られている。彼は彼よりも力のある者と争うことはできない。
多く語れば、それだけむなしさを増す。それは、人にとって何の益になるだろう。
だれが知ろうか。影のように過ごすむなしいつかのまの人生で、何が人のために善であるかを。だれが人に告げることができようか。彼の後に、日の下で何が起こるかを。』
すべてを手に入れた人は、他人からは幸せ者に見えると思います。
しかし聞いてみて下さい。
すべてが満足で幸せであるという答えが全員から聞こえてくるでしょうか。
人間にはどんなに頑張って満たしても欲望があるので満たされないです。
むなしく感じる時があります。
目に見えるものを追い求め、それで心を満たし、幸せになろうとしても幸せにはなれないです。
それなら何を求めたら幸せになれるでしょうか。
目に見えないものを求めることです。
肉の目で見えないもの、それは信仰の目で見えるものです。
信仰の目によって見えるものは、全能者であり絶対者である神の存在です。
人間は神によって造られた者です。
被造物が創造主に出会う時に初めて自分が何者であるかを知ります。
救い主に出会うとたましいが満たされます。
神に頼って生きる時に心が満たされていきます。
神に出会った人は肉が喜ぶものを求めるよりも、魂が喜ぶことを追求するようになります。
それによって真の喜びと幸せを感じるようになります。
【祈り】
主よ。真の幸せを感じながら生きる者になりたいです。
【聖句をノートに書きましょう】
-幸せ-
- 申命記10:13
- 申命記33:29
- ヨブ記21:16
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